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2012年1月のアーカイブ

公文先生、喜寿おめでとうございます。

2012年1月21日 10:04

ご存知の方はご存知でしょうが、私は弊社のマネージャー以外に色々なことをやっております。その中の一つに、多摩大学情報社会学研究所の客員研究員と言うのがあります。こんなのでも、実は学徒の端くれで、数年に一回、忘れた頃に情報社会学の論文を出していたりします。
で、昨晩はそこの所長であられる、公文俊平先生の喜寿のお祝いにいってまいりました。
変な表現ですが、公文先生がいらっしゃらなければ、日本のインターネットの受容のあり方はずいぶん違ったものになったんだろうなぁ、と思います。それこそ、昨日の喜寿の会にお見えになった面々は、内々の会で人数は少なかったのですが、学者だけではなく、実業界や官界で活躍されている方々もいらしていました。(そんなところの末席とはいえ出席資格があったのか不安ではありますが。)
公文先生の表の業績やらなんやらは、そう言うえらい人々に解説してもらうとして、私も公文先生に多いに影響を受けた人間でありますので、私的なお話でも。

この業界に飛び込む前に、インターネットの技術的なバックボーンはさておき、社会学的視点で勉強できる一冊がないかと、探し求めたら「情報文明論」という公文先生の著作に行き当たり、なかなか手ごわい本でしたが読了して考え方を叩き込んでみたのが始まりといえば始まりです。

その後、JCCに勤めて動画配信事業の担当をやっていたのですが、そこのトークショーのゲストになんと公文先生がおみえになって、ご本人に始めてお会いしました。本の手ごわい印象があったので、どんなおっかない教授がくるのかちょっとビクビクしていましたが、笑顔が魅力的な初老の紳士でそのギャップに驚いたのを覚えています。
で、著作を読了した旨のことを申し上げたら、
「君すごいねぇ。書いた僕が読んでなよ。何かいたかあんまり覚えてないし(笑)」
などと、ジョークを飛ばし緊張していた若造の僕をリラックスさせてくださいまいた。
そればかりか、配信の中では、PCは出来てもビデオのタイマー録画ができないとか、自虐ネタを交えつつ笑いが絶えない不思議なトーク番組になってしまいました。

その後も、当時の社長の鞄持ちでGLOCOMにもお邪魔していましたし、いく度かお顔を合わせる機会なんかにも恵まれて、仕事をする上で、影響を確実に受け続けてきました。
独立してからも、田舎にいても東京や最先端事例とつながりたいと思いCANフォーラムにいれていただいたり(オマケに大暴れしてご迷惑をかけてやめたり(^^;)、デジタルニューディール事業のお仕事をいただいたりと、考えて見たら直接的にも間接的にも大恩人であります。

私のような非才なものが、客員研究員にしていただいて、どれほど公文先生の活躍に貢献しているか疑問ではありますが(キレまくってご迷惑は巻き散らかしてますが(苦笑))、今後ともご健勝で益々ご活躍していただければと祈念しております。
公文先生、本当に喜寿を迎えられ、おめでとうございます。

と、iPhoneからエントリーをいれてみました。公文先生がお仰るとおり、時代は変わったなぁ。ほんとうに。

Let's Noteは実に使いやすかった。

2012年1月19日 09:25

レッツノートCF-M32今日もまたまた、お部屋のお片づけで出てきたものです。B5サイズノートパソコンのはしりです。

実はこれ、僕のじゃなくて、家内のやつです。結婚前(まだ結婚云々という話のかけらもなかったころ)、家内が東京に遊びに来てそのときに「ノートパソコンが欲しい」というので、一緒に秋葉原めぐりをして決めた一台です。僕が薦めた理由はパネルじゃなくてトラックボールだったから。タッチ系の操作系はPI3000で懲りてましたので(^^;。結構なお値段でしたが、家内が僕の薦めにしたがってスパッと買ったのを覚えています。

