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科学哲学の話

シュレディンガーの猫

1998年5月10日 00:00

シュレディンガーの猫

ベルの不等式

1998年5月 9日 00:00

EPRのパラドックスとその後に続く有名なボーア・アインシュタイン論争は 量子力学における解釈上の問題(反実在主義と実在主義)のものに見えた。しかし、ベルによってEPRの思考実験が実際に経験的な差異を生み出せる事がわかった。
アインシュタインの描いている古典的描像、すなわち、十分離れた2粒子が相互作用を及ぼさないという事を仮定した場合と量子力学の場合では、実験的に、十分違う結果を生み出す可能性がある事がわかった。
EPRの描像において満たされるであろう不等式をベルが導き出したのだ。
ここでは、それをベルのオリジナルではなくボームによるものを紹介する。

まず、中央に粒子の発光源を用意する。
そこから、スピン1/2の粒子が一重項状態で左右に飛び出す。右と左にスピン状態を計るメーターを用意する。

A←?--?→B

Aでは二つのスピン方向aa'をBではbb'を測定する。
n番目の粒子のスピン成分(+1か-1)をan、a'n、bn、b'nと表記する。
で、n番目の実験について次のような式を作ってみよう。
γn=anbn+anb'n +a'nbn-a'nb'n
さて、ここで十分に離れているAの実験はBの実験に影響を及ぼさないので、 an、a'nとbn、b'nはそれぞれ依存せずに値を持つと考えられるので、γnは次のように変更できる。
γn=an(bn+b'n)+a'n(bn-b'n)
さて、ここでbnとb'nは同符号か異符号の場合しかないので、γnの値は+2か-2のみである。
n個の事象の和を考えてみよう。
|(1/N)Σγn|=|(1/N)Σanbn+(1/N)Σanb'n +(1/N)Σa'nbn-(1/N)Σa'nb'n|

C(a,b)=lim(1/N)Σanbn
C(a,b')=lim(1/N)Σanb'n
C(a',b)=lim(1/N)Σa'nbn
C(a',b')=lim(1/N)Σa'nb'n

そうするとN→∞の時に
|C(a,b)+C(a,b')+C(a',b)-C(a',b')|≦2

これがいわゆるベル不等式である。

さて、ここで、この式を量子力学に適用してみよう。
ここで、仮定しているような一重項の粒子においては量子力学では次のように書ける。

C(a,b)=-cosθanbn
C(a,b')=-cosθanb'n
C(a',b)=-cosθa'nbn
C(a',b')=-cosθa'nb'n

abを平行にとると
θanb'na'nbn
θa'nb'n=2φ

F(φ)=|1+2cosφ+cos2φ|≦2

これが量子力学におけるベル不等式になる。
果たしてこの式は成立しているだろうか? 明らかにF(φ)はφが0~90°の間は2よりもおおきい。

さて、かくして明らかにEPRの理論と量子力学は経験的に違うものであることが明白となった。 これを実際に試したものとしてアスペの実験が著名である。 この軍配は量子力学に上がった。 こうして、単純な古典的な描像は棄却されてしまった。

参考:不完全性・非局所性・実在主義 マイケル・レッドヘッド著 石垣壽郎訳 みすず書房

EPRのパラドックス

1998年4月 9日 00:00

EPRのパラドックスといわれるものは、A.Einstein、B.Podolsky、N.Rosenの共同執筆による論文“Can Quantum-Mechanical Description of Physical Reality Be Considered Complete ?”で元々指摘されたものである。彼らの名前の頭文字を取って付けられた議論である。
今日では、その、非局所性の議論や、量子力学の神秘的なところ強調に用いられがちだ。しかし、EPRの議論は、パラドックスと言うよりはむしろ、いかに量子力学が物理学の理論として不完全かと言うことを述べたものである。
ここでは多少煩雑で数学の知識が要求されるが、その内容をEPRの原文にそってみていく。

