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のらSOHOってなんだ?

のらの成り立ち~その2:児童期前編~

2007年10月16日 12:36

なんだか忘れ去られたエントリーシリーズになってしまった間のある「のらの成り立ち」ですが、色々と手が心身ともに疲労していて回らなかったので、ご容赦下さい。で、思いついたように再開します。

で、小学校に進学をします。これまた幌加内小学校という、田舎の小学校です。と言っても相変わらずの工作マニアでした。なんら人間的進歩はありません。
で、物事の記憶もこれまたあんまりありません。小学校は、広大なそば畑の向こうで、その蕎麦畑を突っ切るとそれほど遠くないのですが、基本的に畑を迂回して通学したので、えらい遠かった記憶があります。実際はたいした距離ではなかったのかもしれません。
この頃、一人の少年と異常に仲良しだったのを覚えています。離れた席になると、手を振り合って授業にならないので、隣の席にしたという伝説までついているそうな。なんか、帰ってからもその子としか遊んだ記憶がありません。
牧歌的で犯罪者もろくに居ないような町だったのか、お土産を持って遊びに行って、留守だったら、メモも残さず(小学校一年生にそういうことは出来ない)、ドアノブにそれをかけておいて帰るという恐ろしいことをしていました。なま物だったり食品全般が多かったように思います。

そういう牧歌的な生活も、すぐに終わりを告げます。親が当麻駅に移動になり、家族で当麻町というところに移住しました。小学校一年の後半だったかと。この辺から色々な記憶があります。

はっきりいって、超牧歌的な町から来たので、授業には何にもついていけませんでした。当麻町だって十分牧歌的な田舎なのですけど。その頃は若干の知的障害の子とよく遊んでいました。それは別BLOGのエントリーにあるので、そっちに任せるとして。それ以外にもひがな一緒に遊ぶ友達が出来たのもこの頃です。暇さえあればその子と遊んでいました。
その子の家の前が自動車スクラップの置き場だったので、勝手に進入してよく部品を奪ったりしました。
あと、色々けんかをしたり仲直りをしたりと、人間的な全うな成長があったのもこの頃からです。彼と一緒に遊んだことで、色々と見えてきたものがあるのだと思います。

あと、小学校3年生のときに運命の出会いがもう一つありました。野呂一夫という変な先生に出会ったことです。ちなみに、学校の先生を勤める傍ら、高山植物の本を出版するなど自然保護や自然科学教育に熱心な方だったかと思います
なんだかいろんな父母や子どもには結構不評だったらしいと、後日PTA役員をしていた母から聞きましたが、この出会いが、自分の人生を決めたともいえます。

とにかく、外に行く授業を行う先生で、それで飽き足らないのか休日はクラスの子の有志を募って自然観察に連れ出したりもしていました。いろいろ花や虫の名前を教わりました。ぜんぜん覚えてませんけど。ただ、確実に自然科学への興味は芽生え始めました。小学校3年生からはおかげで本の虫で、「少年少女実験観察シリーズ」が愛読書という不思議な生活でした。
まさに放課後は晴耕雨読、というか晴遊雨読で、晴れれば先の友達と遊び、雨が降ればそういう本を読み倒すという生活になりました。
おまけに何かの授業の折に「悪魔の飽食」を薦められて、それ以来、理系+ノンフィクションという本の虫に変わったのも確かです。でも、まぁ、考えてみれば、そんな本を小学3年生に薦めるんだから、父母には不評なわけだなぁとも思います。

あと、小学校4年生から授業のスタイルが変わりました。カタカナのロの字に机を並べ、中央に先生が居て、議題を提起するだけという恐るべき授業スタイルでした。言いたい放題いえるし、議論はがんがん出来るし、結構楽しい授業だったと思います。これまた、今思えば、お受験なんかを視野に入れている親御さんには不評だったものと思われ。

