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ゲームの話

遊びルール、ゲームのルール

1998年7月15日 23:30

たまには雑感を
最近のゲームを見ていると、遊びかたが限定されている気がする。
「なにを寝ぼけた事を」と言われそうであるが、 むかしのTVゲームはもっと遊びかたに自由度があったように思う。 言い換えれば製作者が思いも寄らない遊び方がいくらでも可能に 作られていたように思う。
そこからユーザーはいろんな遊びかたを開拓した。

そういう意味では、昔のゲームの方が一人遊びのものとはいえ より多くのコミュニケーションを必要とした。
そのルールの元で遊ぶのには、一人では意味を持たない事が多いからだ。 たいていは、友人なり何なりの他人の承認が必要不可欠だろう。 そういう一定の集団の中で意味を持ってはじめてルールとなる。

そういった、同じ道具による新しい遊びの開拓は、 今のゲームにどこまで可能だろうか?

ほぼ完全に形式から内容まで出来上がった、数々のゲーム群。
ムービーとしてみても、ゲームとしても、買ってそのまま すぐに遊べて、簡単にその世界に没頭できる。
確かに秀逸な作品群だ。
しかし、それは子供が楽しむ遊びといえるのだろうか?

数々のルールの完成された、全てが製作者の予定調和の中に 織り込まれた、TVゲーム。
いや、恐らくはTVゲームに限らないのだろう。
ほぼすべての日常が、遊ぶ彼らの側にルールの創造や選択の余地など無い。
自分で何もしない子供たちというが、彼らの遊びには少なくとも 新たな創造の機会はほとんど無い。
生活のあらゆる段階で固定化され解釈の隙間一つないルールが 彼らを取り巻いている。
TVゲームも、ある意味で、残念な話しではあるが、 それの一助となってしまっている事は否めないのではないだろうか。

TVゲーム主犯論に物申す!

1998年5月25日 23:30

さすがの私も、今回は頭に来た。
こんな、大馬鹿者が日本社会の主流の責任ある地位を占めているとは。
呆れてものも言えないとはまさにこの事。

1998年5月25日のマンデー日経。
ヒトこと-「キレる」少年どう思う?

某社、経理部次長曰く

>テレビゲームの影響が大きいと思う。
>ゲームの世界と現実を混同してしてしまわないかと心配だ。

根拠はなんだよ。
確かに、Realの意味は遷移してくだろうけど、
「キレる」ことの原因といいきる根拠はなんだよ。
で、どうやら、根拠は次の事らしい

>外遊びが減ったのも気になる。
>昔は集団遊びのなかで自然に対人関係を学んだが、
>今はそういう場もなく、

外遊びが減ったのは、TVゲームのせいじゃないでしょ。
あんたら、経済人たちが経済効率だけ考えて、
外遊びの場を奪ったんじゃないの?
さらには、自分たちに都合の良い受験社会を賞揚して、
外で遊ぶ時間を奪ったんじゃないの?
だから、子供たちはTVゲームで、心のガス抜きをするんでしょ?
原因と結果を自分たちの都合で入れ替えるなんて本末転倒。

>相手を思いやる力が弱くなってるのではないか?

それはあんたでしょ?
子供を取り巻く環境を目先の利潤と給料だけで考えて
子供たちを取り巻く環境の事をちゃんとみてないでしょ?
何にも思いやってないじゃない。


ああ、腹立たしいというか、嘆かわしいというか。
もっとも呆れ返るのは、こんな見解を、疑いもなく掲載する 日経の編集者。

切れる事に関して言えば、悪しきはTVゲームにあらず。
むしろ、キレる子供たちの有効な緩和材として機能してる。
原因はそんな少年を量産するような社会を作って、
反省一つしてない、こういう大人たちだ。
自分が、作りだし、支えてきた社会をもう一度見かえしてもらいたい。

