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若かりし頃とか

スリーワンロボはどこへ行った

2008年7月16日 14:14

朝、小3の娘を集合場所に送っていく途中で「学校でペットボトルが1500本集まったよ」という話を聞いたら、途端に、頭の中に

すり~わん、ろぼ~♪すり~わん、ろぼ~♪

って、歌がめぐってしまった。どこの小学校の時だか忘れたんだけれども、そこの学校の三年一組が、学芸会で発表したのが、スリーワンロボとその歌だったんだな。で、このスリーワンロボとは何かというと、たしか、ゼリーとかプリンのプラカップ(だったと思う)を集めて作った、身長の2倍はあるおよそ全長3メートルの人型のオブジェ。で、おまけに、オリジナルソングまであって、学芸会では、舞台でクラス全員が子のスリーワンロボを囲んでそのオリジナルソングを斉唱していた(それが件の頭をめぐった歌)。確かその次の年はクラス替えがないのをいいことに、空き缶を使って更に大きな、ニュースリーワンロボを創っていたような記憶がある。

趣旨は、ゴミを無駄にしちゃいけないって話だったような気がするが、冷静に考えればそんなロボにしないで、ちゃんと回収して再資源化すべきなんだろうけど、なんだか、資源を活用していいことをやっていたような気がしていたんだな。
でもさ、それでもいいような気もするんだよね。用は、こんな感じでゴミを神格化しておけば、ゴミは出ないわけである種の必要物になるわけだし。仏像だの位牌だのを棒切れだって言って捨てる奴も居ないでしょ。まぁ、古きよき牧歌的な環境対策と環境教室だな。うん。

でも、記憶も確かじゃないので、僕の記憶に確証をくれる方コメントくださいな。うー、気になる、スリーワンロボの末路。

ミロを落とした日

2008年5月25日 13:39

まぁ、どうでもいいことなんだけど、子どもをチャリに乗せて走っていたらふと思い出した出来事を、残しておこうかと。

ミロって飲み物ご存知ですか。僕が小学校のとき、うちの田舎のスーパーに彗星のごとくあらわれ(ミロそのものはもう少し前からあったようです)、瞬く間に家庭を席巻した、牛乳で溶かすココア風味粉末で、スポーツの後といえば必ずと言っていいほど飲んでいたものです。
で、そのミロが特売だったか、切れてしまったのか、親にお使いに行かされました。今思えば、兄抜きで一人で親のお使いに出たのは、ほぼはじめてだったように思います。なんだか分かりませんが、単純に嬉しい気分でうきうきとお使いに出たことを覚えています。自分の好きなミロの特大サイズを買ってこいというお使いですし。お使いを任されたこともまた嬉しかったように思います。
で、うきうきと、スーパーで自分お顔のサイズよりどでかいミロのビンを抱え、レジを通り抜け、ビニール袋に移そうとしたときに、この大ビンを落っことしてしまいました。当然ガラス製なので、がっちり割れてしまいました。

当時のガキなので、カネなんざお使いの最低限度のカネしか持ってないし、途方にくれてしまって、泣いてしまいました。なんか、その割れた風景をとってもよく思い出せます。
その時、どっかの知らないおばさんが(おばあさんだったかもしれない)、はい、「これ持っていきな」と同じ大きさのミロをくれ、お店の人にてきぱきと片付けてくれました。
で、この話はこれっきりの話。何の後日談もなければ、そのスーパーは現存もしていません。ただ、こういう、サッと親切の出来るような大人になりたいなぁと、いまだにそれとなく思っていたりするわけです。

まぁ、とてもあのおばさんのようにかっこよく小さな子どもに親切は出来ませんけど。
ちょうど、今思えば上の子ぐらいのときの年の出来事だわな。それで思い出したんだろうなぁ。

