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自治とか政治とか

札幌市の子供支援はなかなか筋がいいぞ。

2016年1月 8日 09:24

新年初エントリーがネガティブじゃいかんと思って(ネガティブなネタを怒りにかませて書こうと思ったのですがまずは取りやめ)、年末年始に、札幌に住む娘と会ってふと感じたことでも。

いや、大したことではないんですが、住民票を移して札幌市民を娘がやっているわけですが、札幌の地下街で買い物を嫁としまくっていたんですけど(ちなみに僕は喫茶店でさぼっていましたけど)、さっぽろプレミアム商品券を使って買い物をしていたんです。
そんな気の利いたものは娘が買ってきたわけでなく、普通に娘に届いたらしいんですね。はい。

どういうことかというと、こういうことでして。

「子育て・多子世帯向け商品券交付事業」
https://www.city.sapporo.jp/kodomo-mirai/syohinken.html

これは実にナイスだと思うわけです。当然子供のためになるであろう子育て支援として素敵なのではあります。が、それ以上に感動したのが、だって、ちゃんと資格があれば子供に届くんですよ。親じゃなくて。その昔、M党が素敵にしくじった子ども手当の運用のクズっぷり(自BLOGで書いた)を思うと、実に進化しています。どの親にばらまくのが的確かとかいうクズな議論はなし。市内在住の子供の名前で原則送っちまえばいいだけ。あっぱれです。
しかも、小さく書いてますが、きちんと児童福祉施設の子もしっかりバラマキまっせという素敵さ。

実に新年早々気分がいい出来事でした。
まぁ、でも、札幌ぐらい素敵なお店がたくさんあって参加事業者数がふんだんだと商品券で有効なんでしょうけど、田舎町だと商品券だと困っちゃうんだろうなぁ...。

さいたま市の一件受けて、市民活動と政治活動と指定管理で思う事。

2015年10月21日 13:10

さいたま市市民活動サポートセンターの件は、チラチラ元指定管理者のセンターのセンター長経験者ってことでお問合せやら見解を聞きたいってのが来ているので、BLOGで書こうかと思います。
ちなみに、元々の僕が運営していたセンターはすでに僕の見解とは違う運営になっていますし、今属しているあらゆる組織と無関係なぼく個人の見解という事だけはご理解ください。


僕の見解の結論は、指定管理廃止まではやり過ぎだけれど、運営者の脇の甘さは否めないって所でしょうか。なんか、センター長時代に議員の皆様を炎上させた奴がぬかすかって感じではありますけど(笑)

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久々に教育とか家庭について。義務教育への主張みたいな。

2013年12月12日 12:46

今日TVをみていると、体罰についての話題をやっていて、体罰ない教育ってのは学校と教師だけで実現できるもんじゃないんだろうなと。
そもそも、体罰を振りかざさなくても授業が成立するようなしつけを家庭がきちんとしていなければ、そもそも不可能なわけで。で、全家庭でそれが成立するのは無理。
その上で、体罰以外の方法は、ドイツでやるように家に帰らせる権利を教師が有することぐらいじゃないかと思う。が、そういうしつけをしない崩壊した家庭に帰れってのも、子供には酷な気もする。

個人的には小学校はわりとあのままでいいと思うんだな。変な話、家庭でのしつけのみでは成し得ない集団の中での学びを、結構システマティックにできているので。サルが人になるプロセス感はかなり驚きでしたし。
ただ、中学校は疑問符のつく状態です。そもそも、9年の義務教育は何のためにあるのかということなのです。国家が税で教育を施すというのは、「国民国家の国民として相応しい知性を身につけるため」、というのが究極の答えのはずです。であるならば高等教育への受験とは切り離されてしかるべきで、確実に日本国民なら身につけておくべき内容であるべきです。
現代の日本という国の国民国家の骨格は何かといえば
1.自由主義経済
2.民主主義政治
3.科学技術立国
の三つに集約されます(異論も多々あるでしょうが、私はそう思っています)。
肉付けは色々あるでしょうが、この三つがあればこそ現代の国際社会でそれなりの地位を保ち、わりと安心して海外旅行にもいけるというものです。