今の社会に順応して、いい思いしてる人間に、
今の社会を変える勇気はないのかもしれないが。



この駄文を書いた後、ゲーム批評7月号にて 某誌編集長がゲームバッシングに対するコメントで

「ゲームの影響を受けていると言われる、すぐキレる人にはゲームのエンディングなど見られないと思う」

というコメントが載っていた。
これは、まさにその通り。あんな難しい今のゲーム、 すぐキレてたらエンディングどころじゃない。 一昔の前のゲームごときの難しさにキレていた、 私の方が、よっぽど切れやすいというもの。
今のゲーマーの方が、よっぽど忍耐強い。

ゲーム業界側も、こういうセンスのある 切り返しが出来るようになってもらいたいな。 (自分への反省も含めて)

プラットフォームの寿命は何が決める?

1998年2月25日 23:30

いやー。今更ですが、すごいですねぇ。
ゲームボーイ。
ソフト屋とかいったら、 ずらっと陳列棚一面埋めて売ってるし、 新作ソフトもまだ出てる。
ハードが出てから、9年。恐るべき寿命だ。 しかも、出荷台数では、唯一、あのモンスター、 PSと張り合えるハードになっている。

何が理由って聞きゃぁ、みんな口をそろえて

「ポケモン」

って答えるんだろうけど、 ほんとにそれだけかなって気はする。

古い話で恐縮だが、このGBのように、一見すると 一つのソフトで、いっきに延命に向かったハードが 実は昔あったりする。
それは、MSXだ。
じつは、このハード、一度完全に死に絶えかけた。 同時にMSX2への移行も失敗した。
にもかかわらず、いまだにfMSXのエミュレーター等で 楽しむ向きもあるくらいの代物だ。 このプラットフォームを生き返らせたのが、コナミの メガロム第一弾「グラディウス」(以降グラ1)だ。

これが出るまで、どんどんメーカーが撤退し、 売り場は縮小され、移植作から取り残され、 もはやジリ貧のハードだった。

これが出るや否や、一気に復活。
ソフトの売り場は増える、MSX2が売れはじめる。
コナミのこの頃の名作はMSXでありながら 今遊んでも十分新しいものが多い。 確かにそういう意味では良質のソフトが、 どんなハードでも生き返らせるといえる。

しかし、ちょっと考えてもらいたい。
GBのポケモン、MSXのグラ1
それが出る前に消え去っても本当は不思議ではない。
そんなハードは腐るほどある。
MSXと同グレードのハードとしては、 SG1000、ぴゅー太、らくがき君、etc........。 それぞれが早い段階に皆消え去った。
実は、そのハードに継続的に良質なソフトが供給されていた ことが、本当の復活の源だったのではないかと思う。 MSXへコナミは継続的に良質なソフトを提供していた。 グラ1の前年に出た魔城伝説などは、これがMSXかと 目を疑うほどの作品であった。

言い換えるなら、どれがブレイクしてもおかしくない ソフトが大量に供給されていたのだ。
それは、その後のソフトの供給にも伺える。
MSX2に対しては、今も新世代ハードで遊べる 「スナッチャー」、PSへのアレンジリバイバルともいえる メタルギアソリッドの元となった「メタルギア」 MSX1に対しては、グラディウスを基調とした、 横スクロールシューティング群。さらに、過去の名作の アレンジ続編である「夢大陸アドベンチャー」 「ガリウスの迷宮」など、書いていたらきりがないほどだ。 (一部はPSのMSXアンティークで遊べるようだ)

翻ってみるに、GBもポケモン以前に、根気強く 良質のソフトを提供し続けていたのではないか。 ヨッシーやマリオを題材とした、アクションゲーム、 パズルゲームなど、旧世代機にもかかわらず、 任天堂が粘り強く、ソフトを提供してきた。 ポケモンはその事実が華を咲かせたに過ぎない。

思うに、ここでポケモンブームに安住せず、 MSX時代のコナミのように、良質のソフトを 出し続けること。これが、GB、さらには任天堂の 天下を再び作るのではないか。