この頃から、うちの家庭で小遣い制度がスタートしました。兄が月500円、私が月300円でした。初めのうちは、小学○年生なんかを買っていたのですが、いつの間にやら、プラモデルを買い倒すようになっていました。家の中は、常にシンナーの異臭と接着剤でべとべとでした(^^;
さらに、この小遣い制度は小遣い帳をつける義務があったのですが、ろくにつけませんで、おまけに前借の嵐のため、私に関しては、早々に小遣い制度が廃止され予算申告制に取って代わりました。

とにかく、この小学校4年生までというのは自分の中で、自然科学と社会科学の興味がわいてきた時期ともいえます。そのせいかその後の成績は、理科・社会の成績だけいいという理系とも文系ともつかない不思議な子どもになっていくのです。
あと、地域コミュニティのしっかりした町でした。毎朝、農協の有線放送で、地域の出来事が放送されてきました。このおじさんおしゃべり方と声が、バルタン星人に似ているということで、物真似がはやったのを覚えています。で、裏の工場が17:30にサイレンを鳴らすと、それに合わせて子どもは帰るという生活でした。

で、この辺でまた学校を変えてしまったりもします。

のらの定義~その2:出面取り~

2007年5月 9日 10:05

再び、のらSOHOを定義しようと試みる。
のらである自分の働くスタイルを収入面から見てみるとどうなるかということを考える。
で、実は、ここのところ、のらのばあ様の口述テープをテキストに起こしている。そこに良く出てくる言葉が「でめんとり(出面取り)」という働き方。

出面を辞書で調べると、「でずら」と読むのが正しいようで、出面帳というと普通に勤怠出勤簿をさすぐらい、現代の普通の用語。
基本的には、仕事のあるところにフラフラと出向いていって、一仕事して報酬をもらうということをさす。辞書的には、日雇いを指すが、実際には出面帳という呼び方などを見てみると、日雇いでなくてもいいようである。

まぁ、そういう点で見たら、僕の働き方というのは、実はほとんど在宅作業は無くて、全国各地の仕事のある場所にフラフラと行って、そこに行って働いた分だけ金子を頂戴するので、見事に出面取りなわけである。

祖母の話を聞いてみると、出面取りというのは、家の本業ではないことを、外に行って仕事をさせてもらうことで、あまり明治の御世には好ましい働き方ではなかったようだ。でも、出面取りのえんちょうで色々稼いでいたみたい。先祖代々の出面取りの才覚かしら。

でも、現代じゃ、普通にサラリーマンの働き方も出面だし、前の大学の某部の副部長は出向だったけど「俺、出面だからさ」とか表現するのを見ると、今じゃフラフラしていなくても在宅ワーカーじゃない奴は見んな出面らしい。
ということで、この定義もいまひとつ好ましくないようだ。

のらの成り立ち~その1:幼児期~

2007年4月22日 10:15

ほかの自分の日記とネタがバッティングしないようにと工夫して、この「のらっぷり!」を書いているわけだけれど、このスペースをくれた方からの元のリクエストに、舟橋の送るのらな生活を書けというのがあったので、のらな生活を書かねばならないけど、そのまんまじゃ、明らかに日記とダブるので、キャラを変えて視点を変えることでほんの少~しだけ、差別化をしてみていたりしています。とはいえ、いい歳した30オヤジが、「~のら」なんていいつのっている(というかかきつのっている)様は明らかに変だったりします。明らかに苦情が多かったら次回ののら生活は、また違う趣向でいこうと思います。

で、言い訳が長くなったのですが、この変な30オヤジの成り立ちでも書いて、少し自己紹介っぽいことをしていこうと思います。

北海道旭川市というところで、鉄道員(ぽっぽや)の次男で生まれました。といっても、まぁ、僕の生まれた頃の旭川は十分近代化され、あの映画のような趣のある風景ではありません。その時点の家族は父、母、祖母、兄で僕を入れて5人家族でした。