体罰無き中学教育は以下になすべきかといえば
1.卒業に年限を設けない。
2.中学校卒業まで公民権は付与しない<子供のまま。
3.出校停止処分は教師の一存で行なえるようにする。
4.出校停止処分が妥当かを審査する機関を別途用意する。
5.教師の承諾がなくとも警察の介入を可とする。
ぐらいの改革が必要かと

あと、当然、今、中卒済みの方々も当然、卒業試験を受けなおしてもらって公民権の有無を確認します。
(ちなみに中学校の仕掛けと高等教育は平行してよいと考えています。こちらは随時書いたり語ったりしているので省略します。)
端的に、大人としての権利が欲しけりゃ、一定の知性を持ちなさいということです。今のままだと公民としての基本的知識がなく権利だけを食いつぶすフリーライダーは減りません。べつに、知識があるだけで十分だとは思いません。ただ、殺人兵器をあんな簡単なテスト一つで渡すような素敵な国家ですが、それでもテストぐらいは必要だという最後の建前はあるわけです。だったら、そういう諸権利を担保する国民国家における公民権こそ、しっかりとしたテストの上で渡さなければいけません。
誰もが中卒になれる社会のせいで、学校が荒れて、体罰が必要だとか、いじめが発生するとかいうなら、本道に帰って制度を再設計すべきです。

小中学校は、公民権を国民に付与するための教育機関だからこその義務教育です。高校受験の予備校ではないという、本道に立ち返れば、多くの問題はたちどころに霧消すると信じます。
ちなみに、公民権がなくとも労働はできますし給与をもらえます。選挙権だったり各種の権利が限定されるだけです。たぶん、児童生徒と保護者に関する多くの法改正や、年齢に関する法改正がたくさん伴うかとは思いますが。

いつまで昔は良かったとか過去の自分の体験を是認して、壊れた制度を直さないと、多くの子供の未来はないし、日本の未来もなくなります。ノスタルジーは捨てて、古い制度は勇気をもって捨てましょう。

杞憂は杞憂でしたが、見逃したものは少なくないな

2013年7月10日 13:18

およそ6年ほど前に「子供のことは気にならないの?」みたいなことを書いたわけですが、最近、これは杞憂だったなと安心しております。
というのも、上の子の世代が小学校からいなくなって、下の子の親世代だけになって驚いたのは、学校行事の親のマナーが想像を絶するぐらい上がりました。とくに、参観日の親の私語が抹消された(多少いても、私語をするほうがマイノリティ)のは、もうてきめんに分かります。本当に、上の子の時代に騒音計で計測しておけば良かったと思うくらいの変わりようです。
当然、運動会も学芸会もここで書いたような状態だったんだけど、若干のカメラなどはあるけど、後ろの席の人に配慮して、三脚をどかっとすえつけたり前列をウロウロする輩とかは激減している。これも、本当に日本野鳥の会にでもお願いして、視界をさえぎるほど高く掲げられたカメラの数をカウントしてもらっておけばよかった。

何をどう見ても、この世代の親のほうがよっぽど人としてしっかりしていてマトモとしかいえない。
結論として思ったのは、この世代は自己の欲求より周りの迷惑に配慮する世代なんだなと。要は、ポストバブルってやつです。上の子まで、バブル時代を過ごした人々が親のマジョリティだったってことではないかと。
良い言い方をすれば、上の子の世代の親御さんは自分の欲求にわりと素直で、それを達成するのに周囲に多少の軋轢を与えても気にしないので、ガシガシと写真の発注も出来れば、私語も気にならないし、身勝手に見える写真撮影もOKな分けです。
で、下の子の世代の親御さんは、まずは周囲へのご迷惑が優先されるため、写真発注ぐらいではアクションをおこすよりちゃんと我慢をし、授業に悪影響が出るような私語はちゃんと慎み、後ろの席の人が見えなくなるような無茶な撮影はしないわけです。

当然、蛙の子は蛙ではありませんが、その親に育てられた世代としての子供たちという集団はそのように出来上がるわけです。
下の子のことばかり心配していたけど、なるほど、正しく世の中のサインを見逃さなければ、心配すべきは上の子だったと言うわけですね。いまさら悔やんでもわりと仕方がないわけです。