その後、急転直下で結婚するわけですが、僕としては件のLibretto30があるのでそれでネットをしていたのですが、あまりに不便そうに見えたのか、レッツノートを私用にしてくれていたというわけ。家内はFM-Vのデスクトップがあったのでそちらでネットをやってました。転職先でプログラマーの真似事みたいなことをする羽目になって、開発環境をこいつに入れて、電車での移動中、自宅とところかまわず仕事と学習をしていました。独立する上で重要なICT技術者としての素養をつけさせてくれた一台でもあります。

で、そんなこんなをしながら、転職を数回して独立。そのままずっとレッツノートで仕事をしていました。おそらく、電源ケーブルが接触不良で使えなくなるまで、市場調査、企画、開発等々、完全にこれ一台で業務をしていました。のらSOHOの初期を完全に支えた一台です。この一台を黙って僕の専用機として壊れるまで使わせてくれたという一事をもってして、ほんとうに家内に支えられて仕事してたなぁと。ちなみに、シールは上の子がペタペタ張ったやつ。色々思い出深い一台ではあります。

のらの成り立ち~その11:第一転職期~

2012年1月18日 11:27

アイリンクブログに移転して、落ち着いてきたので、このシリーズを再開。とりあえず、のらになるまでって感じなので、もう一、二回書けば終わるかなってところなので、お付き合いください。
古いのは「のらSOHOってなんだ」のコーナーから読めます。

で、まぁ、めでたく結婚することは決まるわけですが、愛知県住まいなので転職が余儀なくされるわけです。とはいえ、ネットとメディアという仕事は非常に興味深いので、ぜひ続けたく思っていて、当時、愛知県内のWebを持っていたネット関連のビジネスをやっている全企業にメールしました。
別のエントリーで書きましたが、iBOXコンテンツ作りで、サイトを100や200を一日で内容ごとチェックするなんてお手の物でしたので、その辺、1日も作業すればあっさり見つかるわけであります。今思えばSPAMすれすれですが、当時はそんな概念もろくになかったし、数社引っかかって、そのうちの一社がネットビジネスへの進出を考えている会社で、そこに採用いただきました。技研商事インターナショナル様です。はい。
ただ、愛知県でも西三河というところから名古屋への距離を全く知らず、47都道府県の場所もろくに答えられず、愛知県だか名古屋県だか違いもわからんような人間でしたので、採用いただきありがとうございました、という感じでした。

で、結構、転職前に社長や取締役と飲みながらビジネスプランを練って結構夢膨らむ日々でした。ビジネスはコンシュマー向けのWebGIS+マーケティングシステム。競合としてはマピオンだとかマップファン(今やどちらもGOOGLE様に駆逐されてしまいましたが)。
で、入社が決まってから驚きの事実。なんと、そのビジネスのチームは基本的に渋谷です、ということをいわれてしまいました。開発チームは東京と札幌にしかいなくて、名古屋には本社機能しかないという驚愕の事実。システムが出来上がるまでは東京にいろと。
新婚さんにはつらい話です。いい仕事をさせてくれたことは感謝だけど、新婚一ヶ月返してけろ~。

仕事は自分でみっけないといけないと思い、GISのコア部分は専門会社なので、マーケティング用のデータをためるDB(Oracle)とパノラマ画像の技術のWeb化を、必要だけど社内で誰も手をつけてなかったので、それを勝手に仕事にしました。このころノウハウが、唯一の単著になっています。
家内が妊娠+併発の病で入院してしまったとの連絡を受けて、東京の責任者である取締役に「明日から一時帰宅をお願いします」っていったら、すごく親切にすぐに「とりあえずすぐ帰んなよ。落ち着いたら、とりあえずまずは名古屋の本社に出勤して」といってくれたので、お言葉に甘えて、その場で社宅もそのままにして帰宅。家に帰らずそのまま病院に直行しました。
で、まぁ、すぐに退院するわけでも悪化するわけでもないので、帰宅。で、週明けに名古屋の本社に出勤してみたら、すでに、名古屋本社にデスクがあって、そこに東京で使っていた開発環境があって、隣に今度の上司までいるという状況。
「おおむね、開発が終わったから、今日からここで運用と運営よろしく」といわれ、そのサービスの事務局長って座に落ち着くわけです。

