1. ホーム
  2. のらマネージャーのブログ
  3. 若かりし頃とか

若かりし頃とか

祖母の顔

2006年3月15日 11:33

今日、子供のお別れ遠足に、帽子を持っていくのを忘れてしまった。
ものすごく申し訳ない気分になって、子供に謝った。子供のほうは、今日は運動帽だから大丈夫だよ、といってくれたのだが、何というか少し落ち込んでしまう。
こういうとき、必ず祖母の顔を思い出す。
小学生になっていたぐらいのとき、その日は家族は誰もいなくて(母は兄のバスケの遠征について行ったのか、入院付き添いだったか定かではない。父はがっつり仕事)、一緒に市場(商店街)に祖母と出かけてウキウキと昼食の材料を買った。そこで、最後に豆腐を買って袋に入れてもらい、家路についた。
その後、祖母が一生懸命昼食を用意してくれ、二人きりの食卓を囲んだ。暑い夏だったからだろうか、祖母は真っ先に冷奴にした豆腐に手をつけた。腐っていたらしく、すぐに「これは食べちゃだめだよ」といってさっと引っ込めてしまった。
そこでなぜか、祖母は非常に申し訳なさそうに「ごめんね。お母さんには言わないでね」と私に謝ったのだ。このときの顔が、自分が子供に対して失敗したときにいつも浮かぶ。

私は、実は、この祖母がどうしょうもなく好きだった。多分、兄が小学校の低学年のときは入院していて、高学年になってからはミニバスケの選手で活躍して、母がやや不在がちだったせいかとも思う。なので、よく面倒を見てもらったせいだとは思う。
でも、物を買ってもらった記憶も、過剰に甘やかされた記憶も無い。躾は両親にされたし、物は両親に買い与えられた記憶がある。その辺は、いまどきの馬鹿みたいに甘やかしてモノを親からしゃしゃり出て与えて、自分のもののように扱うバカジジババどもとは明らかに違った。躾の主導権はちゃんと親のものだという風に捉えていたと思う。
実は、祖父の記憶はほとんど無い。覚えているのは火葬場の風景だけだ。つうか、ものすごく小さいときになくなったらしい。知っていることといえば、祖先が愛知県海部郡あたりに興って、家の御紋はアゲハの紋章。で、屯田兵で旭川入植で八百屋を起こして病気がちってことぐらい。
祖母に関しては、その後、八百屋をしている祖父に嫁いで、しっかり家を守り立てた才女だという知識くらいはある。よく、何かすると必ず対価をくれようとした。ぼくは、好きでやっているし祖母に喜んで欲しいから手伝っただけなので、いつも「いらない」って言っていた。そういう意味では、うちの一族で、私が起業してしまったのも、何とか生き残ってこの業をなしていけているのも、祖母に多く接していたからだという気がする。

そういうことを思い出すと、祖母にしてみれば、あの時、僕と自分の作った料理で食事が出来るというのは、とっても嬉しかったのではないだろうか。そこで失敗してしまったことをとっても後悔してしまったのではないかと。
今日帽子を忘れた自分も、きっと、このときの祖母と同じように子供に対して、一回こっきりのチャンスでして上げれる何かだったはずだ。だから、こういう失敗をすると、必ずこのときの祖母の顔を思い出すんだろうな。
こういう失敗は繰り返されることだけど、子供の「大丈夫だよ」という声と表情をしっかり覚えておこう。きっと25年前の自分の顔なんだと思うから。

舟橋家の名言・名行メモ

2006年2月16日 11:14

なんとなく、色々とこういう歴史調べばかりやっていると自分のルーツはどうなんだとなる。

僕が聞きかじって覚えている範疇で、蓋し名言名行と思えるものを3人分。

舟橋ヨシ(父の母:寺原家の娘として北海道に渡る)
・「上見て歩けばホシ、ホシ、ホシだらけ、下見て歩けばホシひとつなし。」
  (星と欲しいを引っ掛けた口癖。地道に歩けば欲は起きないということ)
・男女問わず子供を全員、高等学校卒業させる。
  (当時の高卒の価値は、今の大卒。多分、女5人男3人ぐらいだったはず)

母の養父(名前知らず。でも、生家と縁続きのはず)
・「(その時代に)子供を育てるのは女。だから女にこそ学問が必要。」
  (貧しい母の高校進学で、家中がもめているときにこの一言で承認)