 まず、EPRは次のことを前提する。
 完全な理論には実在の要素に対応する要素をもつ。
Ⅰ-物理量の実在の十分条件は、系を乱すことなくその物理量を正確に予測することができること。
Ⅱ-量子力学では、非可換演算子で記述されているふたつの物理量の場合、一方の知識を得ることが、もう一方の知識を得ることをできなくする。
 これらより、次のうちのどちらかである
①波動関数で与えられる実在の記述は不完全である
②ふたつの物理量が同時に実在をもたない
 さて、具体的な系を考える。まず、系XYを考える。XYは相互作用したのちに離れていく。XY全体の状態をΨで表す。

Xに関するAの固有値をa、固有ベクトルをuとして、 Ψ=Σψ とする。
Aを測定してaを見いだしたなら、波動関数の収縮により、Xに関する状態はuで、Yに関する状態はψになる。(無限系列の和がψに収縮するから)
次にAと両立不可能なBを考える。
その固有値をb、固有ベクトルをvとする。
Ψ=∑φ
同様に、Bを測定してbを見いだしたなら、Xの状態はvで、Yの状態はφなる。
 Yは、Xの違った種類の測定の結果によって、ふたつの違った状態をもつ。だけれども、XとYは測定の時に相互作用しないから、Xの測定による実際の変化は、Yには起きない。 だから、ふたつの波動関数をひとつの実在に割り当てることが可能である。
だから、波動関数の記述が完全である(①が偽)なら、ふたつの物理量が実在をもつ(②が偽)ことになる。
 さて、EPRの議論はこのように構成されているが、果たしてこれらの指摘は正当であろうか。


ref.
Albert Einstein,Boris Podolsky and Nathan rosen:"Can Quantum-Mechanical Descriptipon of Physical Reality Be Considered Complete?" Physical review,47,777-80(1935)

観測問題

1998年4月 8日 00:00

量子力学の問題は、波動関数が何を意味しているのか? という事に集中していると言ってもいいだろう。 それを考察するのに、観測問題がある。

そもそも自然科学の理論である以上、何らかの測定に 関係する事を導き出せなければ意味がない。
それを行うパートは、量子力学自体には書かれていない。
まぁ、教科書的には、ボルンルールというのがあり、 それにのっとって解釈するのが、今のところ実験に 一致するというので支持されている。 で、一般的には、これを採用する事にする。

ボルンルール:対象の状態を波動関数Φであらわすとする。 測定したならば、ある所(E)に対象を見出す確率は、 波動関数Φの2乗のそのある所に対応した部分の大きさ (∫Φ^2dE)に等しい。 (厳密な表現にはトレースを用いる。)

じつは、この「測定したならば」の条件文が曲者なのである。

一般には、この測定も、普遍法則である量子力学の理論で 記述されていなければならない。

そうすると、測定器の状態も、対象の状態と同じように 量子力学で記述する事になる。
そうすると、測定器の状態Ψとすると、 対象の状態Φに対して測定すると、お互いが相互作用して 対象の初期状態に応じて、あるΨになる。

この時対象のΨをどのように理解するか。

これは、量子力学で記述されるのだから、 測定したならば、これこれの値の出る確率は.......。 となるので、再び、測定器を測定する測定器が必要となり、 ........。と無限後退に陥る。これが観測問題である。

そして、この無限後退を断ち切るために、 何らかのボルンルール以上の解釈が必要となる。

これを解消するためにいくつかの戦略がある。 一番代表的なのが「波束の収縮」を用いる方法である。 我々が「見る(測定する)」ことによって、はじめて この状態が、ある一つの値に(対応したもの)収縮する というものである。 これがまた、量子力学と意識の問題を持ち出すことになり、 さらには、シュレディンガーの猫の問題に直面する。

また他の戦略としては、量子力学を完全なものとみなさないものがある。波動関数を対象の状態とみなさないというものだ。一つは、粒子の集団としての振る舞いとみなす考え方が あるが、これも問題に直面する、昨今の半導体、STM等の 粒子の振る舞いは集団ではない原子、電子の振る舞いが この波動関数に乗っ取った形を取ることを示している。

