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学問とか連携とか

それはさすがに浅ましいだろう

2009年11月25日 09:47

仕分けの作業で、予算がなくなったスパコン研究者が派手に記者会見を開いていたんだけど、あの権威ある先生方に言いたいのは「さすがに浅ましいだろう」ということ。
正直、前にも書いたけど、国家の事業仕分けにおける知財関連の無軌道な削減騒動は、それ自体いただけないことだし、スパコンだけでも予算が復活すること自体はよしと思う。

でも、今回の知財関連の予算削減で最も問題なのは、次世代の知財メーカーとも言うべき若手研究者関連予算がばっさり削減されることだ。本質的に学にもとめるものが、目先の金になる知ではなく、金になるのが今後100年なのか200年なのか分からない未来の知を生み出すことにあるはずであれば、学の社会こそ、次世代投資こそが重要なはずだ。
若手たちがこんな状況なのに、いい歳して、「自分の飯の種返せ!」とステージで叫んでいる様は、浅ましい以外何者でもない。
むしろあんないい歳した研究者コミュニティのボスであるなら、あのステージで訴えるべきことは違うはずだ。スパコンという目先の研究をつぶしてでも、研究者の次世代投資こそが重要だ、というべき。

大体、どこの世でも、ボスの仕事は下を食わせること以外ない。下を食わせることこそが、ボスの存在意義だ。そのボスが、下を飢えさせているのに、俺だけ食わせろというのは、あまりに浅ましい。そもそも、あの世代の教授どもは、全部とは言わないけれど、研究費を国からもらう一方で、組合活動に現を抜かして、でその組合活動を支持基盤にしている政党が政権をとったら研究費を奪われたという話なので、自業自得以外なんでもないだろうとか思う。その自業自得を棚に上げ、恥ずかしげもなく、俺の飯の種よこせ、なんて良く言ったもんだ。

日本の年寄りってのは、年金問題にせよ、今回のスパコン騒動にせよ、次世代よりも自分が食うことしか考えないのかと声を荒げたくなる。いい加減、自分の浅ましさにまず皆さん気がついてください。その浅ましさの末路がこうなっているだけですからね。

日本の知財はどこへ行く

2009年11月24日 11:51

仕分けたたきのコラムの続きです。変な話、仕分け自体を否定したことを言っているのに、その内容を四の五の書くのも変な話なのですが。
仕分けの時もそうですし、麻生補正つぶしのときもそうなのですが、徹底的に知財というものを潰すことしか考えていない取り崩し振りです。国を成り立たせるものとして、一般に食料、エネルギー、軍事、そして近代国家以降であれば国家独自の知というのが、必要不可欠とされます。日本はすでに、始め三つは自給を捨て、他者依存を決定しているわけです。唯一の独立国家としての矜持になるであろう、知をどうするのかというのは、非常に重要な話なわけです。

ところが、これまた恐ろしいのは、日本の知財を今後生み出さないという方向性の恐ろしい仕分けセンスです。特に知の根源ともいえる研究というものについて、積極的に削減しようというのだから驚きです。とにかく、大学以上の教育と研究からお金を削る姿勢です。
高校の無料化はいいとしても、大学にいく一部の家庭のメリットにしかならないから大学という間口へのカネを出すことが許せないとでも言うのでしょうか。若手研究者の助成金は減らされ、先端科学技術への投資も削られています。国家が知財を増やし、人材を育成することで国が富むという発想はないんでしょうか。その富んだ国の中であればこそ、学歴があろうがなかろうがより幸せになれる社会が出来るとは考えないのでしょうか。

そんな発想で、今の政権に票を投じた人々だとは思いたくはありませんが、なんだかそういう気がしています。あくまで、公益の主幹は「みんなの構成員の俺が幸せになるためにカネをまけ」ではなく、「各構成員がみんなのためにお金と労力を出して全体の幸せの底上げをする」ということにあるはずです。
文部科学省管轄において、高校無料化はOKだけど、研究費用はそのためにつぶれてもいい、という政策判断は、国の根幹を誤る愚かなことだというのは、もっと声を大にして言うべきです。むしろ、大学院まで無料化にして研究費こそ潤沢につけるべきです。そして、それこそ、それ以外の別省庁の管轄枠からその予算をひねり出してこそ価値のある改革です。
官僚を批判し、省庁の縦割りを批判する割りに、省庁間の予算バランスや省庁内の予算の削減率ばかりでものを見るのはいただけないものがあります。