・「金はびた一文残さない。あんたらの頭の中に遺産を残す」
  (たしか、土地買ったときだったかな?突然言い出した)
・「20歳以降のあんたへの支払いは投資。いつか帰ってくると期待している」
  (大学の学費をもらうとき、常々言われた)
・小遣いなし。金が必要なときは要プレゼン。
  (僕が、小遣い帳まじめにつけなかったツケだけど、今役に立ってる)
・「アルバイトは絶対駄目。お金の価値を安直に見るようになる」
  (兄が新聞配達しようとしたときだったかな。今思えば名言)
・「学は自分のためにするもの。モノのためにするもんじゃない」
  (これは、祖母、父からもよく言われた。なので、テストで
   良い点とっても何も買ってもらえなかった。)
・「ひとはひと、うちはうち、自分は自分」
  (友達が持ってるシャープペンシルが欲しくて、「みんな持ってる」
   といったら、これで徹底的にやられた)
・「勝手にしなさい」
  (予算が発生しなくて、親が何もする必要が無くて、他人に影響が
   無いことをやろうとして親に言うと、めんどくさそうに必ず言われた。)

多分、今のスタイルを形作っている要素かと。こういう輩に育てられた両親に育てられているんだなぁとか思える。僕を直接育てた世代の発言は母ばかりだけど、たぶんに父の考えや、同居している祖母の考えも汲んだ発言なんだろうなぁ。

時代背景も違うし、そのままってことは無いけど、やっぱり大事なのは次世代への投資。金を残さず知恵を残す。この辺をリストにするとうちの家訓の出来上がりかも。

小さなころ

2005年12月14日 10:35

小さい頃、親の都合で転校することが常だった。

小学生の頃から、別に転校すること自体そんなにいやなことではないし、むしろ楽しいと思っていた。そういうところは、先天的な「のら」だったのかもしれない。よく、前の学校の友達の家まで、一人で自転車や国鉄で行って泊まってきてた。友達の幅を広げることは、結構楽しかった。

転校先で友達を作ることはさほど苦労をした記憶はない。いつのまにか誰かと遊んでいる。と同時に、クラス内外のグループの垣根を越えて普通に友達を作れた。まぁ、転校生の特権ともいえるんだろうなぁと、今は思う。
で、その垣根を越えた友達のなかから、実は気が合いそうと思う人を普通にマッチングさせていたような記憶がある。そう思えば、昔から紹介屋だったのかもしれない。でも、紹介した友達同士が、自分抜きでとても楽しそうに遊んでいるのがとっても寂しかった記憶も良くある。紹介するまではテンションが高いのに、紹介しちゃうとすぐにイジケ虫になっていた自分を、最近良く思い出す。

最近、のらSOHOなんてレッテルが貼られるぐらい、日本全国飛び回って(今年は本当に飛び回ったと思う)、いろいろ人と人を繋いでいる。なんか、子供の頃の自分に戻ったようなものだ。たしかに、その後は自分抜きで進む人間関係がほとんどだ。そういうところも子供の頃と一緒だ。確かに、自分抜きでことが進んでいくことに、若干寂しい気分もなくはないが、しっかりとマッチングできたという充足感が、最近はある。
寂しさより充実感があるというのは、やっぱり、家族がいるからかな、と思う。そういう意味では家族の間の信頼が磐石じゃないとこういう生き方は非常に難しいんだろうなぁ。

ということで、私のマッチングでメリットがあったと思っている方は、私の家族にも感謝してください(笑)

僕のロールモデル

2005年12月 2日 10:27

最近、大学生の「新しいことをやりたい」という友人が増えてきている。とはいえ、三河の果てに住んでいると会うということはほとんどなくて、ネット、ほとんどがSNSの手合いで、お互いの動向を把握しあっているという感じ。
彼らの僕に対する紹介文を見て「ぉぃぉぃ、誉め殺しか」というぐらい誉めてもらえて、挙句に物真似のネタにまでした楽しんでくれているらしい。(後段は、しょーご、まみー、たけちゅ、主に君らのことだ(笑))

なんと言うか、こう、彼らの紹介文を真に受ければ、いわゆるロールモデルにされる側の人間になるほど歳食ったのかなぁと思う反面、果たして自分は自分のロールモデルを超えれているのかなぁとも思う。
僕の仕事に関するロールモデルは実は3人だったりする。多くの人に仕事上お世話になって今があるのは確かだけど、お世話になった相手ってのと、ロールモデルってのはちょっと違う。まぁ、ロールモデルは3人とも大変お世話にもなっているけど。

