1. ホーム
  2. のらマネージャーのブログ
  3. 科学哲学の話

科学哲学の話

反証主義

1997年9月 5日 00:00

Kポパーが、科学と非科学を区別する目的で 述べた科学理論に対するスタンス。

これに関しては、 量子論と複雑系のパラダイム や、 くるくる財産目録 や、 「日本ポパー哲学研究会」のページ 等他のサイトで述べられているので参考にしていただきたい。

ここでは、反証主義の論理を少し紹介するにとどめる。 高校ぐらいの数学の教科書に出ている論理の話を 参考にしながら考えていただきたい。

一般的な科学にたいする考え方。
理論Aの善し悪しは、実験して、 間違いが出ないということを繰り返せば繰り返すほど 正しい理論。
実験の予測は理論Aから演繹的に出てくる。

AならばB(以下A→B)、
のBに相当するものが実験で確かめられるもの。

たとえば、分子間力があるから表面張力が見られる。
この時Aが「分子間力がある」
Bが「表面張力が見られる」
ぼくらは、表面張力(B)を確かめることによって、 分子間力(A)の有無を確認出来る。 という信念がある。


これに純粋に論理の真偽値を当て嵌める。
A→B:○or× (ここで○が真で、×が偽)
  A:B:A→B
1・○:○: ○  Aが真、Bが真、A→Bが真
2・○:×: ×  Aが真、Bが偽、A→Bが偽
3・×:○: ○  Aが偽、Bが真、A→Bが真
4・×:×: ○  Aが偽、Bが偽、A→Bが真

となります。
取り合えず、この時A→Bが真である場合しか 考えませんから、2は無関係な話です。 (この関係自体が真じゃないなら、 AからBが演繹的に出てこないって言ってることになる)

さて、僕らが後、直接分かるのは、Bの真偽のみです。
Bが正しかったとしましょう。(例で言うと、 「表面張力が確認出来た」)
1と3が該当します。この時、Aは1の時なら○ですし、 3のときなら×です。
この1か3かはBをいくら観察しても分かりません。
ですから、いくら、理論から演繹した事例と一致するものを 観察しても理論(A)が正しいかどうかは分からないことになります。

では、Bが間違っていたら、すなわちBが×の時は どうでしょうか。
これは4しかありません(2はここでは使わないから)。 すると、Aが×、すなわち理論が間違っているということが 分かります。

この「理論が間違っているということは論理と経験から確実にいえる」というのが、反証主義の一つのポイントです。

そして、こういう反証を認めないようなものを、 非科学として、科学から取り除くことを提案しました。 (こういう反証にさらされないものとして、 いわゆる精神分析や、占星術、マルクスの歴史解釈を ポパーはあげています)

物理学と生物学

1997年9月 4日 00:00

高校までだと、物理を学ぶ人ってあんまり生物勉強しないし、反対に、生物を学ぶ人って物理を勉強しない。だから、実は、多くの人がお互いの学問のことよく分ってないけど、なぜか信念として、物理学が生物学の基礎と思っている人が多い。
理由としてはどうやら、物質は、分子からなっているし、分子は陽子と電子からなっているし、陽子は何とかとかいう素粒子からなっているし.......。そうすると、生物学で研究する、生物はみんな、物理学で研究されている何とかいう素粒子から出来てるんだから、その素粒子を研究するのが生物の根本を学ぶということになる。ということのようだ。
ところが現実には、素粒子をいくら学んでも、猫の行動一つ分からないのが現実だ。(じゃあ、今の生物学で分るのかといわれても.....。)要するに素粒子では、そういう現実に起こることをそんなに説明出来るわけではないらしい。
その道のことをやっている人の話では、一個一個の素粒子の挙動と固まりになったときの素粒子の挙動は違うのだそうだ。素粒子の研究をいくらしても生物のことは分からないらしい。

ところが、分子になると、途端に話を変えるようだ。ありとあらゆる生物のことを、分子の固まりが説明してくれるということになっているようだ。DNAって奴は、今はやりの複雑系というのと手を組んで、生物の世界ではおおはやりのようだ。
この二つのキーワードで、生物のすべてが説明出来るかのような話だけど、でも、説明できたっていったいどういう時にいえるんだろう?
いろんなキーワードをただ持ち出して、それだけで説明っていえるんだろうか?

私は、DNAも複雑系も分からないので、そんなものいくら持ち出されても、いっこうにぴんと来ない。だって、生物は目の前で 見ることの出来る犬だの猫だのが相手だし、(細菌はウイルスとか、直接目で 見ることが出来ない相手も増えたけど)複雑系もDNAの構造も直接目では見れないと思う。
だから、生物学を物理学で説明できたといわれても、この間には、大きくて深い亀裂があるようにしか思えないのだけど。

僕らは何を見ているんだろう。

1997年8月 3日 00:00

科学の基本は客観的な 実験と観察にある。 と教わることが多いと思う。確かにどんな理論科学者だって、 実験結果と理論があってないからって、実験の方が間違ってる なんて、そう主張することは少ないと思う。 (実際の話では、そう主張することもあるし、理論に あう結果がやり直して出てくることもないわけではない)

観察するとき、実験するとき、僕らは何を見ているのだろうか?
よく、ありのままを見なさいと教わることがあるだろう。 でも、人間の目は物をありのまま見ることは、 科学的には、 出来ないんだそうだ。
そうすると僕らは何を見て、実験対象を観察した、 といい習わしているのだろうか?
たとえば、顕微鏡で細胞を観察します。この時、僕たちは 細胞を観察しているのだろうか?
それとも、レンズの上に写った、輝点の集まりを 観察しているのだろうか?

