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学問とか連携とか

日本の産業界はそんなに情けないのかねぇ

2007年11月 5日 12:49

産学官連携とかいうお仕事を、ここ何年か成り行きでしてて、この1年ちょっとは、大学側からその活動を支える仕事をしているわけなんで、こんなことをかくのもなんだかなぁと思うのだが、ちょっと書きたいので書く。

僕の手元に「イノベーションの創出に向けた産学官連携の戦略的な展開に向けて」なんていう冊子がある。僕自身は、産学連携はドンドカやればいいと思うし、積極的に展開してほしいと思う。それはこういう仕事をやっているからって言うだけじゃなくて、一国民という視点においてもそうだ。

ただ、この冊子を改めてみると、「もっともなんだけど、そうなんですか?」という気持ちがどうしても出てくる。
だって、「大学側が売れるシーズを整備して、官界がそれを利用するリスクをとるから、産業界の皆さん、シーズ使ってくださいね(はぁと)」って書いてあるようにしか読めないわけだ。
そうすると、日本の産業界ってそんなに情けないの?って思えてくる。

市場経済の中の個々の企業体(特に株式会社)ってのはリスクを社会でとるため仕掛けだし、なにが社会が欲していて売れるかを選別し、そのリスクをとって製造販売していくのが産業界を構成する企業の仕事でしょうが。「あなたの仕事と責任を全部持ってあげるね」って言われたら、いい大人なら小馬鹿にされた気がするんじゃねぇのかなぁ。
それとも、委員会の中には産業界の人もいらっしゃるので、ひょっとして、産業界のいい大人がこんなことを、学と官に集ったのなら恥ずべきことだ。

どう考え立って、産学官連携でやることは、産の人間が学の中をうろうろして売れるシーズを自由に探すうえでの相互衝突の解消ルールを決めること、産の人間が学の知財を利用したときに学に対してどういうリターンを出すかを法的に指し示すこと。この2点で必要十分なはず。これはまさに官の仕事ではある。この背反解消やら書類整備やらまで大学やりやがれって、あなたの本業はなにさ。助成金って言う税金によるリスクマネーの投資ではないでしょ。
その上、学にシーズ整備なんかさせて産業界は恥ずかしくないのかね。学のほうが売れるものを産業界より知っているって宣言されているってことだ。

とにもかくにも、この文面どおりの産業界であれば、日本の産業界は恥ずかしい。「官と学におんぶに抱っこでぼろもうけしたい」という無責任な姿しか見えてこない。
まぁ、官からの報告書なので、産業界を貶めたいだけかもしれないけどね。

昔思ったこと:受験制度にNOを言った産業界

2007年9月 6日 10:52

昔、以下のコラム書いたんだよね。
http://www.fsinet.or.jp/~mfuna/syakai/hihyo24.htm

今じゃログインできないサーバー内で、元ファイルを取っておいてあるはずのPCも再起不能状態なので、ほとんど、日付情報がないんだけど、これを書いた日付は1998年7月23日ってことはわかる。本文に書いてあったから。

再録しようと思った理由は、このコラムの元ネタになった記事の元ネタになるリリースを、たまたま社会生産性本部のWebでこの提言を見つけたから。
http://activity.jpc-sed.or.jp/detail/lrw/activity000795.html
で、読んでみると、この提言の要旨の中の
<1>公立の小中学校の学区制を廃止して、家庭(親・生徒)が学校を自由に選択できるようにする
<2>校長のリーダーシップを十分に発揮して、教師との連帯による教育ができるように校長に学校経営権を与える
は、なんちゃら再生会議でも論じられているんだよなぁと。でも、実際はこの提言のポイントは、この要旨の中の<1>、<2>をやるにしても、以下の<3>、<4>がないと機能しないんだよな。多分。なので、歯抜けなんだわさ。と改めて思ったので。
要は最も重要なところをやってないんだよね。で、わけのわからん教育改革が横行して混沌の極みとなっているわけだ。
今でも思うけど、ここの本丸を崩してこその教育意識改革になって、そこから始めて本当の教育改革が議論できる基本環境が出来るんだよなと思う。