さらには、量子力学の状態の記述が不完全であると考えるやり方や、その外の意味付けを加える事で状態を解釈する方法があるが、どれもうまくは行っていない。

今のところ、観測問題は量子力学では解けていない問題と いえよう。

実在主義と量子力学2

1998年4月 7日 00:00

解釈について


解釈は常に、論理的に整合的で経験的によく確証された理論の
フォーマリズムを参照している。
すなわち、物理理論の数学的に厳密な定式化(フォーマリズム)と
理論の予測の経験的検証と操作を許す理論の最小限の解釈を
持っていると仮定している。
次の定義を受け入れよう。

物理理論の解釈は、数学的定式化や最小解釈に基づいて
推論することも反駁することも出来ない、規範的な
規則原理の集合によって特徴付けられる。

理論は経験の帰結では決定されないので、解釈を選ぶ自由を持っている。
まずはじめに、認識論的解釈と存在論的解釈に分けよう。
認識論解釈は「我々が知覚するような」系の反応様式や性質についての
我々の知識を参照している。その一方、存在論的解釈は
我々が知っているかどうかに関係無く、また、観察者のいかなる
攪拌からも独立に「対象それ自身の」性質を参照する。
量子力学の存在論的解釈がオブザーバブルの所有値についての主張を
なす。
実在主義的世界観は、量子内部物理の個々の存在論的解釈を要求する。
それは本質的に客観的で操作的ではない。
操作主義的観点は、外部物理の認識論的解釈を要求し、たいていは
統計的記述として働く。
規則原理の適切な選択によって、文脈依存的客観性と操作性のある
量子実在の外部物理的記述を得ることが出来る。
確かに、量子力学の存在論的解釈は、架空の理論的な内在的実在だけを
参照していて、究極的な実在を参照しているわけではない。
量子力学は普遍的に正しい理論であるという-誰も信じていなけれど-
実際に使われている仮説に基づけば、あたかも我々が実在を
参照してるかのように整合的に述べるやり方を許している。



量子系の個別的記述と統計的記述


物質の実在の個別的記述と統計的記述は可能であるが、
適切な数学的定式化は本質的に違っている。
首尾一貫した統計的解釈は、裏付けとして個別的解釈を要求する。
古典力学において、全ての混合状態が純粋状態への分解の一意性が
保証されるほど全ての統計的状態の正規集合は単純であるので、
この要求は自動的に満たされる。
量子力学において、混合状態は、統計状態の概念的意味が何であるのかが
ハッキリしなくなるほど沢山の、純粋状態を用いての可能な実在化を持つ。
他方、完全な個別的解釈は、常に存在論的状態を用いて、数学的には
純粋状態を用いて記述される。
この純粋状態の運動方程式の解は、環境全体の自由度全ての初期条件の
知識を要求する。
経験的観点から、この情報を決して利用することは出来ない。
そうすると、環境の初期条件のある種の最適評価によって
認識論的状態を導入する。
この手続きは、存在論的状態を用いてきちんと定義された混合、
すなわち、概念的によく定義された統計状態を導き出す。
それらの統計状態は認識論的状態であって、存在論的状態の我々の
知識を参照する。

