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学問とか連携とか

産産官連携とか

2006年4月15日 11:53

朝からお買い物。特売。
結構、懸命に買い物。インナーを大量購入。
お店の隣にある終了したはずのA-COOPが騒がしい。行ってみたら、産直市とかいって復活している。なんか、普通のJA産直市になってる。そこでぶらっと買い物していると、見たことの無いインスタントラーメンを発見。
家内が子供の頃なじみだったラーメンらしい。なんでも復刻版のようだが、その昔からの製造発売もとの他に、なぜか、JAと地元で有名な御豆腐工房の名が併記。どうも、地産地消運動で有名なこの豆腐工房が、自社が使う小麦をJAとタイアップして、製造を止めちまったインスタント麺を作っているメーカに話を持ちかけたモノのようである。で、おまけにそのラーメンブランドを冠した、スナック(ベビースターラーメン風きらず揚)は、その御豆腐工房から出すという巧みさ。こいつを図式にすると

企画の流れ:豆腐工房→JA、製麺会社
材料の流れ(小麦):JA→豆腐工房(きらず揚)、製麺会社(ラーメン)
材料の流れ(スープ):製麺会社→豆腐工房(きらず揚げ用)
販売の流れ:製麺会社、豆腐工房→JA(麺、きらず揚げ)→JAショップ
     :製麺会社→豆腐工房(麺)→ショップ+ネット

という3社連携に他ならない(と、思う。ちゃんと取材はしていない)。まさに、JAなんか官みたいなもんだから、産産官連携みたいなものだ。
この商品を見て、これはすごいなぁと思った。何がすごいって、これを、連携だ!助成金だ!マスコミだ!マーケティングだ!と大騒ぎして、世間をお騒がせして作るのではなく、ひっそりと作って、ひっそりとリリースして、ひっそりと売れていくということである。で、「これを作った」というだけの事実でお金を得たり、名誉を得たり、出世を得たりすることは無くて、「結果として十分売れた」という事実のみをもってして、各社の利益を創出する以外に何も無い。

じつは、どんな連携でも、こういうことが普通に出来ることが大事で、僕らみたいな中間支援者が「あーでもない」「こーでもない」としゃしゃり出ちゃいかんのだろうなぁとか思う。ちょっとした紹介と、ちょっとしたアクセントつけだけ出来ればそれでいいはず。

非常に感動した商品でした。
夜はなぜか家内と黙々と家紋調べ。うちは「丸に揚羽蝶」という奴です。

自分でやれ

2006年4月 4日 11:43

最近、色々な製品の製作にかかわる打合せに出るたびに思うんですよね。

仕事柄、「こんな風にしたら売れるかな」とか「いくらぐらいだったらいいのかな」と、メーカー系の人間が雁首そろえてマーケティングを考える集まりが多い。
そのたびに、いくつかあきれるのが
・自分で使ったことがない(使う予定もない)
・自分で作ってみない(他人が作る予定)
で、驚くべきことに

・自分で売るつもり

だったりする。
私としては「そもそも、あんたたちメーカーでしょ?」とか言いたくなるわけだ。
おまけに

・お客様に受けるような内容にして
・ブランドは統一したい

とか、とんでもないことを言い出すわけだ。そんな腰の据わらんものはブランドとしてそもそも成立しない。ブランドの基本は「一生もの」でずっと変わらぬものである。よって客に受ける受けないなど気にしている奴には、基本的には作れないものだ。

で、どうすりゃいいんだ、となるけど、答えは簡単だ
・自分が毎日使うものを
・自分が納得するだけ徹底的に改良して
・作って
・使ってみる
ということだ、これが実はメーカー系の人間が出来る唯一無二で最安値で最強のマーケティング手法だ。流通の言うことなんか聞くな。おまけに流通のすることなんか真似するな。
実はこの4条件にはミソがある。それは「自分が自分に妥協しない」ということだ。それは品質だけではなくてコストでもそうだ。自分が毎日使えるコストで自分が満足できるものを自分でつくるのだ。
こうすることによって、機能、品質、価格の3要素に関しては、少なくとも1名については完璧にマーケティングは完了している。

あやふやに、「どうしたらお客に受けるブランドになるか」なんていう会議を繰り返すよりよっぽど確実である。人間、一人納得できれば、世界中全体ならそれなりの人数がいるはずである。なので、そうして出来上がったものを、ネットなり何なりに載せればすむ。
でも、普通に考えてみて、ビトンやらなんやらファッションリーダーといわれるブランドの大半は、実は「一生もの」を志向して作られている。そこに、客受けというなのお客への媚も、自社への妥協もない。