さてはて、私の学びばかり深まってもどうしょうもないわけですけど。

これからの地縁組織-お役目からプロボノへ。「好き」と「出来る」のボランティアの時代

2012年9月28日 15:33

最近、あるボランティアを地域でやりたいんだけどってことで、地域の既存の施設等にお邪魔したら「そんなボランティアやるなら、とにかく既存のお役目をなんかやれ」の一点張りで、結局そのボランティア活動や仲間作りができなかった、という話が結構ある。
それに似た話で、自分もなんだそりゃって思うようなことに自分が巻き込まれたりしたんだけど、なんで、そういうことが起こるのかなとか思ったわけです。

大前提として、町内会でもPTAでも、地域に必要な機能を提供していることは間違いないのでとっても大事。これはみんな共有しているのではないかと思います。
何が問題かというと、機能に対してお役目が決まっていて、そのお役目はほぼ強制で誰かにやらせるという話になっていることが問題なんだろうなと。みんなお役目はやらないか、嫌々やるって話になっている。もうボランティアとは呼べない状態。ボランティアに大事なのは自発性なので。
で、スキルも持ち合わせていなく、やる気もでず、下手したら人数もかけている、という状態で、地縁組織をまわすわけですからパフォーマンスも出ないわけです。

全然違う流れで、最近よく聞くキーワードに「プロボノ」というのがあります。専門性を持ったボランティアといいますか、言い換えるなら「好き」や「出来る」をキーに活動するボランティアです。都内ではこのプロボノの集まりというのが沢山あります。
たぶん、町内会やPTAの事業を、そういう好きや出来るをもとに集まったボランティアで回せば、ずっと効率いいんだろうなと思います。パフォーマンスも高そうです。東京であれば、きっとそんな人はたくさんいて、多様な専門性を持った人がごまんといるから、組織に合わせた人を集めて、ハイパフォーマンスなプロボノ的地縁組織をつくるというのも、不可能でないように思います。

ところが田舎はそうではないように思うわけです。そんな都合のいいプロボノ的人材が多数いるわけじゃないですし、だからこそ一方的なお役目主義だったわけです。お役目主義が機能する前提は、きっと、農村や特定企業城下町のような皆がほぼ同じ職業的なスキルしか持ち合わせていない同質社会であることです。だからこそ持ち回りだったり多少強制でも、皆で負担を分かち合いましょうというロジックが通用したのだと思います。できることはみんな同じ程度ですから。

でも、田舎の風景も変わってきている現実は見据えなければいけないと思います。田舎に住む人も多様化してきています。企業にせよ農業にせよ、産業としての多様化が進んでいますし、衰退している自治体であれば、新しい目線で新しい産業を興さなければいけません。そうすると、数は東京ほどではないにせよ、住んでいる人のスキル上の多様さの幅は、そんなに東京と変わらなくなりつつあると感じています。

とはいえ、東京のように組織に合わせて適切なプロボノ的ボランティアを集めて地縁組織をまわす、といえるほど人数や多様さの細かさはないと思います。でも、皆が得意があって好きがある。そして、それに対する同質さは無くなっている。と考えると、その地域にすむ人々の、「好き」と「出来る」をちゃんと把握して、その「好き」と「出来る」を考慮して、事業を再構築して、みんなに自発的に動いて貰うことが、そうした地縁組織の長の仕事になってくるのではないかと思う。
その大前提として、お役目を埋めることが旨い頼みこみ屋である必要はなく、むしろ、地域のみんなの「好き」と「出来る」を把握しようという心持のあることが求められる。
把握した後は、そういう事業構築が「出来る」か、そういうのが「好き」な人を探して、後はおだてて回せばいいんじゃないのかな。その事業構築が自分の「好き」や「出来る」なら、それから自分でやればいいわけだし。

金ももらわず、嫌なことの苦労はこれから誰もしないと思うよ。役を押しつけて、自分の期を逃げ切ることを考えるより、こういうことを真剣に考える方がきっといい地縁組織になって、住みよい地域になると思うんだけど。
みんなどう思ってるんでしょうね。

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