今度は顕微鏡を介さないで、物を見ることを想像してみよう。 たとえば、ちょっと前のカラーコピーのCMなんか思い出してもらうと 助かるんですが、実物と、平面画像の区別は付かないときがあります。 たとえば、このとき、僕らは、カラーコピーを見ているのか 物を見ているのかが問題になります。

そうすうとなにやら、僕らは色の固まりを見ているに過ぎないような気がします。 でも、同時に、カラーコピーを見ても、実物を見ても、 そこに○○があるという感覚になるということは、 色の固まり以上に何かを見ているという風にも考えられます。

僕らはいったい何を見て、科学を作り出しているのでしょうか?
色の固まりなのか、それとも木や草花や動物や石ころetc.なのか。 科学の基礎となる観察もちょっと考えると、何を観察しているのか 怪しくなります。
ここで、大脳生理学や、光学の理論などを持ち出して説明したくなりますが、 じゃあ、それらの理論はどうやって何に基づいて出来たのかというと、 やっぱり観察とか実験ということになるでしょう。 そうすると、ここでの観察や実験は怪しくないのかという、 堂々巡りが始まります。
そうすると、科学を使わないで、みんなを十分に納得させる議論が 必要となってしまいます。

さて、科学を使わないで、
僕らは何を見ているのか
をどうすれば説明できるのでしょうか?

科学哲学って何だ!

1997年8月 2日 00:00

なんだなんだ。このページかいてる奴は。
科学や常識に難癖つけるのが好きなだけじゃないのか?
(否定はしません)
なんて思ってる人。結構いませんか?
ついでにこのページだけ見て、科学哲学ってのは、 へ理屈こねるだけで何の役にも立たないし、 大体、人類の有史以来、正しいことが積み重ねられた 科学にけちつけるなんて1万年くらい早いんじゃねえのぉ。 と、思っている人もいるでしょう。

それだけなら良いんですが、日本では、どうも哲学の意味が 誤解されているらしく、科学哲学というと、たいていの人が 知ったような顔をして、「生命倫理」の話題か 「科学者の行動規範」の話題をしてきます。
どうも、高校までの学校教育がよっぽどいいかげんらしく、
哲学=主観的な話で、人それぞれの結論を持つもの
科学=客観的な話で、物理世界の正しい答
となっているようだ。
たいてい哲学の話題なんて、倫理・政治の教科でしか 出てこないので、哲学=倫理学、としか考えなくなるのも、 当たり前です。 確かに倫理学も哲学の一部だけど、本当は、 もっと範囲の広い話です。言い方を変えると科学も 哲学みたいなものです。(というより元々哲学だった) 意外と知られていませんが、哲学は異常なほど 論理性を重んじます。(科学者なんか目じゃないくらい 重んじます。科学者の集団と哲学者の集団の両方に 属してみて痛感しました)

で、じゃ、科学哲学って何なのさと、思う人が多いと思います。 とりあえず、 ここのページを見てください。

で、そんなことする必要あるのといわれそうですが、 私はあると思っています。科学を信じることによって 生み出される弊害をこのコーナーで紹介していきたい と思います。

見るって何だろ?

1997年8月 1日 00:00

科学の基礎は観察からなる。
そんな事を言う先生方は 沢山いるけど、観察する、すなわち見るって どういうことなんだろう。

「見るって目で見ることじゃない。」
そういわれると身も蓋もなさそうなんだけど、 ちょっと考えてみよう。 今の科学で肉眼で見て判断することなんてほとんどない。

まず、ガラス越しに見る。
これは、きっと見るの内なんだろうな。
次に、眼鏡越しに見る。これも見るなんだろうな。
(じゃなかったら眼鏡をかけている僕の立場は?)
次に、顕微鏡越しに見る。これはどうかな?
天体望遠鏡越しに見る。これもどうかな?
電子顕微鏡越しに見る。
こうなってくるとだんだん怪しい。
つぎにSTMで見る。NMRで見る。 他にもある。インターネットを介したTV電話なんかも、 相手を見ながら話をするというけど、これも相手を見た といえるのかな?

しかしどれも単純に、「肉眼で見る」=「本当に見る」 としてしまうと、上に挙げた例はすべて、ガラスや器具や モニターを見ているのであって、 対象を見ているわけではない。
そうすると、僕らの常識が揺らいでしまう。 でも、上に挙げたものがすべて対象を「本当に」 見ているといえるだろうか?

さらに科学が正しいなら僕らの目は嘘を付く。 だからCCDカメラとコンピューターが対象を 正しく「見る」。なんてことも科学の現場では あることのようだ。
でもこの時、いったい何が何を見ているといえるのだろうか?

見るっていったいなんだろう?

アイリンクへのお問い合わせ

お問い合わせメールフォームはこちら

2016年12月移転 北海道旭川市神楽1条7丁目4−8 お問合わせはメール・SNSアカウントで mail
  • twitter
  • facebook
  • google
  • noimage
  • noimage
  • noimage