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2012年1月のアーカイブ

非同期な社会が作る、本当の情報弱者

2012年1月 7日 14:45

以前に同じような主旨のことは書いているのですが、改めて書こうと思います。なぜそう思ったかと言うと、自分がアイリンクでの仕事以外で、自宅のある愛知県安城市で市民活動センターのセンター長になって、色々なセンターの改革をしているから。で、その改革を進める一つの理由であるからです。

元気で会社と自宅の往復で、地域のショッピングモールや娯楽施設を利用するだけの生活をしている人が、何でも金で解決できるうちはICTツールを使いこなして、金銭的メリットを享受して一見すると、情報強者にみえます。
しかし、お金で流通しない地域のつながりが必要になったとたん、彼らはその真の意味での地域情報を一切取得できません。なぜなら、そういう情報は、地域の人々の今までのリズムで流れています。紙や対面でのみ事実上は流通しているからです。市民活動情報などはその典型です。こうしたつながりが生み出す生活力のサポートを受けようと思うと、その情報ネットワークにアクセスする必要があります。

ところが、一見すると情報強者である社会の中堅で金を持っていて情報ツールを使いこなせる人々は、朝から晩まで働いていて、休日もまばらで、その情報ネットワークにアクセスする対面という手法にあわせることはほとんど不可能です。また、紙を入手するにも、その紙が置いてある多くの公共施設の営業時間にアクセスすることも不可能です。
この非常に狭い時間と場所の同期を必要とする、非常にアクセシビリティの低いネットワークの中に、真の地域情報はころがっているのが現状です。

別に今までの人との間で、その対面と紙の活動をやめろという気はありません。ただ、自分たちが社会の変化をよく理解して、「場所と時間を同期させることがトコトン困難な社会」での、つながりの手法を考えて欲しいのです。特に、真の地域情報を持っている人々にこそ、新しい担い手が来ないと愚痴っている市民活動をされる方にこそ考えて欲しいのです。時間と場所を同期させないで、情報を収集したり発信したり交流したりするのに、ICT以外の選択肢はほとんどない現実とは向き合わなければなりません。

「場所と時間を同期させることがトコトン困難な社会」を誰が生み出してなぜこんなに大きくなったのか。それをどう解決させるのか。それも重要ですが、それと同時に、この同期できない状況下で、まずはつながって潜在的情報弱者を救済して行かないと、彼らが所得を生みださなくなったときに、一気に地域社会へ負荷が来てしまいます。それを避けるために、いま、市民活動を支援する立場として何が出来るのか、ICTを生業としている事業者として何が出来るのか、ICTと社会を研究している研究者として何が出来るのかの三つを見据えてやれることを一つづつ実施していこうと思います。

エネルギーと命と安心・安全

2012年1月 4日 19:48

ちなみに、弊社の社長はBLOGやソーシャルメディアの発言の数々を読めばわかるように、脱原発派ですが、私はそこのところは必ずしも同調しておりません。いろんな思想信条を持った人が呉越同舟で働くというのも、企業という組織の特徴なのかもしれません。

さて、僕もエネルギーのことを少し書こうかと思います。大前提として、太陽が無邪気に与えてくれるエネルギーを除くと、人類のほとんどのエネルギーはそのエネルギーを獲得するための一部の人に、その健康と死のリスクを押しつけることで成立していました。
北海道民としてしっかり認識しなければいけないのは、炭鉱という典型的な健康と死のリスクを押しつけられてきたことで、日本の高度経済成長がまずは成立していたという事実だと思います。炭鉱で働いてきた人は、落盤等々で死に至った方、粉塵等で健康被害がいまだなくならない方、等々はっきりと一部の隔離した人間に全てのリスクをおっかぶせてエネルギーを使って来ました。
次に石油の時代になりました。ボーリング採掘なので採掘での死傷率は炭鉱ほどではなくなっているのかとは思います。その分、運送時におけるタンカー事故など海洋生態系などへの大きな被害を生む可能性を増やしてきているはずです。
で、原子力なのですが、今回の事故を踏まえてかんがえると、採掘での死傷者は微妙なところですが、多くの人に少しづつリスクを播き散らかすという事態を生んでしまいました。
小さなリスクが広域にばらまかれて、炭鉱の時のように分かり易い集中したリスクが無くなったんだと思います。

良く似たものに、犯罪統計が挙げられます。昔は、犯罪は限られた繁華街などで起こってきました。と同時に非常に高い犯罪発生率でした。しかしながら、近年は犯罪の発生率等は本来減っています。にもかかわらず、不安感のある社会になっている理由の一つには、犯罪があらゆる場所で起こる様になってしまったということです。
要はトータルリスクは実は減っているけど、安全地帯と言いきれる場所が無くなってしまったということに過ぎなかったりします。
私は、この不安を生む構造というのは、今回の原発事故の不安の構造とよく似ていると思っています。要は、他者が引き受けてくれていたリスクが自分の眼の前にも起こりうるリスクなったというだけです。

原発を選択しなかったからと言って、エネルギーを使う人間は無罪放免かというと、僕はそんなことはないと思っています。どこまで行っても地球が貯蓄している地中エネルギーを利用することは、誰かの命を奪うということに他ならないと思っています。その誰かのリスクを一切引き受けないでいい自分だけ幸せなエネルギーを選ぶのか、それともリスクはみんな一緒に引き受けるエネルギーがいいのかというのは一つの選択の基準だと思います。
むしろその中で、トータルで命のリスクをどれだけ減らすことができるのかということだと思います。いわば生きるのに他人の命を奪うように、エネルギーを使うという行為は何かの命を奪うということなのです。命を奪わず生きることはできないという想像力が大事なんだと思います。

そういう意味では、私は親原発でも反原発でも脱原発でもなかったりします。少しでも命を奪わないエネルギー。これを苦しみながら全人類の英知を合わせて作っていくしかないのだと思っています。その観点で見た時に、今、火力にシフトして間に合っているじゃないか、だから脱原発だ、というのもいささか短絡に過ぎるな、というのが私の感想です。間に合うかどうかではなく、自分が出会うことのない命へのリスクはどれだか高まっているのかな、という判断こそが大事なのではないでしょうか。

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