一人は大学時代のバイト先の社員さん。一人はNHK時代の先輩。一人は大学院時代のバイト先の社員さん。

大学時代のバイト先は家電量販店。そこに中途入社で突然現れたのが、第一のロールモデル。お客を良く見て新しい提案をしていく。冷蔵庫だろうが洗濯機だろうが電池一本だろうが常にしていく。そのベースは前職だった肉職人時代にあるそうで、某スーパーの肉コーナーを仕切っていて、鍋セットのような企画ものを日本ではじめて開発したりしたらしい。それで、そのスーパーも売上増。その人の人気もうなぎのぼり。でもある日突然退職。理由を聞くとまたすごい。その会社がコストダウンの名のもとに、本来は職人の良心として売ってはいけない売ってはいけないよう部位を平気で混ぜるなどし始めたらしく、退職を決意。
で、社長に「なぜやめるのか?」と引き止められたときに「自分のスーパーで売ってる肉食ったことありますか?」と逆に問いかけたそうです。社長の回答が「食ったことはない」。
この人は「食ってみたらわかりますよ」と一言言って交渉打ち切って、即退職。お客さんにいいものを出す、喜ばれるものを出すということに、とことんこだわると、目先の自分の利益や身分なんか普通に投げ出せる。

でも、今の僕は当時の彼より少し年上。でも、こういう気概を盛って良い仕事をしてあげれているだろうか?

第2のロールモデルであるNHK時代の先輩は、とにかく勉強する人。そして人に簡単に物は教えない人。努力あるものに惜しみなくすべてくれる人。そして、結果は結果、実績は実績としてきちんと判断する人。初めて局内で紹介されたときは、「ここが資料室。とりあえず全部見とけ」という非常にそっけない指導(というか、それ以下の扱い)。でも、最後には徹底的にノウハウを教えてくれた。
「仕事は公私混同でうまくやりなよ」というのが口癖。でも、彼は結構ストイックで、公私混同は実際はしていない。というか、全人格的に公。「仕事は全人格で勝負」というスタンス。
敵も多い人だったけど、それをものともしない。いい物を作るためには、妥協無し。

でも、今の僕は当時の彼とほぼ同い年。でも、そこまで真剣に全人格を仕事に賭け、妥協なく最高のサービスを作っているだろうか?

最後のロールモデルは、大学院のときのバイト先の社員。GSMの店舗の商品管理担当。一緒に商品管理を通じて店舗のBPRをやってました。公私共にすごく仲良くしましてました。よくおごってもらった。さんぱちラーメン。
でも、くだらないことでよく怒られた(笑)。だって、職場自体は単純作業なんだもん。実は自分は単純作業でミスがすごく多い人間だったりする。この人が僕に教えてくれたのは「ミスが多いなら他人の3倍の回数チェックしろ」という普通のこと。実は仕事で一番大事なのは、普通のこと。そういう仕事を見て「これは俺様がやる仕事ではない」という台詞は、「この程度の仕事もできない無能者」と自己宣言しているようなもの。
でも、部下や仲間を守るためには体を張る。運送業者に僕が濡れ衣を着せられたときも、徹底的にやってくれた。その件は無罪。さらに、このGSMでリストラの嵐があって、そのときに、本社の人事部長に、「おまえら経営責任取らないで、したに押しつけるつもりか!ふざけるな」といって、手元のお湯をもろぶっかけた。仲間のためなら、ある面で滅私。ちなみに、この人は仕事ぶりがいいので、黙っていれば、出世もあるだろうといわれていたけど、左遷決定。

でも、今の僕は当時の彼とほぼ同い年。でも、そこまで、仲間を守るためにすべてを賭けたり、あたりまえの仕事を教えるために真剣に怒ったりしてるだろうか?


こう思うと、僕はこの3人に全然追いついていない。まだまだ、ロールモデル気取るには早いなぁ。まだまだ人間精進ですな。

アイリンクへのお問い合わせ

お問い合わせメールフォームはこちら

2016年12月移転 北海道旭川市神楽1条7丁目4−8 お問合わせはメール・SNSアカウントで mail
  • twitter
  • facebook
  • google
  • noimage
  • noimage
  • noimage