はっきり言って、この頃の記憶は限りなくありません。あるのは2~3才頃に入院していた病院の天井の風景ぐらい。アルバムの写真と親の話を総合すると、仮面ライダーV3をこよなく愛する普通の幼児だったようです。
まぁ、うまくしゃべれないので、「ぶいすりー」といえず「ぶいちー」っていって喜んでいたみたいです。いまだに実兄には、ぶいちーってバカにされます。
あと、弟のことを「おんじ」と呼ぶのですが、この頃、意味がわからず「おんじと鼻血はどっちがえらい?」と親類縁者が集まる満座の中で聞いたことがあり、親戚にはいまだに「おんじとはなじ」といってバカにされます。幼少のみぎりの舌下事件は気をつけましょう(苦笑)。

鉄道員の常として、実は引越しというのは宿命です。駅から駅へと渡り歩いて仕事をします。当時、あまり単身赴任というのは聞かないことでした。単身赴任の弊害なんかがニュースになるぐらいでしたし。
で、うちもご他聞にもれず、お引越しをすることになります。5歳くらいのときでしたでしょうか。

次に住んだのは、近年著名になってきた幌加内そばの産地の幌加内町でした。
とっても田舎でして、母は専業主婦なのですが、幼稚園というものがないので保育園に通ってました。
この頃のことはボチボチと記憶にあります。
保育園ではお昼寝が嫌いで、とにかく昼寝をしない子供で、先生に無理やり顔にタオルをのせて(当然濡れタオルを鼻と口にではなく、乾いたタオルを目の上にですけど)寝かしつけていましたが、結局お昼寝をしないことは日常茶飯事でした。とにかく遊びたかったようです。
あと、祖母がよく保育園まで送り迎えしてくれていました。帰り道に何か駄菓子を買ってくれたことと、その道中の橋の袂で千円札を拾って狂喜していたら、祖母が交番に連れて行ってくれて、ちゃんと落し物の届出をしたことをよく覚えています。
最後に、とにかく冬が殺人的に寒かったこと。よくこんなところで生きていたものです。時々水道管が凍って、朝、水が出なかったようなことを記憶しています。

この頃、TVはNHK教育と決まっていまして、TVでやっていたジャガイモの植え方を覚えて、隣のおばさんにジャガイモの植えたか指導をしていたそうです。当然その頃の大人たちには常識だったのでしょうけど、よっぽど微笑ましかったらしく、しっかり営農指導に従ってくれたそうです。
あとは、「できるかな」の影響で暇さえあれば紙工作で、ガムテープは大量消費するは、家はなぞのものの製作時の出るごみくずで散乱してるわ、ひどい状況だったようです。母はガムテープをせっせと買って苦労したようです。

この頃の行動範囲は、祖母と母に連れられる半径の中で行動していました。幼児なので当然ですが。
この田舎の町、幌加内で小学校になりますが、それはまたの機会のエントリーで。

のらの定義~その1:Wikipedia~

2007年4月 5日 16:06

のらSOHOと呼び習わされるわけなんだけど、じゃぁ、どういう状態のことを野良と呼ぶんだ、ということでWikipediaの「野良猫」の項目を引いてみると

野良猫(のらねこ、のら)とは、人間の生活圏に生活するイエネコのうち、人間に直接的に養われていない・特定の個人が住む家屋をねぐらとしていない個体の総称である。近年ではホームレス猫という呼び方も存在している。
なお、戸外に出ることがあっても、管理者の存在する地域猫は、野良猫には含まれない。また、人間の生活圏より離れて山野へ移り、野生動物となったものは、野猫(のねこ、または片仮名でノネコと表記)と呼んで区別される。

だそうだ。これを、猫とSOHOを入れ替えると、大体いい感じで定義が出来るのではないかと、ということで、先ずは猫とSOHOを書き換えてみる。

野良SOHOとは、人間の生活圏に生活するイエSOHOのうち、人間に直接的に養われていない・特定の個人が住む家屋をねぐらとしていない個体の総称である。近年ではホームレスSOHOという呼び方も存在している。
なお、戸外に出ることがあっても、管理者の存在する地域SOHOは、野良SOHOには含まれない。また、人間の生活圏より離れて山野へ移り、野生SOHOとなったものは、野SOHOと呼んで区別される。