量子力学の普通の数学的フォーマリズムは統計的記述を参照している。
そして、個別的記述でもこの数学的フォーマリズムを用いるのだと
誤って教わる。
個別的記述に要求される数学的フォーマリズムと
統計的記述に要求される数学的フォーマリズムは違う。
古典的点力学において、普通の個別的記述はsymplectic phase space Ω
を用いて与えられる。
そこで、時間tの系の個別的状態はΩの中の点ωtで与えられる。
Gelfandの表記によれば、無限遠で収束するC∞(Ω)とC*-代数を用いた
代数記述は一対一に対応している。
この代数的記述において個別状態はC∞(Ω)の対のextremal elementで与えられる。
同一の力学系の統計的記述は確率密度、すなわち、バナッハ空間L1(Ω)の
正の正規化された要素を用いて定式化される。
このバナッハ空間の対は、Ω上で束縛されているボレル可測関数の
W*-代数L∞(Ω)である。それは、束縛されたオブザーバブルの代数と呼ばれる。
古典的点力学におけるように、任意の量子系の個別的記述は、
適切に分割しうるC*-代数Aを用いて与えられる。
それの個別状態はAの対のA*のextremal elementによって表現される。
ある量子系の統計的記述は分割可能なpredualM*を持つ適切なW*-代数Mで
与えられなければならない。
量子力学において代数AとMは非可換である。
可換代数の特殊な事例として、古典量子系がある。
それらの代数を古典力学のように、A=C∞(Ω)で
M=L∞(Ω)としてあらわすことができる。ここで
M*=L1(Ω)である。



内部量子力学の存在論的解釈


量子的現象が、物理的実在の我々の考え方の根本的な見直しを要求する一方で、
合理的な実在主義的語別的解釈を妨げることはない。
これをするのに、隠れた変数や、光より早い影響や、エキゾチックな連続的に
別れる多世界の記述などは一切要求しない。
量子力学は実在主義をあきらめるように強制はしないが、
潜在的資質と顕在化した性質を注意深く区別することを強いる。
(科学者と哲学者の間に驚くべきほど広まっている)誤解がある。
物理量は真に定まっていなければならない(truth-definite)という考え方だ。
実用主義的な量子力学の一般的に使われているルールでは、
「測定以前にオブザーバブルはいかなる値も持たない」
と言われる。
このことは、古典力学の通常の形而上学的コミットメントで
全てのオブザーバブルは常に値を持つといわれることとは
対照的である。
このコミットメントを量子力学に持ち込むことは出来ない。
なぜなら、C*-代数Aの状態の全集合に対して、Aの全ての要素に対して
明確な真理値を仮説的に付与するには、Aが可換である必要がある
ということを述べる公理が存在するからである。
実証主義的な放棄の代わりに、我々は、内在的で、内部的に整合している
存在論的解釈を受け入れることができる。
その解釈では、全ての場合において、真理値が定まったオブザーバブルの
最大の集合が存在している。
真理値が定まったオブザーバブルは、我々が知っているかどうかに関わらず、
値を所有している。理論的な議論の段階において、このことはまったく関係ない。
この観点は、通常の古典点力学の解釈に対応している。
ここで、「値を持っている」ということの存在論的問題は、
この値についてのある情報を経験的にいかにして得るかという
まったく違った問いとは明らかに区別される。

量子内部物理の自然な指示物は単一系だ。
量子力学の統計的解釈は、古典的に不可逆に消費される振る舞いをする
外にある測定する系の存在を前提している。
そうすると、これは、外部物理的な話である。
それゆえ、量子内部物理の統計的解釈はナンセンスである。
しかし、非操作的で本質的に非確率的な個別的な存在論的解釈は
論理的に整合的なやり方で可能である。
代数量子力学は内部矛盾無しに存在論的解釈のすばらしい定義を
与えることを許している。
代数量子力学において、内部のオブザーバブルのC*-代数Aによって
量子内部物理は特徴付けられている。
量子力学の内部物理的存在論的解釈の指示物は世界の内容全体である。
内在的潜在的性質は、物理的に実在しているいかなる観察からも独立に
記述され、内部オブザーバブルのC*-代数Aの自己修正要素によって
表現される。
時間tでの、対象の内在的存在論的状態は、tの時点で顕在化される
全ての内在的な潜在的性質の集合によって特徴付けられる。
すなわち、内在的潜在的性質は対象を特徴付ける一方で、
顕在化した内在的性質は、対象の存在論的状態を特徴付ける。
存在論的状態は、正の線形関数で表現されて、顕在化したオブザーバブル
の同じ集まりを持つほかの線形関数は存在しないという事実によって
特徴付けられる。
(純粋状態と呼ばれる)Aの外部の正規化した正の線形関数と
対象の存在論的状態の間に一対一対応が存在することが証明される。

