1. ホーム
  2. のらマネージャーのブログ
  3. 雑多な話題

雑多な話題

今、親をやってる僕らはどうしたらいいんでしょうね。

2012年7月13日 10:17

いじめ報道を見ながらぼけーっと思っているわけだけど、いじめ自体は社会構造上の何かの表れなので、速攻で日本全土から消えてなくなる現象ではないとは思います。当然、だからと言って、論じなくていいとか、放っていいとか思っているわけではありません。一歩づつでも、解決に向けて対策を立てて前進しなければいけないことではあります。
でもね、いま自分の子供が学校通っていて、いつ何時、被害者になるかも加害者になるかもわからん状況にあって、「私ら親はどうすりゃいいの」って感じになるのも分からんでもない。むしろ、そういう危機感のない親はすでにどうかと思うし、ある親だからと言って学校へのクレーマーになってもしょうがないし。具体的解決をつくるしかないわけです。

多分、ベースになる発想は、「自分は変えることができても、他人は変えることができない」ってことであると思う。
まずは、長期的に見ていじめの無い社会をつくるには、「我身を律する」「人のために働く」という一見厳しい生き方をすべての大人が自分に課すしかないんだと思う。されども、その二つを明るく元気に生き生きとやる。この辺の講演のメモやらこの辺の書籍をチェック頂ければって感じです。
でも、そんなので社会全部が変わるのは、きっとかなり先だから世の親御さんは悩むわけで。
まず親御さんが考える対策として、ありがちなのが、「いじめに負けない強い子にする」や「いじめが起こるような場面を避けることを教える」という考え。実は、これは初めの原則の「他人を変えることができない」ということに反しています。我が子とはいえ自分ではないのです。多分、その鍛え方や逃げ方が子供を追い詰めることになりかねません。変えるのは自分でなくてはいけません。

僕の経験は高が知れますが、やっぱり、まず一番大事なのは、親は子どもを信じてあげること。これに尽きるんだと思います。行きたくないって言えば学校なんか行かなくて良いんです。あとは、日頃から子ども価値観をちゃんと聞いてあげて、しかもその価値観を尊重して、子どもが些細なことでも話せるだけの信頼関係を築くことなんだと思います。こっちに関してはいろんな識者が色々言っているので今さらかなと思います。
そして、子どもにとっての絶対的な安全シェルターであること。そうでなくては本当に怖いことは言えないと子どもが思ってしまいます。絶対的安全シェルターであるというのは結構大変で、それは親自身がよっぽどロバストで頑丈であることが重要です。マッチョになれってことではなくて、社会的位置づけとしてそういう状態でなければいけないということです。
「社会的にロバストである」とは、どういうことなんだろうと思うと個人的には以下だと思っています。

・地域社会で不可欠に頼られていること

・多くの人のネットワークの中で好かれていること

・地域社会で人間関係の貸しが多いこと

多分こういう人の子どもは、いじめられても、一時的に不登校にするなどの措置はいるかもしれませんが、親が絶対的にその子のことを守って上げられると思います。では、この状態ってどうやったら親は作れるの、という話だと思います。


不可欠に頼られるためには、自分にしかできないことを持つことです。裏を返せば
・不断の自己研鑽
につきます。

多くの人のネットワークで好かれるためには、
・みんなのために積極的に働くこと
につきます。

地域社会での人間関係で貸しをつくるためには
・多少のことがあっても、常に相手を許すこと
につきます。

この三つは、大変かもしれませんが、親が自分自身でできることです。他人を変えることをする必要もありません。その上で、子供社会を温かく見守りつつ、何かあれば、絶対的強さでその子を守ってあげることが大事です。極論すれば、いじめが発生するような学校であれば、行かなくて良いよってスタンスでも構わないはずです。

緊急避難的には、子どもにとっての最強の逃げ先になるのが親の務めで、誰が悪いとか彼が悪いとか責任のおっつけあっても一向に解決しないものだと思っています。ましてや、逃げ先であることを拒否するようなこともいけません。書いておきながら自分ができているかどうかは心もとないですが、目先の自分の子どもを守る手段としてはこれぐらいしか無いのが現実だと親の方が受け入れることが大切なのではないでしょうか。

