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雑多な話題

疲れてはいるんだけど

2009年2月18日 17:58

最近、メンタルなことでヘトヘトです。まぁ、理由を知っている人もいるし知らない人もいるし、知っていれば知っていたで要らぬ心配をかけるし、知らねば知らぬで要らぬ心配をおかけしています。それは申し訳なく思います。

でも、ふと思ったのですが、最近の自分の悩みをよく反芻すると、実に人間らしい生活になっているなというだけのような気がします。相手がいる悩みというのは実に人間的でよろしいのではないかと。15年ぐらい前のように、自分で自分を切り刻むような困りかたよりは、今のようにお互いに切り刻むような困りかたというのは、切りつけてくる相手がいないと出来ないわけで、より人間らしい生活をしている証拠なのではないかと。

なので、疲れてはいるんだけれども、人間らしく生きている証拠ということで皆様ご心配なく。というところでしょうか。

SNSはやめました

2009年2月18日 17:56

といっても、都合が在って、地域SNSの「あんみつ」続けております。そもそも運営主体の委員やっている以上これはやめれません。

でも、メジャーどころはみんなやめました。理由は、端的に人のつながりが見えることが鬱陶しいから。実は、自分で以前書いたコラムと、ある意味の矛盾。
書いたとおり、SNSの基本は人のつながりを視覚化するところにあると思っている。人のつながりが希薄になれば社会の自殺率が上がるというデュルケームの秀逸な洞察を待つまでもなく、人間、人と人のつながりが自覚できなくなったときに人であることをやめるのだから、そのつがなりを視覚化したり、そのつながり作りを助けたりするSNSって代物は素晴らしいとは思う。

でも、だ。やっぱりある面で鬱陶しいわけだ。なんというか、田舎の人付き合い的鬱陶しさなのだ。リアルの生活でそういう鬱陶しさに囲まれてしまうと、SNSで全社会に対してそういう鬱陶しさを付け加える事に非常につらさを感じるわけだ。
ただ鬱陶しさの正体は普通に言われているのとは反対。自分の状況を他人に見られる鬱陶しさ、ではなくて、つながっているみんなの状況が見えてしまうことの鬱陶しさ。実は、田舎に住む鬱陶しさの本質って、見られることではなく、実は見えてしまうことなのではないかと、ハタと気がついたわけです。

何か新しい知見も得れたし、鬱陶しさのストレスもあるしということで、辞めさせていただいた次第で。ちなみに、どうしてもSNSで連絡を取りたいというかたは、「あんみつ」に登録してください。招待制ではないので自由に会員登録が出来ますよ。

切って良いつながりと悪いつながり

2009年1月27日 17:50

人のつながりについてあっちゃこっちゃで書いたり講演したりしているんだけど、つながりの数が多けりゃいいのかというと、そういうわけではないだろうと思う。
おまけに、このつながりと言うのは両者の握手みたいなもので、他方がいやだといえば繋がらない。繋がってから、繋がり方の質とかつながりの価値とかいうのを考えていて、気がつけばこれを切ったら廃人になってしまうだろうなぁというものと、繋がっていた方がいいけど切れてもしょうがないかというものと、しらぬまに切れているものまである。

人のつながりでなかなか人間意外と死ねないもんだなぁ、と思うことが多々ある半面、多分これ切っちまったら一瞬で社会的廃人になれちゃうようなつながりもあるわけだ。
この辺の質と量についてどう考察するといいのかねぇ。そういう意味では自殺論なんかは、上手に、人の繋がりと死という結論を導いていたりもする。最近じゃぁSNSで定量化もできるけど。などと考えているけど、そんなことを考えている暇のせいで自分のつながり維持をちゃんとしないと社会的廃人になっちゃうかも。

僕が怒る理由

2008年11月 9日 17:37

実は自他共に認める短気な人間だ。他に関してはそう思ってない人も少なからずいるようなので、必ずしもそうではないけれど、少なくとも一緒に仕事をしたことがある人は短気な私を体験しているはず。
と言ってもむやみやたらに怒り散らして当り散らしているわけではない。当然、ただ思い通りにならないとか言う理由では怒らない。

たとえば、仕事をやる前に、必ず「それは気にしなくてもいいです」とはいう。それがお金だったり成果だったりする。でも、むこうがやると約束して、それを履行しないときは、基本的に怒る。気にしなくてもいいとは言っているので怒られるのも心外だと思う人も多いかもしれないが、個人的には、それは怒られてしかるべきだと思っている。それに、その約束したことの結果が出せないという理由だけでは、基本的には怒らない。

一番怒るのは、その結果を出す努力をしていないときののみ徹底的に怒る。で、気にしなくていいっていったじゃんという、勝手な甘えのあるときに怒っている。大体、気にしなくていいよと言っているのは、その結果に対してであって、その努力に対してではない。努力は自分で言ったのだからすべきだし、結果が出なくてもいいなら努力しない、手を抜くと言うのは仕事のありようとして、あまりにも不誠実だ。

こういうときは徹底的に怒る。最近怒ることが多かったので、怒る理由を明示しておこうと思って書いておくことにする。
でも、こんなくだらないことで怒らないといけない世の中ってどうにかならんのか。ようは誠実に全力で仕事をすればいいだけなのに。

じつは、やせました。

2008年9月 5日 17:04

何だか、色々説明するのが面倒くさいので、体重測定もせずにうっちゃっておいたのですが、一年ぶりに体重をはかってみたら痩せてました。
手元に残っている記録での体重推移としては、

大学生時点53Kg→入院時48Kg→結婚時点55kg→結婚後8年75Kg(たぶんピーク)→今現在60Kg

でした。身長等の状況をかんがみると、この体重が最もよろしいようです。ちなみに、見た目もそんなに本人判別がつかないほど変わってはいない(とはいえ、判別つかなかった人もいますが)ようですので、ご安心ください。

ちなみに、一年で15Kgも痩せておりました。やせようと思ったことはありませんし、別に努力をしたわけでもありません。ましてや、いかがわしい健康食品等々にお世話になってもおりません。
といっても、病でもないとおもいますので、これまたご安心ください。

痩せた原因としては

1.北海道出張がなくなったこと。
 北海道に行かない分、子供の送り迎えの自転車運動が増えた。ほぼ毎日。
    朝、15Kgの下のチビを乗せて15分、空になって15分
    夕、空で10分、30Kgの上の子を乗せて10分
      空で15分、15Kgの下のチビを乗せて15分
 北海道の仕事がない分、わくわくセンターへの往復の自転車運動が増えた。ほぼ月20日
    行き30分、帰り30分

2.養生訓を実践していたこと。
 面白半分で、今年の1月ぐらいに養生訓を読んで少し感銘を受けたので、そのうち現代社会で実践できそうなものを実践した。と言っても以下だけ。
  ・食べたらちゃんとお腹が空くまで次は食べない。
  ・食べたあとは少しでも体を動かす。
 実際に、北海道出張中から実践していて、運動とは関係なく元気は保持しやすくなったなぁという感じはしてたんですけど、体重測定するのはしゃくだったので、ほっぽってありました。んで、さいきん、痩せたねぇという声が多かったり、一年ぶりぐらいにセンターに来たお客様が僕のことが判らないという事態があったりしたので、一度体重測定してみようかと。

ま、こんな感じで運動と食事を適当にしていただけなんで、病気で痩せたのではなく、むしろ健康的な体になったのではないかと。とはいえ、腹筋が割れたりとかかっこいい体形になったわけではなく、親父体形のまましぼんだだけです。はい。

※これをやったからって、痩せることは保障しません。あたりまえですけど。

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