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若かりし頃とか

小さな正義をかばう

2009年12月12日 10:50

僕には兄がいます。一人だけですけど。なんとなく、最近思い出したことをメモ。

小さい頃、なぜか兄と二人で汽車で旭川に出たことがありました。理由は全然憶えていません。ただ、妙に混んでいた普通電車で、二人とも吊革につかまって立っていたように思います。あ、厳密には兄は吊革で、僕はその兄のジャンバーにつかまっていたように思います。
目の前の座席に座っていた初老の人が、その満員列車のなかでタバコをくゆらせ始めたのです。当時は、特に今のように禁煙の風潮もないし、列車も禁煙ではありませんでしたので。
ただ、このおっさん、タバコの灰を床に落とし始めたんですね。
で、子供心に、タバコの是非とは別に、「床にゴミを捨ててはいけない」という観点から、
「おじさん、タバコの灰を床に捨てないで下さい」
と、言ってしまったんですね。そしたら、このおっさん、
「あ、でもしょうがないじゃないか、灰皿はあっちではなれたところにあるんだから。常識的に考えようね」
と、一笑に付したわけです。そのとき、周りの大人はみんな無視していたなかで、うちの兄が
「だったら、吸わなきゃいいだろう。大体、こんな混んでるなかで、タバコを吸うほうが非常識だと思いますけど」
と、きつく言ったんですね。そしたら、周りの人の目線も、このおっさんを批難する目線に変わったので、このおっさんはすごすごと、少し離れたところにある車内の灰皿にタバコを捨てました。

このおっさんの情けないのは、このあとで、列車を下りて改札をでたところで
「君達はどこの子だ。ちょっと、そこまで来なさい警察で話をしよう」
と切れて呼び止めてきたわけです。ちょっとした騒ぎなので、なにやら、結構なギャラリーが集まってきたわけです。ちなみに旭川駅のすぐそばに交番があります。兄はひるまず
「それでもかまいませんよ。大体、床に灰を捨てて、他人の迷惑を顧みない行為をするほうがわるいんでしょ。白黒はっきりさせましょう。恥ずかしいのはそちらです」
と、言いいました。それで、このおっさん劣勢を自覚したのか目を白黒させて、「全く今日日の若者は。親の顔が見たい」、と言って去っていったわけです。

たぶん、僕が車中で言い出さなければ、こんな変なものに巻き込まれずに済んだし、あのおっさんの言い分をあの場で認めて無視すればことは収まったはずです。でも、兄は、弟の小さな正義を守るために、ちゃんと身体を張って戦ってくれたわけです。

子供の言葉の中の小さな正義をちゃんと認めてかばってあげれる大人になっているか、自分のこととして反省することが最近多いのか、ふとこの事件を思い出してしまいました。

こどもだけの社会ってどこいっちゃたんだろうね

2009年8月16日 09:30

夏休み。特に、普段フルタイム労働で忙しい家内が家にいるわけなんだけど、色々家事やらなんやらやりたいことがあるので、子供がお邪魔になっていることも少なからずあるようで。で、そういう時は、子どもに「外行ってこい」となるんだけど、でも、なぜかお父さんがついていくわけなんだな。まぁ、僕自身も別にお休みの日なので、それ自体はイヤじゃないし、気にもならない。
で、そういう状況で、下のやんちゃ坊主(性別は女なので、じゃじゃ馬娘が正しいのか)と、散歩に出ながら家の近所を散歩しながら自分の夏休みはどうだったかなとか思ったわけです。

何のことはない、近くの子どもが常にたまっている公園や広場に遊びに行っていたわけです。親に行けと言われるまでもなく。で、近くの木工所の5時のサイレンを聞いて、家にみんなで帰っていたように思います。今思うと、そこに、大人なんか誰もいなかったよなと思うんですね。幼保ぐらいの子から、中学生ぐらいの子までたまっていて、相互に友だちで、相互に面倒見合って、小さい子でも安全に遊べたし、大きな子でもそれなりに楽しめていたように思う。
当然、それなりに怪我もしたし、いざこざも良くあったし、僕なんざ良くいじめられもしたし。それでも、そういう広場というか公園は完全にこどもの社会で、夏休みであれば毎日欠かさずラジオ体操が終われば、そこに誰が言うまでもなく集っていたような気がする。
変な話、夏休みの宿題なんざやった記憶は全くない(というか、実際に全くやっていないのだから記憶もない)けど、このつどいの場には、ほぼ毎日欠かさずに行っていたように思います。家族旅行は、お盆の日に東旭川の叔母の家に親戚一同が集うというのだけ。でも、何の不満もなかったし、思いっきり楽しかった記憶です。