当時のMSX、今のGB、 どちらもユーザーが明確に発信している メッセージがある。ゲームに必要なのは高価な次世代機で しかできないようなことではなく、 ロースペックマシンでできること。 技術的にはこれで十分である。
ころころプラットフォームを乗り換える ソフトメーカー、
前のユーザーをどんどん切り捨てて 次の世代のハードを出すメーカー、
次世代機、次次世代機 を安易に賞揚するメディア。
彼らにはもう一度、この事をよく考えてもらいたいものだ。

ゲーム&ウォッチの生みの親

1997年10月 5日 23:30

横井軍平氏をご存知の方はそんなにはいないだろうが、 任天堂のゲーム&ウォッチは皆さんご存知だろう。
氏は、このゲーム&ウォッチの生みの親である。
ひさまつさんが指摘されるように、もともとTVゲームは 子どものおもちゃではなかった。 そのゲームを手元に持ってきて、 しかも子どもの文化に変えた画期的なもの、 それがゲーム&ウォッチだったと言っても 過言ではないだろう。

このページを書くFだって、やっぱりゲームの入り口は、 ゲーセンでもなんでもなく、このゲーム&ウォッチであった。

この横井軍平氏がお亡くなりになった。
アンチ任天堂をうたうFであっても、 痛恨の念を禁じ得ない。たとえゲームの本質がメディアで あれ玩具であれ、より高次のゲームをみれたのではないかと 残念でならない。

氏は玩具としてのゲームを今も追求していたと聞く。
Fもこの言葉じりには反対である。
しかし、ここで、氏のいう玩具というのは、 決して子供だましという意味ではないだろう。 本当に練り込まれた万人が楽しめるものという意味であろう。

確かにこのページではメディアとしてのゲームという スタンスが大事であると主張はしているが、 このゲーム&ウォッチやGBを生み出した氏のスタンスを 否定しているのではない。(首肯はしないが)
近年では大ヒットのポケモンも氏の発案であると聞く。

TVゲームを云々と述べる私にとっては氏の功罪は、 計り知れない物がある。
しかし、任天堂を一トランプ会社から、 TVゲーム業界の盟主任天堂に育て上げたのも氏の功績だろう。 また、世界に冠するゲームソフト輸出国に日本を育てたのも 氏の功績であろう。

いろいろな議論を展開するのとは別に、 氏の存在と業績の大きさは今更ながらに 巨大であったといえよう。

氏にはただ冥福をお祈りするばかりである。
と同時に今後のゲーム業界を愁得ずにはいられない。

TVゲームは子どものおもちゃか?

1997年10月 5日 11:30

今日(1997,10,5)の日経新聞に「TVゲーム子供たちの反乱」 というタイトルで、興味深い記事が書かれていた。 主旨としては、小中学生がTVゲーム離れを 起こしているというものだ。
この記事自体の現象の分析が適切か否かは別として、 小中学生がTVゲームから離れていったということ自体は、 別に珍しいとは思わなかった。
今あるゲーム見れば一目瞭然だろう。
もはや彼らを対象年齢としての造りをしていないのだ。

そればかりか、ゲームの遊びかたが変わってきているのだ。 ゲームに限らず、はやりモノの基本は、 それ自体の世界では完結しないという性質がある。 ようは、それについてのコミュニケーションは そのものの外で行われるのだ。共通の話題の一つなのである。 (たまごっちなり、はやりのドラマなりを、ちょっと想像していただきたい)

ゲームのメディア化と多様化により、 それは共通話題になり得ないばかりか、ゲーム自体が そのものの中で見事なくらいに完結してしまっているのだ。

果たして、ゲームがこのように変化してしまった、今、 かれらは、本当にコアユーザーと呼べるだろうか。 確かにこうした現象を引き起こした原因が、 ゲームの側にないわけではない。しかしそろそろ、
TVゲーム=遊び=子どものおもちゃ
という認識を完全に改める時期に なっているのではなかろうか?

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