特に、これの大学改革の概要はすばらしく
項目だけ引用しますと
  4.大学の改革
   <1>学生定員を廃止して、入試をなくそう
   <2>学費制度を改革し、奨学金を充実させよう
   <3>大学の流動性、機動性を高めよう
となり、夢物語チックですが、実際は現実性を帯びた提言となっております。なぜ、あのころ日本の国家はこいつに挑戦しなかったのでしょうか。

ただ、悲しいかな、文部省が文部科学省になって、国立大学が国立大学法人になるような流れの中で、ここに書いてある大学改革が今出来るのかという気分的にはかなり絶望感が漂います。ある意味、真逆に走っておりますので。

で、サーバーから中身がなくなったときの対策用に、以下自著コラムを原文のまま。かなり恥ずかしいですけど。
ただ、読み返してみると産業界はその方向に向かってやることやってるんですよね。やっていないのは、誰と誰とは言いませんけど。
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NO!と言った産業界


本日(平成10年7月23日)の東京新聞に「社会経済生産性本部提言」が掲載されていた。
この内容はまさに、私が述べてきた文部省の政策に対する批判が、そのままと言っていいくらいの形で述べられている。
この、社会経済生産性本部というのは、経営者や労組の代表で構成されているグループだ。
まさに、産業界からの提言なのである。
彼らが述べたのは、学区制の廃止、高校大学の受験の廃止など、革新的な教育構造の改革なのである。学校教育の個性化と自由化による競争原理の導入である。
細かい内容や議論は他に譲るとして、ようやく、産業界からも、教育への提言が出てきた。

今までの既存の教育構造の擁護者の論法の一つに

産業界が望む人材を輩出するために現在の制度がある。
よって、産業界の要請が変わらなければ制度は変えられない
と言うのがあった。
もはや、この論法では、現存の制度を擁護できない。
受験システムに対し、産業界のすべてではなにせよ、産業界は明確なノーを突きつけたのだ。

長いこと、産業界が求めている人材と、東大を頂点とする教育ヒエラルキーから生み出される人材が、食い違う時代が続いていた。
それは、バブルの頃からささやかれていた。
が、産業界からの提言が無いばかりに、彼らは、今まで、「いらない人材」を国から押し付けられていたのである。そして、「いらない人材」をため込んだまさにそのタイミングで、この大不況に襲われたのである。

非常に残念なことだが、確かに、この提言は重要だが、遅いのである。
人材が育つのには時間がかかるのだ。
この点は、産業界は猛省すべきである。
目先の金もうけに追われ、的確な提言をすべきタイミングを逃したと言っても過言ではない。
もっと、国に活力と余力のある時に制度を改革しておくべきであったろう。
しかしながら、遅くとも、やらないよりましな事は確かである。
ぜひとも、斟酌し、次期内閣にはこれを受けいれ、実行していただきたいものである。

そして、この提言が、的確に実施されるには、産業界自身の、意識改革も大きな問題となる。

奇麗事を言っても、結局採用は、学歴と、学校歴で決まる
などといわれないような、人材採用が必要不可欠となる。
ほぼすべての業種において、履歴書から学歴欄を消すぐらいの意気込みが必要だ。
産業界が、受験を不要というなら、彼ら自身が、勇気を持って、その範を示すべきだ。
まさに「就職試験からの学歴の一掃」の実行こそが、まずはじめに、求められてしかるべきだろう。
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青年の主張の出来損ないみたいでこっぱずかしいコラムだわい(苦笑)
たまに、この恥さらしシリーズでもやりますかな。

一番の支援は買うこと

2007年9月 6日 10:51

最近、夢やらビジョンやら持って起業した人たちと一緒に仕事をすることが多い。

もともと、僕自身、夢を持ったらその夢に向かって素直に頑張れる社会を作りたい、と思って生きてきたし、そうして本当に夢に頑張っている人を応援したいと思ってやってきている。
他方で、自分自身の夢の実現はちょっとばかり(ちょっとばかりがずいぶんたっちゃったような気もするけど)横によけているところもある。それ自体は自分の勝手な都合でやっているので、他人に対してどうこう言う話ではない。
そういう理由で、空っぽの道具に徹してやってきているんだけど、気がつくと世間の状況はだいぶ変わって、夢の実現を支援するような起業支援なんかが増えてきている。