そして息長くその製品を作り続けることがブランド化への一歩である。それをするためには、上記の4条件に「手元にあるもので」を加えればそれで十分だ。何も変わった材料なんか必要ない。

毎日美味しく食べているもの、毎日楽しく使っているもの。毎日にどう肉薄するかがブランド化のカギである。別にかっこいいデザインがブランドの本質ではないし、ましてやロゴなんかなんでもいいのだ。
それ以上の売り方は、それこそ流通の奴らに任せれば良い。メーカーが独自商品を開発するのに「流通の真似」はしてはいけないのである。

吉田メタパラダイム論に対する3つの疑問

2005年11月 2日 10:09

日曜日の勉強会と学会発表は何の会合だったかというと情報社会学学会という代物です。そこで私サブのサブで発表したのですが、メインの話題が、東大名誉教授の吉田民人先生の「大文字の第二次科学革命」という内容でした。
時間と私のほうの整理がつかずその場で聞けなかったので、とりあえずメモを残します。

吉田メタパラダイム論の主張
1.個別科学のパラダイムシフトは論じられていても科学全体のパラダイムシフトは論じられていない
2.既存の科学全体のパラダイムと呼べるものの構造は、「物質やエネルギーという対象物とそれを律する法則によって世界が構成されているという考え(信念)」
3.このパラダイムでは、ゲノムを中心とした生物科学の生み出す秩序現象や、人文、社会科学の様々な現象に対する十分な説明や理解を提示できない
4.新しいパラダイムとして「物質やエネルギーという対象物とそれを律する法則に加え記号によって記述されるプログラム(ゲノム情報や社会規範、常識、ルールetc)によって世界が構成されているという考え(信念)」を導入すべきである。
5.この2と4をそれぞれメタパラダイムと呼び、2から4への転換を第二次科学革命と呼ぶ。加えて2を古いメタパラダイム、4を新しいメタパラダイムと定義する。
大雑把に書くとこんな感じかとおもわれる
#多分詳細は、そのうち、情報社会学会のWebにアップされることとおもわれます。
#この理解が正しくないかもしれませんので、そちらでご確認下さい。

このパラダイムに対する三つの疑問

1.プログラムは実在か否か
どんな科学哲学的立場を取ろうとも、目の前にある物質やその物質付与されている性質等は実在として取り扱われる。プログラムという概念は、こうした意味合いにおいて実在なのか、それもとも「科学的記述の一環」として、それぞれの信念や立場で「実在であったり実在でなかったりする」ものなのか?

2.反証に対する棄却は法則に働くのかプログラムに働くのか
新しいメタパラダイム内で科学理論の正しさを知るためには、あるプログラムAとある法則群aを組み合わせて、一定の予測をしそれに対して実験的結果を得て、検証なり反証なり実証なりを行なう事になるはずである。
A+a→B
という予測が立つ時に、結果がCになった場合、その間違いの原因をプログラムに求めるのか、法則群に求めるのか、両方とも棄却するのか。その辺の研究計画に対する指針が不明瞭に感じられる。

3.社会科学におけるプログラムはまさにパラダイムそのものではないのか
クーンの定義する所におけるパラダイムというのは、その人の行動や考えを律するようなコミュニティ内のルールや規範(明文化か否かは別で)でもある。そう考えると、社会科学における各種のプログラムというのは、クーンの主張する所のパラダイムそのものであるはずである。クーンの主張したパラダイムをプログラムと呼びかえれば良いのか、それとも、クーンの主張のほうを書き換え、彼のパラダイム定義を修正すべきなのか。


たまにはまじめなメモということで。

微生物ハザードの恐怖

2005年6月23日 16:44

最近、仕事で食関連のことにかかわっている。
そこでよく出てくるものが二つあって、一つは遺伝子組換食品、もう一つはEMを中心とした有用微生物群の話。大方の話を要約すると、「遺伝子組換は悪」「EMは善」短絡的な思い込み。

1.遺伝子組換の食品は安全性評価が不十分(と思われる)。
2.遺伝子組換の植物の種子は風に乗り広まって、遺伝子汚染が広がる(可能性がある)。
3.よって、遺伝子組換の推進は止めるべき(に違いない)。

この3段論法は、ある面で非常に正しい。
これを主張する人は、次の3段論法をどう思うだろうか?

