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永訣の朝

2012年8月20日 08:33

九人の乙女は正直言ってなぜ自決したんだろうと思いました。こんな気持ちをわすれないように、この本を何回も何回も読み続けたいです。(P.222、事件を題材にした「死なないで!」の小5の読書感想文より)

終戦後、ソ連の不当な戦闘行為の延長線上で起こった悲劇。9名の自決者を出すに至った、ソ連の南樺太侵略作戦の非は、いつまでもしっかり日本人は知っておくべきだと思う。
不延長を申し渡したとはいえ日ソ不可侵条約が切れていないにもかかわらず、夏場からの侵攻を決めていたソ連。こうした数々の侵攻案があったからこそ、アメリカも終戦を急いで原爆を使うにいたっともいわれる。

日本が「終戦の詔勅」をもって無条件降伏を宣言し、軍の攻撃停止を命じた十六日、ソ連軍は南樺太西海岸の塔路、恵須取に艦砲射撃を開始し、上陸の挙に出た。武力進駐を戦略としたソ連軍の南樺太制圧は、日本領土の占領であった。(P.49)

真岡進行途中のソ連軍に対し、山間部に駐屯していた日本軍からソ連軍の最前線で、停戦軍使を派遣しているが、ソ連軍は停戦軍使を射殺して拒否する挙に出た。つまり、国際法で認められている停戦軍使を平気で射殺し、占領目的を完遂するまで聞く耳を持たないとの姿勢を取って南樺太を占領していくのである。(P.93)

「上陸したソ連軍は、十字路ごとに重機関銃を設置すると片端から通行人を狙い撃ちにした。掃討作戦だろう」(P.94)

人口四十五万余りの樺太の日本人が、わずか二週間の間に四千二百二人という犠牲者の数字は重い。軍事進駐を目論んでのソ連軍侵攻で無差別殺戮が繰り返された結果である。(P.158)

全くもって、大前提として、こうした殺戮があったことは間違えはない。そのさなかで、真岡郵便局の逓信を守った彼女たちの自決はどうだったのか、今でも検証の余地はある。なぜなら、包囲されていたものの、一定以上の頑強な建物であったので死に急ぐ必要はなかったといわれる。

<彼女たちを悲劇に駆りたてたものは、時代の雰囲気だったと、今となればよく分かるのだ。「決死隊」として勤務に就いたときから、その覚悟はできていたと思う。ただ、今となっては、あのとき、男子が一人でもいてくれたら、ひょっとして悲劇は避けられたかもしれない、と残念でならない>(P.196、元電話交換手の手記)

しかしながら現実は、彼女たちをひとところに押し込め、彼女たちへの配慮を欠いた結果になった。それは、確かにその職場の場長たちは非難されてもやむを得ないのかもしれない。

職に殉じることが「お国のため」になると教えられ、「逓信乙女」の気概を誇りにした時代、しかも人生のとば口に立った十六、七歳という乙女たちも、職場死守を真摯に貫いた姿勢が実に気高い。若い乙女たちの純粋さ、潔さに比べ、人生の苦みを経験しているはずの幹部職員たちの職場放棄が醜く対比される。(P.198)

ただ、そもそも、そんな不法侵攻しなくても武装解除の手続きは進んでいたはずだ。そうなっていれば、そんな状況下に彼女たちは追い込まれなかったということは、忘れてはいけない。

<戦争、それは弱者がもっとも悲惨な目にあう人殺しゲームといってもいいでしょう。一部のものが戦争で肥ります。戦争を企む者はいろいろともっともらしい理屈をつけて大衆を戦争にかり出そうとします。>(P.199、北林氏の手紙)

「もうみなさん死んでいます。私も乙女のまま清く死にます。泊居の皆さん、さようなら」(P.123)


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