ここからしばらくは、出勤、病院(家内の見舞い)、帰宅というサイクルの生活が始まりました。たぶん、子供が生まれて家内が退院するまでこんな感じだったと思います。
で、仕事はそのMAPサービスを成功させるのに無我夢中の日々で、今では結構普通の手法だけど、新サービスを付加する、プレスリリースをまく、というのを繰り返すことで認知やアクセスを向上させていきました。ひところのインターネット関連雑誌のGISの話題では必ずマピオン、マップファンと並んで登場しているというぐらいやっておりました。
おかげさまで、アクセス多数でシステムダウンの体験も多々させていただきました。そのトラブルシューティングで色々実力が身につきました。
その合間に、サメ軟骨売るサイトやら、セキュリティUSBキーの販売サイトやらやってました。
子供も無事生まれ、といいたいところですが、陣痛がはじまってから長かったので付き添っていた僕のほうがフラフラになっていて、看護師さんに「お父さんはお帰りいただいても大丈夫ですよ」とまで言われる情けない始末。分娩室に入ってからは、立会いはさせない病院なので、病院のソファーで仮眠。で、その仮眠中の夢の中で子供が出てきて、自分も家内も、その子を呼ぶときにその子の名前を言っていたので、無事生まれたときに家内にそのことを話して、それを娘の名前にしました。

仕事も順調。子供もすくすく育ってくれて公私共に幸せでしたが、勤め先がなんとなく雲行きが怪しくなってきます。僕のセクション―といっても事実上僕一人ですけど―は問題ないんですけど、周囲の他セクションの雰囲気が悪くなり、あわせてそれとなく新規事業を取締役のうちの一人(先の取締役とは別)が直轄にしたそうで、という状況でなんとなく居場所がなくなってきました。
あと、名古屋のはずれと西三河のはずれで非常に遠くて、電車の乗り継ぎとか入れると2時間はかかる始末。すると、仕事の帰りは誰よりも早いわけです。尾張人の社長には「なんだ、貴様は三河もんか!」と不合理に怒られ「ご先祖様は尾張です(ほんと)」と言い返してご機嫌を直してもらいましたが、さすがに終電の兼ね合いとはいえ20時に帰るのは、いたたまれないところもあって、一念発起。転職をもう一回することにしました。

で、まぁ、近所の印刷屋に転がり込んだのですが、これで一生田舎で暮らせると思ったのが運のつきでした。
思ったより内容が長くなったので、次に続きます。

連合艦隊

2012年1月17日 23:08

日本の熟練搭乗員を本当に壊滅させるのは、ガダルカナルの大消耗戦である。(P.260、ミッドウェー海戦研究最前線)

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iBOXという世界初の商品

2012年1月16日 08:47

iBOX1お片づけで出てきたものシリーズです。こいつはモバイルものじゃないんですけど。

私の人生を決めてしまった製品です。いわゆる世界初の$500PCの最終機種ってやつです。意外と知られていませんが、本気で製品を作って売っちゃったのはJCCというところが世界初です。ついつい、それに引っかかって、うかうか入社したのが私です。その辺は別エントリーで書いてあります。この最終機種は、商品のテスターとしてある程度は作るのを手伝いました。で、会社を寿退社して今の人生に突き進んだわけですけど。
これまた、別のBLOGに書いたのですが、本当の偶然で私の手元に結婚後5年ほどしてから帰ってきました。

これの仕事をしていたころは、競合といえば、ピピン@とかセガサターンとか実に牧歌的な競争でした。そんな中で、インターネットしかできない、という恐ろしいコンセプトマシンを狂ったように(少人数少予算で)宣伝をして、この表現力がプアなブラウザで見れるものを作ろうと狂ったようにコンテンツ開発をしてました。今思えば早すぎるコンセプトマシンでした。ブラウザもリッチになって、回線もブロードバンド化されて初めて使い物になるであろうコンセプトでした。
でも、まぁ、ああいう挑戦をする人がいるから、こういう社会なわけで。挑戦者全員がジョブズになれるわけじゃないですよ。

当時の社長は元気かなぁ。会社のサイト見たら社長が変わってたんだよね。それが気がかりです。はい。

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