翻って、今の自分の子ども達はどうなのかなと思うと、少し考えてしまう。ラジオ体操が終わったら、家に連れ帰って宿題をさせて、子どもも外に遊びに出ることはなく、ゲームやマンガで一日過ごすという感じ。ゲームやマンガが悪いというのではなく、僕らも、小学校3年生の頃にはDSのはしりのようなゲーム&ウォッチがあったし、コロコロを読んでいたし。でも、何が違うのかというと、それは、件の集い場である公園や広場に持っていって皆でやっていたわけです。地域によってはその集い場が家の屋根の上だったっけ。屋根に乗って集団でゲーム&ウォッチをやっている様はカラスのようだと親どもに揶揄されてました。
遊びそのものが決定的に変わったわけではないように思うんですね。場所が変わっただけなんだろうなと。子どもだけの安全な集い場が失われているんだなと。

空間としての公園スペースがないのかというと、決してそういうことではなかったりします。うちも人里離れて(工場と田んぼに囲まれて)いますが、裏の明治用水横のサイクリングロードの休憩スペースとかありますし、街中に行けば当然、もっと公園もあるわけです。そもそも、この原稿を書いているのも、公園のレストハウスなわけです。
でも、その場に自分の子供を1人置き去りにしても、そういう場にはもうならないんですね。そもそも、他の子は忙しく塾やら習い事やら家族旅行に行っていていないわけです。おまけに、たまにいたとしても、治安が悪いので一人置き去りなんて出来ないわけです。道路が怖いので、行き帰りも心配です。そうするとその時点で親が連れて行くということになり、こどもの社会ではなくなってしまいます。

なんだか、こういう「子どもだけの社会」が失われたことに、いわれのない漠然とした不安感を感じるのは僕だけでしょうか。親子のふれあいが増えたといえば聞こえはいいのですけど、親子としか触れ合っていないという状況のような気がします。
多分、安心安全と教育のありようを僕ら大人はもう一度良く考えて、こどもだけの社会が作れるような、大人の社会を構築しなければいけないような気がします。

自分を変えた怒り方

2009年2月 4日 17:51

変な話、この私はある面でやたら図太く、普通に怒られたところで、馬耳東風でさばさばしている。それが怒っている側の怒りを更に買うわけだ。それ自体はもうどうしょうもない。そもそも、ほとんどの場合、怒っている理由を知らないわけではなく、100も承知でそういうスタイルなんだから反撃するか馬耳東風な感じで謝るぐらいしか出来ない。
ついでにいうと、こういう天邪鬼な性格のなので、怒って僕を動かすと言うのはほぼ不可能。僕になんかやらせたいという人は、原則頼み込むと言うのが基本。札束も、社会的地位も、怒りも基本的には効きません。場合によっては仕事の都合上の手作業的なことぐらいはしますけど、人としての本質は変わりませんし、変えません。

で、そういうことを書きたかったということではなく、こんな僕でも怒られて変わったことが3回あります。あ、社会人になってからですけど。

一回は、放送局にはいってから。実は僕自身、自己否定が自分の思考の基本なので、提案を出しても常におどおど。ちょっと突っ込まれたらすぐ引っ込めちゃうという姿勢。当然、高校時代のトラウマが若干あるので、自分は無知で愚かであるという姿勢は抜けないわけ。
暇さえあれば「もっと勉強しろや」とデスクらにののしられる日々だったわけだ。ある日、先輩がうちに遊びに来て、うちにある本(読書日記の本のほとんどは大学時代に買って読んだもので、この当時から書棚に並んでました)を眺めて「これ、全部読んだのか?」といわれて、正直に読んだといったら、おもくそ怒られた。
「こんだけものを知っていて、不勉強のように振舞うのは、謙遜ではなく、ただの卑屈だ」と。こんな形で自己肯定されたの初めてだったので、ちょっと衝撃だった。おどおど感は抜けませんでしたけど、まぁ、結構ものをいうように頑張るようになりました。

もう一回は結婚してから。結構新婚時期だったと思うんですけど、「どうせ僕なんてバカだし、かっこよくもないから、ごめんね」という趣旨のことを話したときに、家内に烈火のごとく怒られました。
「あなたに自分がバカと言われたら、好きになった私もバカだってことじゃない!バカにしないで!」
と。
もう一回は独立してから。平穏無事な夫婦ではないのでケンカは日常茶飯事なのですけど、ある日、生命保険と医療保険の検討を保険屋さんと夫婦で一緒にしているときに、突如怒られました。
「なんで、死ぬことを前提に話するの!勝手に死なないでよ!」
と。あのー、生命保険ってのは死んだ後の家族の生活設計のためにかけるものなんですけど、医療保険以外掛けちゃダメですか、と思いつつも、僕という対象が存在していないということを前提することする許しがたい、ましてや、それをその本人が考えるなどもってのほかという姿勢。結婚している間は、うかつに自己の存在否定すら出来なくなりました。