40年間ありがとうございました

2012年4月 1日 00:00

40歳になりました。
変な話ですが、なんというか周囲の方々にご理解を頂き、また支えられ非常に幸せな40年間だったと思います。

裕福な家庭というのとは違うけど、いい家庭に生まれて、上流階級というのとは違うけど、いい友達に恵まれて育って。

愚昧な夫なのに、理解してくれるいい妻がいて、何もしてあげるわけでも無くても全幅の信頼を寄せてくれる目に入れても痛くないほどのいい子が二人にも恵まれて。

そして、自分のビジネスの理念を理解して一緒に仕事をしてくれる取引先や同僚やスタッフがいて、何かあれば一緒に酒を飲んでくれる全国各地の仲間や友達がいて。

なんちゅう幸せもんなんだと、本当に思います。

これで人生終わりってことはまずないんでしょうから、次はこの幸せをちゃんと次の世代に引き継いでいくのが自分の仕事だと思い定めることにしました。
以前にも宣言したように40歳からの仕事は形ある仕事をしようと思っています。だけれども、次の時代に、今まで自分が受けた幸せをちゃんと引き継がなければいけないし、そういうことに資するような仕事をやるべきなんだなと。もう少し、今のような形の無い仕事を続けることになりそうです。

こんな幸せな状態の癖に、「四十にして惑わず」などということも無く迷いっぱなしの人間なのですが、こういう次世代にいいものを引き継ぐという軸だけはちゃんとぶれないで仕事をしていこう。

皆様の益々のご指導ご鞭撻をお願い申し上げます。

天使の声は教科書にすべきではないと思う。

2012年1月27日 10:32

今朝Twitterで話題になっていたし、元ネタの東京新聞Web版も確認して改めて思うのだが彼女はあのような形で道徳の教科書にしてはいけないと思う。
決して、人に伝えるべきではない話だとか、価値のない話だとかそういう意味ではない。たとえばドキュメンタリー本だったり、小説だったり、TVドラマだったりであれば、遺族の許可さえあればそれはかまわない。
悲しい話だし、冷血な僕だって十分涙する話だ。二児の父としても同じ事態にあったら、と思うと遺族への同情心が起こらないわけではないし、彼女が生きた証がほしいと思う気持ちも察して余りあるぐらい。

だからこそ、どうしてそう思うのかを書きたいと思う。

マスコミに勤めていたときからずっと思うのではあるけれど、人の死の報道は何のためにやるのかということだ。生前のある種プライバシーまでひっぺ換えして、その人の死までの履歴をガシガシ報道するんだけれど、本来はその軌跡というか履歴を共有することで、次のそのような不幸な事件事故を再発させない手段を講じるために、個々人まで浸透させたほうがいいような事案だから報道すべきなのである。
冷たい奴といわれるかもしれないが、亡くなった本人や遺族への同情心や共感を生ませるために報道するものではない。そんな同情や共感なんて遺族や近親者にしかできないことだし、そんな心に踏み込むなんて偽善や心に踏み込む側の自己満足でしかない。
たとえば殺人事件。メディアが社会の公器をうたうならば、あくまで亡くなった方個人がかわいそうと思わせたり犯人憎しという感情をあおるより、その犯人がなぜ犯人になったことを把握し、どうしたらそういうプロセスで犯罪者を生まないような社会づくりを提言するのが本来の仕事であるはず。加えて、その部分が難しいのであれば、そのような被害にあわない対策の提言。それ以上の仕事なんて、メディアの仕事じゃない。