「
数学的補助

自己修正演算子A∈Aは、状態ρ∈A*に対して、もしρ(A^2)=ρ(A)^2ならば
分散していない(dispersion-free)。
この場合、オブザーバブルAは、状態ρに対して、値ρ(A)を持つ。
ρ∈A*が分散していないような全てのオブザーバブルの集合が
ρの定義集合Dρと呼ばれる。
     Dρ:={A∈A|A=A* ,ρ(A^2)=ρ(A)^2}
定義集合Dρの複素領域Aρ
     Aρ:={A+iB|A,B∈Dρ}
は、以下の性質を持つC*-代数である。
Aρ:={A∈A|ρ(AB)=ρ(BA)=ρ(A)ρ(B) 全てのB∈Aに対して}
Aρはある瞬間tで値を所有しているオブザーバブルの最大の集合であることを
要求している。すなわち、定義集合Dρが次の意味で最大であることを要求している。
ある状態ψ∈A*に対して、Dρ⊆Dψはρ=ψを含意している。
もしAが同一であって1次元的な表記を持たないC*-代数なら、
定義集合Dρが最大のときに限り、A上の状態ρが純粋状態である。

動的なC*-系の存在論的解釈は、全ての時間t∈Rで、オブザーバブルの最大の
定義集合Dtが存在するということを前提している。
対応する複素領域At⊆AはC*準同系ρt:At→Cを定義する。
これらは時間tで顕在化するオブザーバブルの値の地図として解釈される。
任意のオブザーバブルA∈Atは、時間tで、分散していない値ρt(A)を持つ。
関数ρtはC*-代数Aの外部の正規化された正の線形関数を外延とする
一意の状態を持つ。
この一意で与えられた純粋状態はtの時点でのC*-系の存在論的状態と呼ばれる。
」

すなわち存在論的状態は、(アイデンティファイされた)純粋状態である。
オブザーバブルA∈Aによって表現される内在的な潜在的性質は、
時間tで、ρt(A^2)=ρt(A)^2の場合にのみ顕在化する。
ここで、外部の正規化された正の線形関数ρt∈A*は、時間tでの
存在論的状態を表現している。
この描写は、量子内部物理の存在論を固定(fix)している。
独立した実在を参照するということは、理論的構成物としてのみ意味がある。
内在的存在論的解釈は、d'Espagnatの意味で、強く客観的な理論である。
なぜなら、そもそも、確率も観察者も参照していないのである。
それは、我々の観察している現象を記述しているのではなくて、
実在それ自体を記述しているのであろう。
代数量子力学のこの存在論的解釈の制限は伝統的な古典物理理論の
普通に受け入れられている実在主義的個別的解釈に対応している。
それゆえ受け入れられる内在している(immanent)存在論は、
古典的物理理論で伝統的に受け入れられている存在論とは
根本的に違っているわけではない。



外部量子力学の認識論的解釈


観察可能な現象を記述する理論はデータ処理の人間的手段を想像を超えている。
しかし、それらの手段は内在的オブザーバブルのC*-代数によって、記述できない。
測定の結果を記述するオブザーバブルは文脈依存的であって、それらは、
文脈的なオブザーバブルのW*-代数の正の操作値の測度
(positiv operator valued measur)によって表現されている。
この代数は本質的に与えられることが出来ないが、
文脈的に好ましい内在的な状態の葉系(folium)を選択することによって
新しい文脈的なトポロジーを特定することによってAの正確な
ヒルベルト空間表記π(A)⊆β(H)によって、文脈依存的C*-代数A
から構成される。
ヒルベルト空間H上で作用するC*-代数π(A)の弱い閉環は
文脈的オブザーバブルのW*-代数Mに対してのW*-同型である。
この文脈依存的記述において、統計的状態は、W*-代数M上の
正規化している正の線形関数によって表現されている。