でも、この三つに共通しているのは、僕自身の思考が自己否定にあるということに対しての怒りで、先方は僕を肯定してくれていることの表れ。うかっとすると、自己否定の海に心が沈んでしまう性格なんだけど、肯定してくれる人がいるということ忘れないように頑張らないととか思うわけだ。でも、そういういう怒り方のできる大人になりたいな。でも、そうなるためには、きっと自分がしっかりと自己肯定できないとダメなんだよね、きっと。

夜行列車

2008年8月 7日 15:21

この間、仕事で柏崎に行くのに、すごく久々に夜行列車の寝台にのったんだな。夜行列車自体は、おととし急行ハマナスに乗ったけど、一区間とかその程度なので、夜行列車の旅って感じではなかった。
でも、その昔は散々、夜行列車に乗った。そもそも、大学生のときは実家が網走で、自宅が札幌で、親がJRだったから帰省のたびに、夜行の特急オホーツクだった。なぜか日中のやつにほとんど乗らなかった。

帰省中に大学生協の理事会があるからって網走から夜行で札幌に戻って、理事会に出てすぐに夜行で家に帰ったこともある。なんだか死ぬ思いだった。さらに、混雑していて座席に座れなくて、夜行なのに、終点までデッキで立ってた(というか、荷物をイスに座ってた)ことも幾度となくあったなぁ。あ、下宿の後輩と一緒に語らった夜行のときもあったっけ。まぁ、体力あったよな。あの頃は。

あと、高校生の時には、美深の友だちに会いに行くのに、旭川で乗り換えて、夜行で行こうとしたこともあった。そのときは、網走からの途中下車で、旭川の買い物公園のベンチでボーっとしてたら、手をかざす宗教集団に全方位囲まれてかざされた事もあったよなぁ。あれも、なかなか味な想い出だよな。

あと、大学の4年生の時には、就職活動で、北斗星で東京往復をガンガンした。親の庇護下だったおかげで、飛行機より安く乗れたしね。普段はB個室とかいうやつに乗って、人に会わないで、パーティションの中でこそこそ酒飲んで寝てた。けど、場合によっては普通の寝台車両になって、見ず知らずの人と一緒のたびになることも結構あった。

なんだか寅さんに感化された変なおっさんと一緒になったときはすごかった。車販でガンガンビールかっておごってくれるは、ビールに飲み飽きたら、「レストランでも行くか。好きなもの食え」とかいって、いきなり食堂車に連れて行かれるは、食堂車のおねぇさんに「予約の方だけですけど....」と言われるにもかかわらず、押しの一手で「なんかできるもんぐらいねぇのか」とか押し切って、うなぎとビールを勝ち取って、2人前のうなぎを食わしてもらったんだよな。

あのおっさんは元気かなぁ。あ、でも、夜行列車でなかったのは可愛い子と一緒になることかな。
ま、後日聞いたら、一応、隣り合わせの人の性別とかって考慮して寝台の座席配置ってできているらしい。まぁ、そんなロマンスがないのは当たり前ですな。ちぇっ。

子供は怖いよな

2008年7月22日 14:22

どうでもいい思いでシリーズなんだけど、先のスリーワンロボのエントリーと欲望渦巻く~のエントリーを書いていて、ふと思い出したこと。

小学校2年生だったある日のこと。
昼の休み時間に玄関ホールあたりを友人とぶらついていたら、先生が摩訶不思議な大とその上に箱を載せてそこにもってきたんだな。その箱を覗くと、ピンクレディの映画だかなんだかの割引券だか整理券だかの紙がわんさかあったんだな。
先生が、「おう、もっていっていいぞ」といったので、友だちとラッキーと、その券を持っていこうとしたまさにそのとき、校内放送が。
「ピンクレディの券が玄関ホールにありますので、欲しい人は玄関ホールまで取りに来てください」
と。
すると、ほぼ全校児童が怒涛のように現われ、私は跳ね飛ばされ、その台の足元にうずくまったがさいご約30分間、ふんずけられるは押しつぶされるは、もみくちゃにされ、死ぬような思いをしたんだな。マンガのバーゲンで潰される子供みたいな状態。

子供ってのは、放っておくとこういう状況になって、ある種人間の本能ってこうなんだろうな。なんか、自分の人ごみが嫌いな理由がわかった気がする。うん。さっきのエントリーの愚痴の自己完結だな。

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