翻って今回の「天使の声」はどうなのかといえば、教育現場というのはまさに社会の公器そのもの。この観点で行けば、あの事件から使命感を持って働いて結婚間際の女性の死を単純に賛美して、感情だけを揺さぶっても意味はない。むしろ道徳なんかじゃなくて、同じ不幸を繰り返さない津波対策や、津波のときの心得こそ教える時間を割くべきだ。使命を果たすことと生き残るためのバランスこそ教えるべきことじゃないのか。
教材が教材どおり使われるわけじゃないし、現場の先生がその教材をどう運用するかの問題なのだから、教材化が絶対ダメということではないのかもしれない(その辺は「水からの伝言」とはちょっと違うところ)。
でも、個人的には、この話を聞いたときに真っ先に思い浮かんだのが、軍神といわれた広瀬武夫中佐。並べて論ずると遺族感情に反するのかもしれないけど、日露戦争の勝利に最も貢献した旅順港閉鎖作戦で、最後の最後、船内で行方知れずになった部下を探索して、そこで砲弾を浴びて死んでしまった話。すばらしい自己犠牲と仲間を思う気持ちが大切だということで戦前の教科書に入っていた話だ。新聞記事の中の教育主事のコメントが「使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」となっている。そのまんまじゃないかと。

この軍神賛美の中で、日本がどういう末路を歩んだか。少し学べばわかりそうなものだ。戦争反対と叫んでこういうことを一切学ばないのも結構だけれど、津波は反対運動をしたからってこないわけじゃない。軍事と社会ということから学ぶべきことはたくさんある。学ばないからこんな教科書への掲載をうかうかしてしまうんだと思う。
道徳でこんなトーンで彼女を美化して、子供らの目をそらして、本来立ち向かうべきことから目をそらしちゃいけない。彼女の死から社会として学ぶべきこと。それは確実な津波対策が必要であるという事実であり、全国民がしっかりそのことを理解して行動することでしかない。
できてしまった以上は破棄しろというつもりもない。ただ、この教科書が「がんばろう」とか「かわいそう」とかいう感情のあおりの道具ではなく、そういうことへの冷静な一歩への導入に、教育現場で使われると信じたい。

エネルギーと命と安心・安全

2012年1月 4日 19:48

ちなみに、弊社の社長はBLOGやソーシャルメディアの発言の数々を読めばわかるように、脱原発派ですが、私はそこのところは必ずしも同調しておりません。いろんな思想信条を持った人が呉越同舟で働くというのも、企業という組織の特徴なのかもしれません。

さて、僕もエネルギーのことを少し書こうかと思います。大前提として、太陽が無邪気に与えてくれるエネルギーを除くと、人類のほとんどのエネルギーはそのエネルギーを獲得するための一部の人に、その健康と死のリスクを押しつけることで成立していました。
北海道民としてしっかり認識しなければいけないのは、炭鉱という典型的な健康と死のリスクを押しつけられてきたことで、日本の高度経済成長がまずは成立していたという事実だと思います。炭鉱で働いてきた人は、落盤等々で死に至った方、粉塵等で健康被害がいまだなくならない方、等々はっきりと一部の隔離した人間に全てのリスクをおっかぶせてエネルギーを使って来ました。
次に石油の時代になりました。ボーリング採掘なので採掘での死傷率は炭鉱ほどではなくなっているのかとは思います。その分、運送時におけるタンカー事故など海洋生態系などへの大きな被害を生む可能性を増やしてきているはずです。
で、原子力なのですが、今回の事故を踏まえてかんがえると、採掘での死傷者は微妙なところですが、多くの人に少しづつリスクを播き散らかすという事態を生んでしまいました。
小さなリスクが広域にばらまかれて、炭鉱の時のように分かり易い集中したリスクが無くなったんだと思います。

良く似たものに、犯罪統計が挙げられます。昔は、犯罪は限られた繁華街などで起こってきました。と同時に非常に高い犯罪発生率でした。しかしながら、近年は犯罪の発生率等は本来減っています。にもかかわらず、不安感のある社会になっている理由の一つには、犯罪があらゆる場所で起こる様になってしまったということです。
要はトータルリスクは実は減っているけど、安全地帯と言いきれる場所が無くなってしまったということに過ぎなかったりします。
私は、この不安を生む構造というのは、今回の原発事故の不安の構造とよく似ていると思っています。要は、他者が引き受けてくれていたリスクが自分の眼の前にも起こりうるリスクなったというだけです。

