1. ホーム
  2. のらマネージャーのブログ
  3. 2012年1月のアーカイブ

2012年1月のアーカイブ

彗星夜襲隊

2012年1月31日 07:56

「赤トンボまで出して成算があるというなら、ここにいらっしゃる方々、それに乗って攻撃してみるといいでしょう。私が零戦一機で全部、打ち落としてみませます!」(P.107、美濃部少佐)

続きを読む

地方のWeb系SEとPGの大失業時代がやってくる。

2012年1月28日 14:50

おととしくらいから、IT企業系のお客様などにはその予想を言っていたんだけど、富士通のリストラなど思ったより早く現実になりつつあります。
私がどういう考え方でそういう時代が来ると予測していたのかを紹介します。

○こうなってしまった三つの要因

1.Webアプリケーションのレイヤーとしてのソーシャルメディアの台頭

純粋に日本であればFaceBookとツイッターの台頭です。これに関しては、mixiが勝つとか、GREEがどうなるとか、地域SNSが生き残るかとか、という視点で多くの専門家が論じています。でも、僕は少し違う視点で見ていて、これによって、少なくとも大半のインターネットユーザーは、いちいちホームページに行くという行為をしなくて、自分が選んだコミュニケーションツールからスタートするようになったということです。で、挙句にその世界の外側にはほとんど行かなくなるということです。そこが、ポータルサイトと異なる恐ろしいところであります。

2.ソーシャルメディアの台頭とAPIの充実、XML文化の浸透。

で、ユーザーがそうなってくるのとあわせて、ソーシャルメディア側もユーザーをちんけに囲い込むのではなくて、自分のプラットフォームの機能をAPI経由でどんどん提供します。しかも、かなり自由度が高いわけです。アフィリエイとプログラムをチマチマ提供するなんてレベルではなく、もう、そういうAPIを組み合わせたらほとんど好きなホームページが出来上がるわけです。おまけにタダ。しかも、APIを使うと、それぞれのソーシャルメディアに勝手にいろいろなフィードバックが行って、つながりを生んでくれるわけです。

3.システムのクラウド化

さらには、そういうソーシャルメディアが高度にクラウド化していて、世界中から安定して利用できるようになっていて、改めて自社サーバーを持つ意味がどんどんなくなっている。

こうなってくると、限りなくコードを書くというお仕事やコードを設計するお仕事は皆無になっていく。特に、サーバー管理のためや、Webをつくる特にサーバーサイドのスクリプトやAjaxのスクリプトを一から設計して書くなどというお仕事はほぼ消滅する。そういうものを書きたければ、ソーシャルなアプリケーションレベル以上のものをAPI等で提供する会社に入るしかない。
で、そういうコーディングで飯を食ってきたのが地域の弱小Web系ソフト会社。もろに、その辺の食い扶持が失われているのだ。公共事業ぐらい残るかなぁと思ってはいたが、武雄市が中心になって、その辺情け容赦なく事例を作り始めているので、究極的には公共事業的なコード書きも消えていくということです。
くわえて、彼らの最後の砦ともいえるサーバーのお守りですら、クラウド化のトレンドの中でかなり怪しくなりつつあるわけです。
このトレンドは確実に変わらないので、この失業の勢いは止まらないと思います。


○最後に残る市場

まず、地方の弱小ソフト会社どうやって生きていけばよいのか、というのは、二つの手段しかないと思います。
一つに、それなりのデータセンターもどきなものを持っているのであれば、クラウドの一部になることを考えるということです。純粋に場所貸しです。どっかの軍門にさっさと下ったふりをして、そこの管理ツールを数台に好きにインストールさせて、監視用の人間だけいればよくなります。最低限の雇用とそこそこの収入で飯が食えるという構図です。
もう一つは、いくらAPIが開放されたり場所がタダ同然になっても、ICTをどう活用してビジネスを構成するかまではタダではできません。ですので究極的にはコンサル+APIをちょっと触れるという感じの業務は確実に残ります。なので、事実上、プランニングやコンサルの会社に入れ替えて、会社を存続させるという形になります。

