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天使の声は教科書にすべきではないと思う。

2012年1月27日 10:32

今朝Twitterで話題になっていたし、元ネタの東京新聞Web版も確認して改めて思うのだが彼女はあのような形で道徳の教科書にしてはいけないと思う。
決して、人に伝えるべきではない話だとか、価値のない話だとかそういう意味ではない。たとえばドキュメンタリー本だったり、小説だったり、TVドラマだったりであれば、遺族の許可さえあればそれはかまわない。
悲しい話だし、冷血な僕だって十分涙する話だ。二児の父としても同じ事態にあったら、と思うと遺族への同情心が起こらないわけではないし、彼女が生きた証がほしいと思う気持ちも察して余りあるぐらい。

だからこそ、どうしてそう思うのかを書きたいと思う。

マスコミに勤めていたときからずっと思うのではあるけれど、人の死の報道は何のためにやるのかということだ。生前のある種プライバシーまでひっぺ換えして、その人の死までの履歴をガシガシ報道するんだけれど、本来はその軌跡というか履歴を共有することで、次のそのような不幸な事件事故を再発させない手段を講じるために、個々人まで浸透させたほうがいいような事案だから報道すべきなのである。
冷たい奴といわれるかもしれないが、亡くなった本人や遺族への同情心や共感を生ませるために報道するものではない。そんな同情や共感なんて遺族や近親者にしかできないことだし、そんな心に踏み込むなんて偽善や心に踏み込む側の自己満足でしかない。
たとえば殺人事件。メディアが社会の公器をうたうならば、あくまで亡くなった方個人がかわいそうと思わせたり犯人憎しという感情をあおるより、その犯人がなぜ犯人になったことを把握し、どうしたらそういうプロセスで犯罪者を生まないような社会づくりを提言するのが本来の仕事であるはず。加えて、その部分が難しいのであれば、そのような被害にあわない対策の提言。それ以上の仕事なんて、メディアの仕事じゃない。

翻って今回の「天使の声」はどうなのかといえば、教育現場というのはまさに社会の公器そのもの。この観点で行けば、あの事件から使命感を持って働いて結婚間際の女性の死を単純に賛美して、感情だけを揺さぶっても意味はない。むしろ道徳なんかじゃなくて、同じ不幸を繰り返さない津波対策や、津波のときの心得こそ教える時間を割くべきだ。使命を果たすことと生き残るためのバランスこそ教えるべきことじゃないのか。
教材が教材どおり使われるわけじゃないし、現場の先生がその教材をどう運用するかの問題なのだから、教材化が絶対ダメということではないのかもしれない(その辺は「水からの伝言」とはちょっと違うところ)。
でも、個人的には、この話を聞いたときに真っ先に思い浮かんだのが、軍神といわれた広瀬武夫中佐。並べて論ずると遺族感情に反するのかもしれないけど、日露戦争の勝利に最も貢献した旅順港閉鎖作戦で、最後の最後、船内で行方知れずになった部下を探索して、そこで砲弾を浴びて死んでしまった話。すばらしい自己犠牲と仲間を思う気持ちが大切だということで戦前の教科書に入っていた話だ。新聞記事の中の教育主事のコメントが「使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」となっている。そのまんまじゃないかと。

この軍神賛美の中で、日本がどういう末路を歩んだか。少し学べばわかりそうなものだ。戦争反対と叫んでこういうことを一切学ばないのも結構だけれど、津波は反対運動をしたからってこないわけじゃない。軍事と社会ということから学ぶべきことはたくさんある。学ばないからこんな教科書への掲載をうかうかしてしまうんだと思う。
道徳でこんなトーンで彼女を美化して、子供らの目をそらして、本来立ち向かうべきことから目をそらしちゃいけない。彼女の死から社会として学ぶべきこと。それは確実な津波対策が必要であるという事実であり、全国民がしっかりそのことを理解して行動することでしかない。
できてしまった以上は破棄しろというつもりもない。ただ、この教科書が「がんばろう」とか「かわいそう」とかいう感情のあおりの道具ではなく、そういうことへの冷静な一歩への導入に、教育現場で使われると信じたい。

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