それにしても、このまま「研究をしない国家」という、知財の未来のない国を作り出してこの政権は日本をどうしたいのでしょうか。

元気でいるのが大人の責務

2009年11月15日 09:31

昨日は、幸田町というところまで行って、久々にいい講演を聞きました。というか、先週の講演(バカ親を笑いものにしても何も変わらんでしょで書いた)のもやもやが、すっきろとした感じです。
今回もPTAのお役目で聞いてきたものでテーマは家庭教育です。が、これが同じテーマの話かと思うぐらい、別物でした。講師の先生は、山脇由貴子さんという都内の児福で働く現役の児童心理司(しかも家内と同い年!)で、その多忙な中でも、「教室の悪魔」をはじめとした執筆や、講演活動をこなすかたです。
大体、本なんか書いて現を抜かす奴は現場がおろそかなもので、という先入観が僕にあったので、まるっきり期待していなかったのですが、どうしてどうして、植松さんの講演をはじめて聞いた時ぐらいの衝撃でした。植松さんの講演と彼女の講演が共通しているのは、現場をおろそかにせず、現場を良くこなすがゆえに出てくる社会への警鐘でした。

いじめのメカニズムの具体的な解説、思い込みではなく、心理学に基づいたがっちりとした解説もさることながら、そのいじめの解決には、大人の参画が以下に重要かを論理的に、それでいて、誰でも納得するしゃべり口で語っていたのは素晴らしかったです。
解決方法は、単純。

1.犯人探しや原因探しをしてつる仕上げをやらないこと
   犯人にされないための防衛本能しか働かない
2.大人が正しい大人社会のネットワークを構築すること
   親同士の人間関係を適切に構築すること
   親と先生の人間関係を適切に構築すること
3.大人と子どもの関係を適切に構築すること
   反社会的行為をしかること
   社会的に良い行為をほめること
4.大人が未来を悲観し自己保全に走らないこと
   年金の貯金ばかりするな。子どもの誇れる未来を作れ。
   子どもがなりたいと思う大人になれ
    元気でいるのが大人の責務

自分が、このコラムを通じて、グチグチと書いていることを、この講師はさくっと一本の話につなげて、実例を通してさらっと纏め上げてしまっていました。まさに、脱帽です。
これが出来る大人になって、その大人同士が正しい地域を構築すればいいのではないでしょうか。
まずは自己反省を含めて、元気でいるのが大人の責務、ということで、毎日元気にニコニコ楽しく大人をやって行きましょう。子どものころがよかったなんて愚痴らないで。

図書館は公営無料貸本屋ではない

2009年7月29日 14:12

最近、なんだか図書館について考える機会が多い。正直、BLOGの他のネタにも書いているように、僕自身は無類の本好きだし、幼少から図書関係の作業やら勉強はそれ相応にしてきている。それでも、もともと、図書館の役割ってなんなんだ、と思うわけだ。と、同時に、民間の書店、古書店の役割ってなんなんだと思う。

良く、うちの図書館は一人頭何冊の回転率でっせというのが指標になっているんだけど、それは図書館の指標として適切かと思うわけだ。時に図書リクエストカードなんかおくと、勢い今売れているベストセラーが書かれて、そいつを結構な冊数タイムリーに入れれば、放っておいても本の回転率は上昇するわけだ。でも、それって、図書館の役目なのかと。単に民間の書店さんの売り上げを下げるだけではないかと。書店にしてみれば、近所に図書館ができるなんて、売り上げを奪われること、この上ないのではないかと。さらにいえば、CDだのDVDだのも置かれるご時世。本気で、図書館が回転率だけを指標に住民のリクエストだけで構成すれば、ものすごく回転率があがるのは目に見えるけど、その反動は近隣のソフト屋の壊滅というわけだ。
とはいえ、民意でそれを入れろというのだから、それに従うべきだ、という考えも分るが、これだけを徹底的にやれば、近隣の書店、出版社、作家は干上がること間違いない。そういう文化破壊システムを国家が法で保証しているのがいまの図書館だ、ということなのか、というのが僕の大きな疑問。まさに、公営無料貸本屋。もしそうなら、文化を生み出すためには作家と出版は公務員にでもして保護するしかない。