会社の生き残り方は、これでいいとして、失業が予想されるSEとかPGはどうすりゃいいのという話です。


○ジョブズの贈り物

基本的には、これまた二つです。
一つは、狭き門を覚悟して、そういうソーシャルメディアの元締め会社に入社する。シンプルです。
もう一つは、大学や研究機関に張り付くコーディングのお仕事をする。ちょっとわかりにくいかもしれませんが、新しいことを研究する研究機関にとってはパッケージのAPIだけでできるような研究はほとんどないので、そこで研究とセットのコーディングという仕事が残ってます。
そうじゃなければ、企画会社に変わったその会社で生き残れるコンサルになるか、クラウドの一部を引き受ける会社のシステム土建屋になるかというクラスチェンジです。
ただ、この二年で急速に伸びたスマホアプリ市場というのがあります。最近のiPhoneブームなんかはありがたい話です。実は、このアプリのプログラミングはまだ伸張の余地がありそうです。この部分のコーディングの仕事で食いつなぐか、という未知数なコーディングのお仕事があります。
ここいらで生き残れなかったらどうするか?個人的にはそうまでしてしがみつかなくてもいい気がしますが、実はCOBOLを勉強しなおしてCOBOLできますって言うと就職できそうな感じの会社はちらほらあります。


どっちにしても、この国策なのかブームなのかわかりませんが作りすぎたPGやらSEという人種が路頭に迷ったときの次の社会の形作るためのアイディアはどなたかお持ちなんでしょうかね。
さて、何をいまさら、というかもしれませんが、悪い予言なんて当たったって良いことないし、言った時点で嫌われて、当たった時点でまた嫌われるという不幸な代物でしかないわけです。とはいえ、ICTのトレンドという意味ではトレンドなので、知っておいたほうがいいかなと。

天使の声は教科書にすべきではないと思う。

2012年1月27日 10:32

今朝Twitterで話題になっていたし、元ネタの東京新聞Web版も確認して改めて思うのだが彼女はあのような形で道徳の教科書にしてはいけないと思う。
決して、人に伝えるべきではない話だとか、価値のない話だとかそういう意味ではない。たとえばドキュメンタリー本だったり、小説だったり、TVドラマだったりであれば、遺族の許可さえあればそれはかまわない。
悲しい話だし、冷血な僕だって十分涙する話だ。二児の父としても同じ事態にあったら、と思うと遺族への同情心が起こらないわけではないし、彼女が生きた証がほしいと思う気持ちも察して余りあるぐらい。

だからこそ、どうしてそう思うのかを書きたいと思う。

マスコミに勤めていたときからずっと思うのではあるけれど、人の死の報道は何のためにやるのかということだ。生前のある種プライバシーまでひっぺ換えして、その人の死までの履歴をガシガシ報道するんだけれど、本来はその軌跡というか履歴を共有することで、次のそのような不幸な事件事故を再発させない手段を講じるために、個々人まで浸透させたほうがいいような事案だから報道すべきなのである。
冷たい奴といわれるかもしれないが、亡くなった本人や遺族への同情心や共感を生ませるために報道するものではない。そんな同情や共感なんて遺族や近親者にしかできないことだし、そんな心に踏み込むなんて偽善や心に踏み込む側の自己満足でしかない。
たとえば殺人事件。メディアが社会の公器をうたうならば、あくまで亡くなった方個人がかわいそうと思わせたり犯人憎しという感情をあおるより、その犯人がなぜ犯人になったことを把握し、どうしたらそういうプロセスで犯罪者を生まないような社会づくりを提言するのが本来の仕事であるはず。加えて、その部分が難しいのであれば、そのような被害にあわない対策の提言。それ以上の仕事なんて、メディアの仕事じゃない。