W*-代数のフォーマリズムは経験的実在を記述するが、
与えられた文脈において間主観的同意があると言う意味で、
それは、文脈に依存しているので、それゆえ、弱い客観性である。
非操作的個別的で、かつ存在論的解釈は完全に決定主義的で、
外部物理的統計的記述よりも豊かな内容を持っている。
そして、可能な操作的な外部物理的記述のいかなるものも
必然的に文脈依存的であり、例外無く、還元不可能な確率を持つ。
量子力学の確率は、外部の古典系と相互作用することによって
それ自身を明らかにする。

世界を記述する我々の能力は、我々が対象を分離する能力を超えることはない。
量子系の実在主義的操作的記述は、対象系と観察する系の間にEPR相関がない
場合に限り、可能である。
それらの現実に存在するEPR相関を取り除ける場合にのみ、
区分化を用いた、物質世界のの研究が可能になる。
対象系とその環境の間のEPR相関が存在しない場合に限り、
個々の量子系の実在主義的記述が可能になる。
それゆえ、対象の次のような定義を受け入れる。

対象は、環境と相互作用するがEPR相関はしない開いた量子系として
定義される。

そうすると、対象は正確に、全ての時点で純粋状態を用いて最大の記述が可能な
量子系である。
対象は個別性と潜在的性質を持っているなにかで、
そうすることによって、対象の純粋量子状態を個別的状態として解釈できる。
ここで、個別的状態の考え方は、観察とは独立した存在の外部物理的特徴の
記述と存在の様式を参照する。
一方で、純粋状態の考え方は、オブザーバブルの代数上の外部の
正の線形関数を意味している、単なる数学上の概念である。
外部物理的個別的状態は、分割と分離によって世界の全体主義的対称性の
破れに依存することに注意しよう。
加えて、全ての外部物理的記述は、テンソル積の分解を要求するが、
そのような分解は神に与えられる物ではない。
普通のハミルトニアンのテンソル積構造は、
対象-環境テンソル積構造が文脈に覆われたエンティティを
指しているようなところで、剥き出しの粒子そのものと、
剥き出しの場そのものを参照している。
特に、古典的性質は対象と環境の相互作用の現れである。
適切なバックグラウンドなしに、量子対象の概念は意味を持たない。

外部物理の力学がハミルトニアンや2方向に決定主義的な時間発展に
支配されているということを期待するのは不合理だ。
この力学は素定されることは出来ないが、内在的内部物理の
時間発展から導出されなければならない。
外部物理的記述において環境の変数は排除できて、
対象のオブザーバブルだけ用いてここの対象の力学を
記述できる。
一般にこの還元された力学は、統計的で状態依存的な
運動方程式で与えられる。
統計的振る舞いと状態依存の両者は、手で(by hand)使えるようにされるべきではない。
基本的な線形内部物理の力学から導出されるべきだ。
カオス的振る舞いは、対象に作用する統計的古典的力の結果として、
環境の観察されない自由度の初期値から生まれる。
もし、この力の自動相関のスペクトル分布が完全に連続なら、
統計的環境は完全に初期条件を失うので、その力は完全非決定主義的である。
状態依存は、量子的対象による環境の分極化によるフィードバック効果に従う。
この個別的量子対象の力学が、還元できないヒルベルト空間フォーマリズムで
書くことができるのなら、その存在論的状態の力学が状態ベクトルの軌跡
Ψ→Ψtによって表現される。それの時間発展は、状態ベクトルΨtの
非線形統計的偏微分方程式よって与えられる。
特に単純なモデルにおいて、Itoの意味合いで、非線形統計シュレディンガー
方程式を得ることができる。