でも、実は図書館の役割そのものが、実は本の回転率と無関係だ、ということなら話は別だ。基本は「健康で文化的な最低限度の生活」という憲法の条文がキーワード。
置くべき本そのものについて考える。文化を担う書籍だけれども、日常的にさほど読むことが無く商業的にペイしにくいため、地方の小さな書店での入手が困難な本を置くための場所だとすれば、少し様相は代わってくる。都市生活者と同じ文化水準を維持するために、都市生活者は簡単に入手できるが、田舎では入手しにくい本を置く、ということだ。また、いざ専門的な教育を独学したいときの学術書等を置く。というのなら話は分る。
低所得者がベストセラーを購入できないから、図書館で読む、という部分もあるだろうから、すべてのベストセラーを排斥せよとはいわないが、基本的に最低限度の揃え方であるべきだ。
基本として、地方の書店でも入手できる本は地方の書店でちゃんと入手すべきだ。むしろ、そういうマナーがどれだけ醸成しているかだとも思う。図書館は「一般公衆の希望に沿い(図書館法3条)」資料を収集するので、今のようにリクエストカードにベストセラーが並ぶようであれば、文化の向上は望めないといわざるを得ない。田舎で手に入る売りやす本だけで脳みそが構成されることになりかねない。

そうならないためにも、普段読まない本こそを、税でそろえるということは大事なのだ。そういう本を一部の人がたまに読むだけでも、地域の知識や文化を下支えする。ただ、こういう本のそろえ方をすると、回転率は決して上がらないはずだ。むしろ下がりかねない。なぜなら、本というものだけで見ると、日常的に必要な本は書店で買えるのだ。図書館は、そうではない本を読むためにしか行かない場所に成り下がる。
しかし、図書館の役割は、こういう本を置くためのただの場所では本来はないはず。むしろ重要なのは、情報のコンシェルジェとも言うべき司書がいて、書籍に限らず、情報や人を的確にコーディネイトする事にこそ、図書館機能の真価があるはずだ。やや矛盾した物言いだが、いまどき、本を買うだけなら、へたな大学図書館よりも、Amazonやらネットオークションを活用した方が手に入る。

そういう点で、こういう知が、この本にある、このサイトにある、この人が知っている、という具合にスムーズに結びつける人間の存在こそが、図書館の最大の価値ともいえる。
ところが残念な事に、現在の知価社会において一司書がオールラウンドに全ジャンルの知識のコーディネイトはほぼ不可能である。知識のジャンルはデューイ10進分類でも1000種類ぐらい。それぞれの中身まで話をしだすと、相当複雑になる。
司書の専門化、もしくは、司書の下にそれぞれの専門家を配置し、知のコーディネイト力を向上させる必要がある。ところが、地方の図書館の大半は、皆プチ国会図書館なので、すべての情報をオールラウンドに、という高いハードルになっている。配置人数にもよるが、公的図書館に単科図書館というものを認めて、より専門性を高めて小予算内で運営できるようにしてはどうだろうか。近隣の単科図書館同士がネットワークを結び、総合図書館の機能を果たせばよいのではないかと。
一私見にすぎないが、なんとかして欲しい部分ではある。

ともあれ、「図書館は公営無料貸本屋ではない」ということこそ、まずは地域に徹底すべき。「図書館は地域の知を支えるセンターである」のだから。

昔思ったこと:受験生と受験生の保護者の皆さんへ

2009年3月 9日 12:47

なんでも、うちの県下の高校の受験日だそうで。というか、気がつけば、自分が受験生やっていた頃に戻るよりも、子供が受験生になるまでの年数が少ない年になってました。実際に、15の春は泣きましたんで、なお、みんな希望のところに受かってほしいなぁと思う反面、あの時泣いたから今があるんだよなぁという思いもあるので、世の中いいようになるんだろうなと思うわけです。
とはいえ、その結果がどっちに転ぶにせよ、こういう心根は持っていてほしいなと、今読み返しても思うので、再録してみます。