そういう支援を横目に見ながら勝手にいろいろやってきているわけだけれど、ちょっと首をかしげることが多い。
やっぱり、自分が好きで頑張ってきてそれを突き詰めていけばご飯が食べれている、という状況が理想的なわけで、ご飯が食べれる一番の理由は、好きで頑張ってやっていることを「自分のメリット」と捉えて買ってくれる人がいるから飯が食えるだけのことだったりする。
ここをシンプルに捕らえると、用は気に入ったサービスや商品を買ってお客になることが一番基本的な支援である。

ところが最近の支援というのはなんだかおかしいものが多くて、その商品を使ってあげることもなく「パッケージを考えてやる(有料で)」や「サンプルをよこせ(無料で)、俺が宣伝してやる(有料で)」や「客の嗜好を俺が調べてやる(有料で)。その上で指導もしてやる(有料で)」というものが大半。で、こういうことを言う輩が寄って集って「俺はあの商品のファンだ。支援してやってるんだ」とか言う。そりゃ支援じゃなくて商売だろ。その人の稼ぎがない中から奪い取る姿勢は支援といわない。堂々とコンサルティング業とかパッケージデザイン業とかPR業とか普通に商売として商売してください。
挙句には、自分が何もしていないくせに、なんかの雑誌にその商品が掲載されたら「俺が口利いてやったからだ」ぐらいのことを平然と抜かす。ここまできたら商売どころか、ただの搾取。こういうあきれた輩が横行している。

でも、本当にそこの商品が気に入っているなら、堂々と買ってあげればいい。でも買わないという人もいる。その商品(もしくは作っている人)のファンなのに何で買ってあげないの?とか思う。
どこに売っているかわからない?/作った人に聞けばいい。
その人が恥ずかしがって売ってくれない?/頼み込めばいい。
自分だけ買うのも格好悪いし....。/本当にファン?
お値段が高いし。/いくらなら買えるか交渉したり、みんなで買う努力とかすればいい。

好きなことで食えるという社会を見せるためには、彼らに食ってもらわないと困る。だから僕は、財力も行動する時間も無い文字通りの貧乏ヒマなしだけど、結構日本中を走り回って、好きなことをやって新しいことを生み出している人にたいして「サービスを買ってあげる」相当のことを出来る限りしている。
僕よりお金があって時間があって人脈があるような人が、支援の名の下に、好きなことで食っていこうと頑張っている人を食い物にしている様をみるのはちょっと悲しい。まぁ、好きなことで食いたいのだからそういう人を見抜いて生き抜く強さも必要なんだろうけど。

その商品を応援したいという人のやるべきことは簡単だ。その商品を買ってあげる。そして出来れば建設的なクレームをその人に伝えてあげる。人目を気にせず、これを黙々とやっていける人が本当の支援者だし、本当のファンだと思う。
自信を持って「自分の求める社会像に必要と思う商品やサービス」を買っていく、これを繰り返せば必ずいい社会の半分が作れる。利口な消費者としての市民のあり方だ。いい社会を作るのに変な事業を起こしたりなんだりという強迫観念に駆られる必要はない。

7年ほど支援まがいのコンサル業をやってきて、支援としては「商品を自分が必要なだけ買ってあげる」何よりもこれに勝るものはないと実感している。コンサル業はコンサル業、支援は支援なのだ。

それって楽しいですか?

2007年8月21日 10:47

某BLOGで、ミッションの中身を伝えるのにどうするか、ということについてちょこっとコメントして、ふと思ったことがある。そのコメント自体は「中身を伝えることも大切だけど、楽しそうにやっている様を見せること自体が大事」的な内容だったりする。

まぁ、僕の仕事事態はある種の翻訳業みたいなもので、中身を分かりやすく伝えることが大半なのだけれど、中身そのものを伝えても、肝心な何かがいつも伝わらないなぁと思うわけだ。特に、文章だの映像だのとパッケージ化してしまうとなお伝わらないわけだ。
編集さんなりクライアントさんなりがOKをくれるし、読者から感想が届いたりもするのだから、分かりやすくは書けているんだろう。けど、なんかしっくりこないわけだ。