経験科学において我々が議論する全ての対象は文脈依存的対象であって、
それらの存在は、環境に依存していると同時に、あらゆる科学的議論において
我々が無理矢理行う抽象化にも依存している。
環境が古典的な場合のみ対象が存在するというのが代数量子力学の公理である。
しかしながら、「古典的」という概念の意味は抽象化に依存するので、
文脈依存的なのである。
それゆえ、宇宙全体の内容以上のいかなる内在的文脈依存的内容も存在しない。
文脈依存的な対象は抽象化に依存するが、勝手に発明することは出来ない。
それらは実在のパターンであって、実在の石を組み立てることは出来ない。
電子や原子、分子のような要素や構成されている粒子は一義的なものではなく
二義的なもので導出されてくるものだ。
電子や原子、分子は単純に存在しているのではなく、特殊な条件下において
現れるものである。それらは文脈依存的な系なのだ。

普遍的に正しい内部物理的記述から文脈依存的な外部物理的記述へ移るために、
加えて、最終過程の存在に対するBaconianの拒絶や初期条件を生み出すのに
前提されている私達の自由、切り離された観察者の存在の可能性のような
規則原理を導入すべきである。
選ばれた観察器具は、代数量子力学において内在的状態空間の
新しいトポロジーによって特徴付けられるある文脈を決定する。
文脈依存的対象の外部物理的記述は内部物理的に独立した実在の
完全な知識を与えてはくれない。
文脈依存的対象は文脈において選ばれたあるトポロジーに依存はするが、
人間の意識とは独立である。
それらは選ばれた文脈に相対的なのである。
外部物理的記述は完全に真でもないが、完全に偽でもない。
しかし、それが実在を記述する選ばれたやり方に正しく相対的である
ということは言える。
また、外部物理的記述は一意ではない。それらは、EPR相関の実際の存在を
無視するということに依存している。
それゆえに、内部物理的基準に従えば論理的に等価な異なる外部物理的記述が
常に存在する。
いかなる単一の外部物理的記述もその非ブール的事象構造をもつ
独立した実在全体を示してはいないが、この実在のある側面を
ブール的文脈上に射影はしている。
物質の実在はたくさんの相補的なブール的記述を持ち、それらは
それ自身の観点から見たとき正しいものなのである。
実在は一つしかないけれども、多くの適切な観点は存在している。
それゆえ、等しく正しいけれども相補的な自然の記述が存在するのである。



結論


現代物理が物質と精神の間の関係を何も語らず、デカルトの精神を避ける立場に
いることを除いても、非相対論的量子力学の重要なまだ解かれていない問題は、
環境との相互作用がある個別的で開いた量子系の固有の記述である。
これは主に数理物理の問題であって哲学の問題ではない。
もし、維持することが不可能な前提を放棄することが出来て、
物質の実在の全体主義的構造を受け入れるのなら、
量子力学に結び付けられる哲学的問題は、一般的な科学の哲学的問題と
さほど違ってはいない。
実在主義は量子力学によって却下されていないが、原子主義や
文脈に独立な対象の存在は却下された。
古典物理学ですら、実在の全てに記述の文脈依存は不可避だ。
外部物理的メタ言語の必然性を含意しているタルスキーの定理に
そうすることを強いられているのだ。
絡みなっている効果に従えば、ここの量子対象は常に抽象化依存の
エンティティだ。
文脈依存的な対象は実在のパターンをあらわしているのであって、
独立した実在の石を組み立てることは出来ない。
量子力学に従えば、科学実在主義のうち整合的なものは、
クォーク、電子、原子、分子のような組み立てたブロックのような硬い
独立した実在を素定はできない。
量子的実在の非ブール的事象構造は、量子的対象の全ての潜在的性質が
同一の事例で顕在化するという古典的考え方を諦めざろうえなくする。
物質世界の不可分性と非局所性と古典物理で受け入れられていた存在論は
両立しない。
全体主義的な本性に従えば、量子的実在は表現しにくく、
非常にたくさんの相補的記述を導き出す。

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