元はここから。12年ぐらい前に書いた奴だな。干支一周してるほど古い(^^;
http://www.fsinet.or.jp/~mfuna/syakai/hihyo13.htm

---

受験生と受験生の保護者の皆さんへ

別に合格の秘訣とかそういうメリットのある話ではありません。
ただ、受験に泣いたことも笑ったこともある人間としては、いつもこの時期になると言わずにはいられないのです。

「受験なんて受かっても落ちてもたいした変わらんよ」 って。

「気楽にやろう」って。

受験生も、その保護者も受験を深刻に考えすぎ。
落ちたってどうにでもなる。人生なんて。
Fはどうにかなった。
べつに、高校受験落ちたって一流大学に入れるし、いい高校いったからって一流大学に行けるわけでないし。一流大学に入ったからって、一流企業に入れるわけでない。また高卒、中卒だからっていい仕事ができないわけじゃないし。
現に俺の友達は、中卒、高卒の人の方が、大学院卒のFなんかよりよっぽどいい仕事していい給料もらってる。

だから、まず、保護者の皆さん。
受かることを前提にしないでください。
落ちても のんびり支えるんだという心を持ってください。その懐が、その子をその後の環境で伸びるために必要になります。

つぎに、受験生の皆さん。
大きなお世話かもしれない。
でも、なんでその学校を受けて何をしたいのかを、受験が終わったら、結果の本意不本意関わらず、真剣に考えてもらいたい。
そして、一つだけ、理解してもらいたい。こんな紙切れでは、君たち自身の能力の断片すら 測定されてないってことを。
だから、できなかったからって、卑下してはいけない。
だから、できたからって、奢ってはいけない。


何を奇麗事を。
そう思うかも知れない。
でも、そんな事はない。
一流企業だって潰れる。
公務員だって首を切られる。
安定した収入なんてどこにも無い。
さらに、これから大事なのは「どこで」学んだかではない。
「何を」学んだかだ。
だから、東大で学ぼうが、その辺の3流私大で学ぼうが、本質的にちゃんと学んで身につけていれば同じなのだ。
そして、その「何」がどれだけ磨かれているかなのだ。

ようは生きていく上で、どの大学出だとか、ましてやどの高校出、どの中学出なんて何の関係も無い。

でも、学ぶべき「何」を、見つけるのには心のゆとりが必要だ。
それは本人だけじゃない。
むしろ、保護者こそが、自分の被保護者を 他人と比べて一喜一憂しないゆとりを持つことだ。
そして、常識にとらわれず、その子の能力を見つけたらおしげなく投資する勇気が必要だ。

そうして、「何」を伸ばしてやることが大切だ。
くどいようだが「何」を伸ばすのは場所じゃない。
どこにいても、その「何」は伸ばせるのだ。

じゃぁ。受験生の皆さん頑張って。
受験自体に価値が無くても、何かに頑張るってことには価値がありますから。
そして、受験が終わったら考えて。

保護者の皆さん。受験なんて笑い飛ばしましょう。
そんなんで、人間の価値なんて何にも決まりませんから。
受かっても気にせず、落ちても、しらっとした顔で
「あら、落ちたの」
って気楽にしましょう。合格であっても不合格であっても、親類縁者、どんな第三者が何いおうが、言うことを変えない不動の姿勢でいましょう。
所詮、受かったら自慢の種にして、落ちたら馬鹿にする種にする程度の無責任な連中ですから。その子についた看板でころころ手のひら返すような人間はその子に必要はありません。

受験が終わってから、それからが本当の勝負です。
受験生の皆さん。保護者の皆さん。
本当の勝負で負けないように、ちゃんと余力を残して頑張ってください。

それでは。
「なんとかなるよ。気楽にね」

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