1.土中微生物環境が変遷した後の植物が産み出す代謝物の評価は不十分(少なくとも遺伝子操作食物より検証は不十分)
2.EMをばら撒くことによって土中微生物環境が変遷する(遺伝子組換えされた遺伝子が広がるより圧倒的に高い確率で広がる)
3.よって、EMの推進は止めるべき

実は、この3段論法への反論の多くは
・EMは天然物だから、天然物と植物の相互作用だから安全な代謝物になるはず
(1への反論)
・EMは天然物だから、土中微生物の生態系を再生するだけで破壊しない
(2への反論)
というもの。

多くの天然物毒は、青酸カリをも凌駕する殺傷力を持つ。人工毒なんてかわいいもんだ。これをなぜ彼らが産するかといえば、他の天然物から身を守ったりテリトリーを保護するために作っている。いわば、もともと危険であれ安全であれ、代謝物というのは、自分以外の天然物との相互作用で生まれるものだ。

ブラックバスは天然物だが、日本の生態系を徹底的に破壊してきた。マルハナバチは養蜂を助けるため、マングースは沖縄のハブ対策に。多くの帰化植物、帰化動物はそうして、日本の環境をぶち壊してきた。
微生物生態系というのは非常に微妙で、未解明な部分は多いが、そういう生態系があるのははっきりしている。極論すれば、その地域にない種菌で構成されているEM(EMの出自のストーリーをよく読めばそれは一目瞭然)をばら撒くというのは、その生態系に、ブラックバスを放つようなものである。微生物系が一様になれば、その上の植物や小動物の系も一様になる。そしてその上のそれらに依存する生物群も当然一様になる。根底から再起不能なぐらいに、徹底的に生物多様性を破壊する手法でもある。
天然物ではあるが、その地域にはいない外来種なのだ。

確かに、土中微生物が育たないほど汚染された土中に対して、ある程度投じるのはやむをえないだろう。しかし、すでに豊かな農作物が育つ地域でそんなものをばら撒くのはどうかと思う。
微生物ハザードと呼ぶ以外ありえない。

土中の性質を均一化し、生物多様形を崩壊させ、作られる農作物の味を均一化(農作もとの味は、種よりも土と育て方で決まる側面が大きい)する。こんな社会が、安心安全といえるのだろうか。

山賊の山分け

2004年7月 1日 16:30

他の日記でちょっと企業理念に関するやり取りをしたんで、今日は日記というよりはその話。

IT関連の企業をコンサルしていて思うのは、企業理念があるようでない人が結構いる。そういう方が共通して言うのは、うちの企業理念は「コミットに応じた適切な利益分配」という。分配の算定基準やらコミットに関する考え方こそ、人それぞれなんだけど、企業理念が分配方法ってのはどうかなぁと。
もっと言えば、公明正大な報酬の支払方法ってのはどんな企業でも本来あたりまえのことで、改めて企業理念としてうたうことですらないと思う。別の理由で明文化は必要だけど、それは企業理念じゃない。単に人事考課のルールだ。
しかも売り上げがなければそんなのは、ただの絵に描いた餅。分配以前のことが大事ってことになる。端的に言えば、自分の会社がどういうことをして、社会やお客にどういうメリットを与えるかってことだ。
それが社会やお客に受け入れられれば基本的に法人として存続する価値のある企業体になるし、受け入れられなければ(受け入れられなくなれば)そもそも不要な企業体ってことになる。そこで、一つ売り上げが立つかどうかが決まってくる。

ITって商品の性質上、意外とそういう旗印を自社独自で作るのって結構難しかったりする。また、そういう起業をする方が若い人が多く、そういうことを深く考えないで起業されていることも少なくない(私も人のことは言えませんが....。)。また、企業からのスピンアウトの場合、そういう公平さが欠けていると感じて起業される方もいてそれ自身が理念化しちゃいやすい。

こういうのを見ていると、「取らぬたぬきの皮算用」のお話を思い出す。山賊がたぬきを取る前に分け前の話をするって奴。いわば山賊の山分けの方法が理念になってしまっている。たぬきをどう取るとか、そもそも捕る獲物はたぬきなのかとか、みんなすっぽ抜けているこの山賊と一緒。

起業した時にちゃんと持っていなくても、後から着いてくる人もあるんで、企業時から必須かといえばそうではないと思うんだけど。
でも、自分がコンサルしていて、IT企業の場合、この「山賊の山分け」脱却できた社長さんの会社はぐいぐいと伸びていく。脱却できない企業は、どんないいコーディネイトしてあげても無駄。

とはいえ、私のコンサルティングのスタイルの方が問題があって、山賊の山分けの人でも大成する方法があるのかもしれませんが....。

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