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子どもを一人暮らしさせてみました

2015年4月20日 09:38

年度末年度初と公私ともにバタバタしておりました。そんな中、自分の誕生日も怒涛のように過ぎ去り久しぶりに自分のPCにちゃんと向かう時間ができております。でも、自社の新業態に向けた設備の更新とか、やることはまだまだあるんですけど、ひと段落したので近況報告を兼ねたBLOGエントリーでも。

この年末年始一番デカかったイベントが、娘の進学でした。北海道内の某高校へ進学となりました。なので事務手続きやらなんやらでバタバタしたのが一番大きかったです。バタバタの中で銀行と個人情報に関する事態で、いろいろ揉め事があったりとか何本かBLOGネタにできる事態もありました。
旭川の学校ではないので、実家住まいもさせれず一人暮らしとなります。といっても女子限定の賄いつきの宿泊施設なので、餓死はしないでしょうしトラブルもそんなに気にはしていません。
よく、周囲から「思い切ったねぇ」といわれますが、道産子ならお判りでしょうけど、北海道は高校進学から下宿ってのは、多くはないけど珍しいことでもないので、特段思い切ったつもりもありません。大体、自分の北大の時に一緒に下宿にいた高校生(今はこんな大物)は根室から来とりました。根室~札幌の移動時間と、愛知の自宅から娘の学校までの移動の所要時間はさほど変わりません(へたしたら、こっちの方が早い)。そういう意味でも僕の中では普通の事態です。

ただ、県外に一人暮らしはさせたいなぁと思ってました。愛知県は豊かすぎて、ことの本質を見失っている人が多いなぁと感じていたからです。特に、「生きるための必要なこと」とか「命のありよう」ってものに対してずれているんじゃないかと。
集落に人が住んでからの歴史が長いからか、人じゃない外敵との戦いとか生命維持の獲得とかより、集落内で村八分ならないことを過剰に気にする風潮を感じます。例えば、北海道でも集落の維持はあるけど、それはクマに食われないためだったり、吹雪で凍死したり輸送経路が途切れて餓死しないためだったり、外部要因からの命の保全のための徒党としてそもそも存在しているわけです。なので、村八分にされちゃ困るけど、マジョリティだって自然の猛威を前に村八分にする余裕もないわけです。そこからの歴史がまだ浅いので、そういう前提はまだなんとなく残っている感じがするんですよね。
愛知県でもそれは本質的に一緒なのかもしれないけれど、どうも、「人が生きるために必要なことの本質」がづれているように感じるわけです。それは、地域との対話でも、ビジネスのやり取りでも、家族の会話でも、常に感じるんです。
(たとえば、自殺した子が出た時に集落ぐるみで「今生きてる子が大事」とかいって隠してみたり。個人的には、今生きてる子が大事なら、むしろその原因をしっかり把握し、集落の構造や認識に問題があるのなら再発しないように対策を練ることこそ大事だと思いますけど。)

なので、せっかくの一人暮らしを始めるので、ぜひともバンバン不便で困った目に合って、「自分が生きるために必要なことはどれか」を探して判断して挑戦して、失敗や成功を繰り返して、「人が生きるために本質的に必要なこと」を身に着けてほしいと思っています。それこそ一人暮らしをさせたかいがあるというものです。
で、その学びの結果、愛知に戻ってこようが、道民になろうが、さらに都民になろうが、多国籍民になろうが、本人の自由です。どっかに羽ばたいてください。
あ、でも、ちゃんと一人暮らしで学ぶこと以外に、学校で学ぶことも学んでくださいね。高校生なんですから。と、娘には言いたいかな。うん。

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