翻って今回の「天使の声」はどうなのかといえば、教育現場というのはまさに社会の公器そのもの。この観点で行けば、あの事件から使命感を持って働いて結婚間際の女性の死を単純に賛美して、感情だけを揺さぶっても意味はない。むしろ道徳なんかじゃなくて、同じ不幸を繰り返さない津波対策や、津波のときの心得こそ教える時間を割くべきだ。使命を果たすことと生き残るためのバランスこそ教えるべきことじゃないのか。
教材が教材どおり使われるわけじゃないし、現場の先生がその教材をどう運用するかの問題なのだから、教材化が絶対ダメということではないのかもしれない(その辺は「水からの伝言」とはちょっと違うところ)。
でも、個人的には、この話を聞いたときに真っ先に思い浮かんだのが、軍神といわれた広瀬武夫中佐。並べて論ずると遺族感情に反するのかもしれないけど、日露戦争の勝利に最も貢献した旅順港閉鎖作戦で、最後の最後、船内で行方知れずになった部下を探索して、そこで砲弾を浴びて死んでしまった話。すばらしい自己犠牲と仲間を思う気持ちが大切だということで戦前の教科書に入っていた話だ。新聞記事の中の教育主事のコメントが「使命感や責任感には素晴らしいものがある。人への思いやりや社会へ貢献する心を伝えたい」となっている。そのまんまじゃないかと。

この軍神賛美の中で、日本がどういう末路を歩んだか。少し学べばわかりそうなものだ。戦争反対と叫んでこういうことを一切学ばないのも結構だけれど、津波は反対運動をしたからってこないわけじゃない。軍事と社会ということから学ぶべきことはたくさんある。学ばないからこんな教科書への掲載をうかうかしてしまうんだと思う。
道徳でこんなトーンで彼女を美化して、子供らの目をそらして、本来立ち向かうべきことから目をそらしちゃいけない。彼女の死から社会として学ぶべきこと。それは確実な津波対策が必要であるという事実であり、全国民がしっかりそのことを理解して行動することでしかない。
できてしまった以上は破棄しろというつもりもない。ただ、この教科書が「がんばろう」とか「かわいそう」とかいう感情のあおりの道具ではなく、そういうことへの冷静な一歩への導入に、教育現場で使われると信じたい。

のぼうの城

2012年1月24日 20:24

「武ある者が武なき者を足蹴にし、才ある者が才なき者の鼻面をいいように引き回す。これが人の世か。ならばわしはいやじゃ。わしだけはいやじゃ」(上P.185)

続きを読む

Visorにキーボード。ネットさえつながれば...

2012年1月22日 10:51

Visorとキーボードお片づけで出てきたものシリーズは一応これでひと段落かな。片づけは完了していませんけど。さすがに5年も物置にするとそう簡単には片付きません。

さて、この様を見てあれっと思った方は、最近の私を見ている人でしょう。そうです。私の四つ折りキーボード利用の原点です。PI3000で、ある意味タッチパネルは懲りたのですが、小さい情報端末はとにかく欲しくてPalmの端末を狙っていたのです。で、赤外線通信を経由して一部携帯電話からネットもできるということなので、こりゃいいと思っていました。が、タッチパネルはなぁと思っていたら、周辺機器で四つ折りできるキーボードがあるよということで速攻でセットで購入しました。
あとは、通信ができる携帯に乗り換えようと思っていたのですがノキアがよさそうだったので買おうと思ったら、当時の同僚に「やめた方がいいですよ」と言われ素直に従ったところ、本人が購入予定で人と同じのを持ちたくないと理由ではめられたという落ちだったりします(笑)

結局、このセットで著作の執筆から日常の書類書きまでずいぶん活躍頂きました。のら生活を支えてくれた道具であります。新幹線の移動では特に大活躍でした。これがなかったら絶対著作には穴が空いてたもんな。ただ、惜しむらくは、やはりネット端末としての機能をつけ損なったことです。結局、これを最後にiPhoneを購入するまでこの手のモバイル環境は無くなって、USBメモリだけで後は客先PCや漫画喫茶生活となり、その後はお客様から支給頂いた環境でモバイル労働をするようになったという感じです。どっちにしても偉い懐かしい道具です。

アイリンクへのお問い合わせ

お問い合わせメールフォームはこちら

2016年12月移転 北海道旭川市神楽1条7丁目4−8 お問合わせはメール・SNSアカウントで mail
  • twitter
  • facebook
  • google
  • noimage
  • noimage
  • noimage