損しない程度に安くして

2007年11月13日 12:54

某会社の給料がいいという話を、いいなぁという会話をしていた。サラリーマン時代からほとんど思ったことは無いんだけど、いいなぁと思う人には、心の底からいいなぁって思えるんだろうなぁ。
でも、その会社の売りは取引先からの納入物を安くする形でのコストダウンで、そういうコストダウンの結果利ざやが増えて、特別賞与が出るまでになたわけだ。なんか、それって給料増えて幸せなのかねぇとか思うわけだ。

人の仕事を安く買い叩くってのが、本当に幸せなのかなぁと。必要なもんを作ってくれた人の仕事を安く買い叩くってことは、いざ、その人が必要な仕事をしてくれてもその相手に安く買い叩かれるってことに他ならないんだと思う。まぁ、そういう流れが結局デフレって奴になるんだろうけど。
感謝の量に見合った、支払いをするってのがやっぱり人間社会の基礎であって、それをしないで一時的に会社の利ざやが増えたり、給料が増えても結局のところ、回りまわってしっぺ返しが来るだけ。
社会全体の富の量を一時的に偏在させているに過ぎない。

とはいえ、一個人や一企業にしてみたら、持ってるお金の量に限りはあるし、その中で最大限のサービスを受ける努力はするもんではある。ある意味それはしょうがない。その中で値切るという行為は発生するし、それ自体は感謝の量を買い叩く行為だ。
なんとなく、思い出したのが、うちの母親の口癖。

「損しない程度に安くして」

これは結構、なるほどと今は思う。徹底的に安くしてってのが今の流行である。他店より一円でも高かったら、それより安くしますなんてザラだ。それは、結局、ただの感謝の買い叩きであり、自分だけよければいいというエゴそのものである。要は「お前のところから買ってやる」という姿勢そのものである。
でも、自分のために色々してくれるという観点に立てば、「買わせていただく」だし、それ以上に長く付き合っていこうと思うなら、適切な感謝の量で買って上げるべきである。
とはいえ、持ち金に限りがあったり、他人のお金(会社の金、家庭の金)であれば、無制限に買ってあげることは出来ない。そうすれば自然と選択肢としては、相手を叩きのめさない程度の金額で買ってあげる、ということしかない。

そうすると、「(とっても感謝しているんだけれど、自分の金じゃないので)損しない程度に安くして」というのは、唯一の選択肢の回答ともいえる。
適切な感謝の量で買ってあげることが、ありがとうの経済の基本だけれども、組織のお金を預かるということでは、組織全体の感謝というものを即時に定量化できないときに、一つの知恵だと思う。

そうした流れの中で、出た利ざやで、給料を増やせれば最も優れた行為だし、それであれば変な反動はどこにも来ないはず。
そういう社会であれば、たぶん誰も他人の給与を羨むようなことはないとは思うけど。

僕が子育てSOHOをする理由

2007年8月22日 10:49

当然、僕一人で子育てをしているわけじゃないし、家事・育児・稼ぎを夫婦分担でやっているだけの事なんだけど、子育てしたいから、会社を辞めてSOHOやってますという風に思われがち。ある面で正しいんだけど、そもそも、何故そこまで子育てをしたいのかというところの話しは結構はぐらかしてきていたりする。

子育てしながら働いていると、いろんな人に子供好きなんだねと誤解されがち。
でも、実際にはそれほど子供好きじゃない。実際に自分の子供以外の子供の面倒は基本的には見たくない。もっと言えば、子供のあしらい方も上手いわけじゃないし、当然得意でもない。
にもかかわらず、こんなスタイルにこだわっているのは何故?というのもソコソコ良く聞かれることだ。多分理由は一つじゃないし、複数の理由の複合体なんだろうけど、元々、自分の子供が出来たら、子育てをやりたいとは思っていた。