多分一番大事なのは当事者の、わくわく感というか、楽しんでいる感じというもので、こればっかりは当事者じゃないと分からんところがある。メディアのジレンマみたいなもので、当事者になっちゃうと伝えるべき第三者の気持ちが分からなくて、上手く伝えれない、というもの。でも、これは、見事にパブリックアクセスといわれる試みが打ち砕いてきた。当事者が自分で映像を作ってしまえばいいし、それでも伝わるものは伝わるということ。
とすると、必要なのは当事者がどれだけわくわく感を持って事に当たっているかどうかが大事ということになる。

ということを考えながら思ったのが、なんでがちがちのメディア上がりの僕がこんなことを思うんだろうってことだ。最近は、面白そうにやっている人を捕まえてきて、飾らない感じで、その本人をただ楽しませればいいとか思っている。これを見れば、伝わる人には伝わるだろうし、伝わらない人には伝わらないんだろうなと。
なんだかある種の職務放棄チックなんだけど、本当にそう思うわけで。

大学4年生のときの研究発表のときに、かなりちゃんと発表できて受け答えも完璧だった(実は熱があって本人はあまりよく覚えていない)。研究内容だって結構いい線いっていたと思う。このときに、某講師の方が、一つだけ質問をした。
「発表は良く分かったし、いい研究だと思うけど、君はこれをやって楽しかった?」
なんか、この質問に、上手く回答できなかったことを覚えている。
確かに研究そのものは、結構楽しんでやっていた。その研究テーマに行き着くまでに若干紆余曲折があったので、気持ち的に心底楽しめていたかどうかは分からないけれど、結構、研究そのものは楽しんでやった。
が、僕の発表は多分、研究内容は伝わる内容だったけれど、その研究の楽しさは同期の誰よりも伝わらない内容だったんだろうなと思う。なので、そんな質問が来たんだろうなぁと。
多分、あのときの僕が下級生に研究内容を説明したら、内容は良く分かってくれるけど、きっと誰も後輩にはならなかったんじゃないかと。他の人の内容はわからなくても、その研究に関して後輩になってくれるんだろうなと。

「伝える」というのは、使い捨ての「伝える」ではなく、できれば次へ継承するために「伝える」であったほうが良いんだろうな。そう思うと、大事なのは内容を噛み砕くことでも、高尚な内容を論理的に隙なく伝えることでもなくて、「それって楽しいですか?」という問いに、全人格を持って「楽しい」と答えることができる人そのものを紹介することなんだな。きっと。

仲介業いろいろ

2007年8月15日 10:43

おとといの飲み会で、話題になったことをまとめるという程度のエントリー。
なので、僕一人のオリジナルな意見のエントリーというわけではないと思う。

たいした内容じゃないんだけど、パケットを次の機械につなぐ仲介機として、ネットの世界だと、大雑把にHUBって代物と、ルーターって代物がある。んだけど、じつは、この二つは結構違う。

HUBは入ってくるパケットをつながっている全ての機械に対してダダ流しをする。
ルーターは、入ってくるパケットを次のネットワークに対して、つながるように変換をしてから流す。で、いらないパケットはちゃんと破棄して、次のネットワークには流さない。おまけに最近のアプライアンスの発展によって、ウィルスパケットやら不正なパケットを検出までするような輩もいるぐらいだ。

これをヒトの仲介に取り替えてみると、HUBみたいな仲介業ってのは、目の前にヒトがいれば何も考えずに自分の知り合いに片っ端から紹介してしまうスタイル。時には、こういうこともいいんだけれど、その人に関心がないのに紹介されてもうっとおしいし、その人が実はろくでもないやつだったときに、結構迷惑。

他方、高機能ルーター的な仲介業ってのは、その相手を良く見て、本当に必要な相手だけにつなぐ。で、加えてろくでもないやつは、過去のパターンなどをよく把握して、きちんとお断りしちゃう。きちんと相手を見て、つなぐべき相手に必要なカタチにしてつなぐというわけ。
まぁ、ちょっと考えてみれば、これが普通の仲介業なんだろうなと。それにしても、HUB的な自称仲介屋ってのも多いことか。

ちなみに、僕は仲介屋じゃないので、ヒトをつなぐときは限りなくHUBです(^^;

あと、スイッチングHUBはどうなのよという、コメントがあったので回答しますと、おそらく、リクエストのある相手にだけつなぐという点では、ただのHUBよりましなんでしょうけど、フィルタしないのでやっぱりロクでもないやつにつながる恐れは相変わらずです。

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