原発を選択しなかったからと言って、エネルギーを使う人間は無罪放免かというと、僕はそんなことはないと思っています。どこまで行っても地球が貯蓄している地中エネルギーを利用することは、誰かの命を奪うということに他ならないと思っています。その誰かのリスクを一切引き受けないでいい自分だけ幸せなエネルギーを選ぶのか、それともリスクはみんな一緒に引き受けるエネルギーがいいのかというのは一つの選択の基準だと思います。
むしろその中で、トータルで命のリスクをどれだけ減らすことができるのかということだと思います。いわば生きるのに他人の命を奪うように、エネルギーを使うという行為は何かの命を奪うということなのです。命を奪わず生きることはできないという想像力が大事なんだと思います。

そういう意味では、私は親原発でも反原発でも脱原発でもなかったりします。少しでも命を奪わないエネルギー。これを苦しみながら全人類の英知を合わせて作っていくしかないのだと思っています。その観点で見た時に、今、火力にシフトして間に合っているじゃないか、だから脱原発だ、というのもいささか短絡に過ぎるな、というのが私の感想です。間に合うかどうかではなく、自分が出会うことのない命へのリスクはどれだか高まっているのかな、という判断こそが大事なのではないでしょうか。

昨日のばたばたの整理(自分のメモ)

2011年9月16日 17:45

昨日からいろいろあって、自分のメモ代わりに残します。

1.メールが届かん。
というか、メールサーバーが落ちているという話ではなく、必要な方から来る必要なメールだけが届かないという不思議。しかも自分の個人ドメインじゃなくて出先のメールに送ってもらってもその現象。それで情報があったりなかったりでドタバタ。次の件もそれがらみな雰囲気。どうすりゃいいねん。

2.Twitterにログインできない。
突然なりました。ところが携帯で設定しておいた簡単ログインのおかげで、携帯からは使えます。
なので、パスワードの再発行をかけたところ、その手続きメールが来ない。ヘルプデスクに投げたけど、自動返信のメールも来ない。危険なツイートは止めなさいという神の啓示なのでしょうか。

で、まぁ、こんな状態で外出したわけですが。

3.某区役所様でお仕事がもらえそうになる。
お付き合いのある、自営業者仲間が区の偉い方をご紹介くださったので、区役所までお伺いしました。SNSのお仕事と伺って行ったのですが、なんと、仕事のテーマ名称は「帰宅困難者支援」。あらら防災ネタですか。最近それがらみの仕事ばっかりだなぁと。とはいえ、ガチで絡んでいる領域なので、仕事としてはいつでもお受けしますとお伝え。で、僕をどうやって見っけたの、という話になったら、なんとFaceBookで見つけられたとのこと。意外と役に立つのねと実感。

4.福島県の飯館村の現状を知る。
区役所の訪問の次は、本陣なるところに行きました。そこで、福島県飯館村で様々な支援活動を体を張ってやっているNPOの仲間の報告会に参加。遅刻したんですけど、一通り聞いて帰宅。これはメモでどうのこうのと言う事ではないので、概要はすっ飛ばし。
一応、この歌は聞いとけって感じなので、YouTubeのリンク

5.日程とか書類とか一杯来る。
そのお話の途中に電話が数本。いくつかの日程が提示され、すべての日程が不可で、その上いくつかの書類が送り届けられ、それらのチェックをしろと。先の話を聞いてる間に携帯で色々チェックしたり、Twitterの復旧のチャレンジをしたりとバタバタもがく。脳みそ破綻しそう。

で、本日になったのですが何一つ解決せず、ダラダラと過ごす体たらく。
とりあえず、自分アカウントのTwitter(@mfuna)は潮時と言う事で止めることと致します。とはいえ、ログインできないんで削除もしませんけど。あ、その他のお仕事アカウントは利用しますけど。
あとは地道に、今日明日かけて、書類のチェックをすることとします。はい。


---
(追記)
結局、Twitterは原因がよくわかりませんが、無事復旧しました。皆様どうぞご利用下さい。

アイリンクへのお問い合わせ

お問い合わせメールフォームはこちら

2016年12月移転 北海道旭川市神楽1条7丁目4−8 お問合わせはメール・SNSアカウントで mail
  • twitter
  • facebook
  • google
  • noimage
  • noimage
  • noimage