多分、一番の理由は「中学校のとき養護施設のあるまちに住んでいたから」だと思う。中学校のときに転向した先には、養護施設があって、そこから年齢に応じてみんなそれぞれの学校に通っていた。
とはいえ、養護施設に視察に行って可哀想だとか、もっとこうしてあげたいとか思った事は微塵もない。そりゃそうだ。そこから僕の通っていた中学校に同級生が通ってくるのだ。同級生が住んでいる場所程度の認識しかない。
その中の1人ととてつもなく仲良くなって、ほぼ毎日つるんでいたわけだが、それでも何かそういう施設の子が可哀想だとか、不幸だとか微塵も思えなかったし思わなかった。当然、それだけ仲良しだったので施設にもお邪魔した事もあるし、向こうの家庭にお邪魔した事もある。
変な話、僕自身は至って普通の家庭で育ったわけだ。おまけに、家庭内のいざこざどころか、友人知人の恋愛すら全く気がつかない鈍感人間。なので、彼らの家庭の状況というのは、心底どころか表面的にも理解できていないわけだ。
ただ、そういう環境の人と普通に接して、普通に生活できるという事だけは良く理解した。あと、「家庭で子供を育てられない事情」というものがこの世に存在するという事実を把握できた。

ただ、数年、彼の言動の端々を聞き、やはり、「家庭で子供を育てられない事情」というものに関心をもった。また、自分の母も養女だった事もあり、その話も聞きさらに関心を深めた。
で、大学を卒業してすぐ放送局に勤めて、「何かテーマを持ちなさい」といわれたので、「家庭で子供を育てられない事情」という事にこだわってみた。件の友人にも早速相談した。すぐに、自分を担当した児童相談所の児童福祉司の方と、養護施設の先生を紹介してくれた。
で、他の取材の合間に児童相談所にお伺いしたり、養護施設の先生は僕の住まいのそばで喫茶店を開かれていたので、良くご飯を食べにいってお話を伺ったりと、結構気長に取材させていただいた。残念ながら、この取材は番組として形にはならなかった。
ただ、僕の中で、現代での「家庭で子供を育てられない事情」というものの本質と、その解決が見えてきた気がした。と同時に、子育てをする当事者ではない僕が、そのことを四の五の言ったところで説得力もなければ、無責任極まりないとも思っていた。
ただ、子供というものを自分が授かるのなら、当事者に成ろうと心に決めたのも多分この頃だったと思う。とはいえ、当時は全く相手の当てもないので、まさに机上の空論だったわけだ(笑)

今、自分が当事者になって、当時の自分が思っていた解決の方向性が正しいという確信はもっている。
件の友人が、TVで政治家だか評論家が「子供を育てるのは家庭。子供のために家庭を政府で支援すべき」という事を言う事に対して「家庭がない子は子供じゃないのか」と憤慨していた事が凄く印象的だった。でも、実はこの彼の一言が僕の思う問題の方向性と解決の方向性のヒントになっている。
やはり家庭がしっかりしている事は大事。うちは、しっかりした家庭を営めているとは思えないけど、共働き社会において家庭経営をしっかり行うことからはじめている。
ただ、家族が大事だからといって、家庭支援を公助で行うというのは論外だと思っている。家庭をしっかりさせるのは、夫婦の自助であるべき。その意思を夫婦で持つことが大事で、男だから家事をしないというのは論外だし、女だから家事をすべきだという事もない。ただ、夫婦がちゃんと主体的に連携して家庭を取り回していくことができればいい。

その自律した家庭が共助と公助を得て、子育てをしていく事は構わない。自助をせず、自助の範疇を公助に求めることは、むしろ子供が「公的機関が何でもやってくれるんだ」という無責任な感覚を身に付けることを助長するので、好ましいくない。
むしろ、公助に求められているのは、適切な家庭を得られない子供たちに対して、適切な家庭相当の機能をする部分をどれだけ提供して上げれるかがポイント。それは、現状の制度化では、養護施設の質や量の向上でしかない。「親に手当てをいくらよこせ」だの「出産した人数に応じて助成金よこせ」というのは、一見よさそうに見えるが、実は、子供自身にとってのメリットになる事は少ない。