が、まだピント来ない。SOHOが直接的に人間に買われている状態ってなんだろう?SOHOを買うってのはきっと、SOHOに餌をあげるという行為だろうから、餌=仕事と考えると、飼う=雇用となるんだろうか?
この路線で書き換えてみると

野良SOHOとは、企業の営業圏で営業するイエSOHOのうち、企業に直接的に雇用されていない・特定の雇用者が住む事務所をねぐらとしていない個体の総称である。近年ではホームレスSOHOという呼び方も存在している。
なお、戸外に出ることがあっても、管理者の存在する地域SOHOは、野良SOHOには含まれない。また、企業の営業圏より離れて山野へ移り、野生SOHOとなったものは、野SOHOと呼んで区別される。

となるが、なんだか微妙だ。でも、「企業に直接的に雇用されていない・特定の雇用者が住む事務所をねぐらとしていない」は「直接雇用されていないSOHOで、特定顧客ONLYの仕事はしていない、で特定の業務用の事務所は持たない」と言うことと、ほぼ等価だろう。
で、「戸外に出ることがあっても、管理者の存在する」というのは「いろんな地域に営業等でぶらぶらしていても、特定の雇用者や管理者や法人がいる」ということと等価だろう。
で、再度書き換えを試みる。

野良SOHOとは、企業等と正式な商取引を行うするイエSOHOのうち、直接的には雇用されていない・特定の顧客や雇用者の事務所に依存していない個体の総称である。近年ではホームレスSOHOという呼び方も存在している。
なお、各地域に営業等で出ることがあっても、雇用者や所属法人等が明確な地域SOHOは、野良SOHOには含まれない。また、商取引という行為から離れて非営利世界へ移り、野生SOHOとなったものは、野SOHOと呼んで区別される。

という感じか。ならば、確かに、私は野良SOHOであり、日本中僕以上の頻度で出没するはせよう様が野良SOHOとは呼ばれないわけだ。
でも、この定義にしたら、結構な人数の野良SOHOがいると思うんだけどなぁ。あと、会社員はイエSOHOというSOHOになるし、たぶんリアルなホームレスなんかは野生SOHOになってしまうような気がする。うーん。のらSOHOの定義は難しい。

のらSOHOの生まれた日

2007年4月 3日 19:00

のらSOHOの生まれた日といっても、僕が生まれた日ではなくて、「のらSOHO」という概念が生まれた日をご紹介しようかと。

それは、忘れもしない2005年6月の「SOHOリレーフォーラム in 旭川」の前日。全国のSOHOの皆様が結集し、「とりあえず旭川名物のラーメンを食わせろ」ということで、旭川の某所でラーメンを食べている席上での話。当然、かの有名な長谷川っぷりのwillさんいんのはせよう様もご同席のさなかで、はせよう様と、旭川の心身ともに大物のアイリンク北口社長の対談で「北海道じゃ野良馬までいるんだ!」「そうそう、野良猪も野良鹿も」「なにいってるの。目の前に野良人間がいるじゃん」と、当時出張続きで家にほとんどいなかった私が槍玉に。
ちなみに、この日の僕の日記には野良の記載なし。ということは、さほどインパクトは無かったと思われます。

この日は、これでそのまま夜の宴会になだれ込んで事無きを得たのですが、恐怖の事態はこの後でした。次の日の「SOHOリレーフォーラム in 旭川」の本番のパネルディスカッションで、なんと、ストレートに昨日のねたを引き摺り出して、コーディネータ北口氏とパネラー諸氏が公衆の面前で人を「のらSOHO」呼ばわりをしたのでした。
この日の日記には当然、野良の記載在り。結構厳しく言われたんだと思われ。

この日以来、私のSOHO仲間の間でのニックネームは「のら」。で、みんなに、紹介されるときは「のらSOHO」。
誤解を招かないように書いておきますが、ちゃんと家はありますし、家族もおりますので、純然たる意味での「野良」ではありません。でも、出歩く場面が多いので、のら呼ばわりされてもやむを得ないなぁということで、のら呼ばわりを甘受しております。

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