子供自身にとって最大のメリットは「親が自分のことをちゃんと見てくれる事」以外ない。実はこれさえちゃんとできれば、家庭で子供はちゃんと育つ。親が子供以外のことや子供の周辺の事(成績とか他者評価とか)にばかり関心を持って、お金で子供のことを解決するようでは、お話にならない。もらった補助や助成で、自分の娯楽のためや子供の周辺の事でお金を使っていては、お話にならない。そもそも、子供とちゃんと向き合うのに、お金はそんなに必要ない。家事と仕事を上手に夫婦で分担して、時間をどれだけ作れるかだけ。
いわば家庭の自助がどれだけできるかが両親に問われている内容であって、わけのわからん早期教育だの成績向上だのはどうでもいいことなのだ。ましてや自分の娯楽に時間とお金を割くなんて言語道断。というのが、色々取材して得た結論。特別、子供がかわいいとか何とかということは抜きにして、子を授かった以上、親としての義務だと思う。

という理屈から入って、何かの間違いで素晴らしい人を家庭に迎えて(迎えられて)、子供が出来たからにはそれをやらねばならないという使命感ではじめたのが、子育てSOHO。実は、結構書き出すともっと長いんだけど、お金儲けよりここの部分が強いんだよね。
どれぐらい出来ているかは分からないけど、やってみると、思ったより大変だったり楽だったりと、なんともいえない生活スタイルです。

変わらない自分

2006年12月 4日 13:50

わくわくセンターを運営するNPOの有給スタッフ全員によるミーティング。指定管理等を次々と取ることによって、ここ2年で、有給スタッフ約40人、予算規模約1億5000万と急拡大。多分このエリアでは有数の巨大NPO。
で、急拡大した組織でありがちな問題で、そもそも、このNPOのミッションやら理念が何だったのかをイマイチ理解しないで入った職員も増えるということがある。ここも例外じゃない感じ。特に、日常業務が直接理念直結の内容じゃない施設系スタッフは、そういう実感が無いまま手伝っている人も少なくない。
で、そういう講義やら議論をする研修会なんだけど、僕としては、理念が共有できなくても使ってくれればそのスキルはホイホイ提供しますってところがある。いわば、中身が空っぽの道具で、自分の理念がどうかというところとはちょっと別に能力の提供ってのがついてきている。
むしろ、中身を問われちゃうと困る。いわば、理念を持っている人に最善の道具としてノウハウを提供するというスタンスで、自分が自分のためにノウハウを活用するということはほとんど思いつかない。

実は、これって23歳の時に放送局を辞めた理由そのものだったりする。大学の時に、広告代理店に入りたくて、業界マニュアルに従って活動して、マスコミって言うジャンルの会社を受けまくったわけだ。そうして広告代理店じゃなくて、放送局そのものに入っちゃったんだけど、これがきつかった。
何がきつかったかというと、忙しいこともさることながら、「お前の伝えたいことを持ってきて、お前の想いを持って、番組にせよ」といわれるわけだ。ちなみに、その放送局の最終面接のときに「あなたは何をしたいですか?」と問われ「まだありません。これから探します。すみません」と謝ったぐらい。
ちなみに、広告代理店であれば、お客さんが売りたい商品があって、それをよりよく伝える方法を共に考えて、CMなり何なりにしていく。伝えたいこと自体はお客さんが持っているというわけ。伝えるノウハウ提供というわけだ。コンサル業なんかもこれに近いし、その後の仕事のセクションもこんな感じの業務が多いので、ハードだけど長続きしている。

当然結婚してから「それにノウハウ提供すると子供のたちが大人になったときにどうか」という事業理念は持っているけど、せいぜい安全装置がついたくらいで、相変わらず空っぽの道具であることに大差はない。今回の研修で改めてそう思ったりしたわけだ。

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