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2009年12月のアーカイブ

勉強に対価はいらない

2009年12月17日 12:23

ぼけーっと主婦・主夫向けの情報番組をながめていたら、正解をするとポイントがもらえて、そのポイントでモノがもらえるという塾を紹介していた。番組のキャスターは、勉強する習慣がついていいとか言っていたけど、僕個人としては、そんなんでつく習慣は、目先の餌がないと勉強しないというダメダメな習慣がつくだけだと思う。学ぶという行為に何の対価がいるのかと、むしろ思ってしまう。

とはいえ、多くの家で、テストの点が良かったら、なんか買ってあげるよってのは、結構横行している。モノをくれるから学ぶ。さらに言えば、ものをくれる親のために学んでやる。それは最も誤っていることだと思う。モノをくれなくても学ぶ。学びたいから学ぶ。自分のために学ぶ。これが正しい学習というか勉強のあり方だと思う。けど、どうやらこんな風に考えるのはマイノリティのようだ。

なんで、そんな風に思うのかな、と思うと、自分の親がそうやって僕を育てたからだと思う。テストの点数が良かったからといってモノを買ってくれたことはない。買ってとねだったことはあるが、成功したためしはない。「勉強なんか自分のためにやるものだから、お母さんが恩に感じることは何にもないよ」と、言われて終了。この件だけは僕に甘かった祖母も買ってくれたことはない。
親にしてみれば、苦労人だったので、農作業の合間に新しいことを学べるというそのものの楽しみを強調していたんだと思う。そのせいか、目先の何かに対して得しないと学ばないなんて、なんだか浅ましいと思ってしまうわけだ。

確かに学ぶと得をするし、知識は上手に換金して、経済効果を生み出すこともできる。いまでも、僕自身は学んでそれを金にして食っている。でもそれは、学んだという行為に対してくれる対価ではなく、学んだコトを世に役立てた対価で、お金をもらえるということだ。なので、知識は確かに金にはなる。自分が生きるためにも知識が金になる社会は大事だと思う。
けれど、自分のためになることですら金を貰わないとやらない、そういう習慣づけをしようとする社会のありようは、おかしいんじゃないかと思うわけだ。少なくとも自分の子供は、金やらモノなんかもらえなくても嬉々として学ぶ習慣をつけて欲しいとか思う。

でもさ、ちびっ子って、嬉々として勉強したがるよね。うちの下のチビがまさにそういう状態。なんで、みんな勉強嫌いになっちゃうんだろう。不思議だ。

子どものための哲学対話―人間は遊ぶために生きている!

2009年12月15日 11:13

学問は、本来、勉強なんかじゃないさ。この世でいちばん楽しい遊びなんだよ。(P.123)

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そろそろ子育て論に性差を持ち出すのをやめませんか?

2009年12月14日 09:17

ここのところ、よく子育てにまつわるお話を聞きに行ったり議論をしたりしに行くんだけど、この男女共同参画の世で、いまだに、母親だから云々、父親だから云々というはなしを、識者であるような方を含め、多くの人がいまだにする。
確かに、出産とか授乳そういう特殊な事象はそりゃ性差だろうけど、子育てでやるべきことに性差は無いと思う。どっちでもいいから、やれるほうが普通にやるべきだ。子育てにおける母親の役割とかそういう、性差の亡霊をいまだに崇拝するから、いつまでたっても、子育てで女性ばかりが損をするという下らない話になっているとしか思えない。

たしかに、いまだに、職場において女性の役割なんていうのをいまだに言う人間も若干はいるけれど、そういう人間は既にマイノリティだ。仕事に性差は無い。ただスキルと嗜好と適性があるだけだ。
子育てにおいても、物理的に性差に起因する作業(僕は授乳と出産以外ないと思うが)以外は、男女共にすることは出来る。この期に及んで、家での女性の役割などという寝ぼけたたわごとは、どこかになくなってほしい。

たぶん、今最も重要なのは、子育てを含む家事から性差の亡霊を放逐することだ。家庭をつかさどる事業を普通に列挙して、普通に役割分担をして、普通に実施すればいい。どれが大変だと威張るのではなく、外からお金を稼いでくるという業務と同様に、普通に毎日それらを分担すればいい。
あとは大切なのは、人として、個々の作業や業務をやってくれる相手への感謝の念。それをお互いもってやるべきだ。それこそが、家庭での男女共同参画の図だ。おかしな、似非科学での性差で、したり顔で、あれが女性の特性だからあの作業は女向けとか、これが男の特性だから男向けとかやるべきではない。個々の夫婦が得意なこと、やるべきことをおかしな統計学に惑わされずに相互に把握して分業するだけのことだ。

男性らしさ、女性らしさも結構だが、職場と家庭と地域の中ではそれにこだわるべきではない。また、アンチ女性らしさ、アンチ男性らしさもよろしくはない。ただ、自分らしさこそを正しく売りにすべきだ。

神鳳を食べよう:茶鳥つくね汁

2009年12月13日 12:18

たまには少し手の込んだ雰囲気のあるものをつくる事にしてみる。
冷凍保存のなかから、高級な感じの神鳳を一部解凍する(多分乾燥体でいうところの5g程度)。
神鳳冷凍保存

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小さな正義をかばう

2009年12月12日 10:50

僕には兄がいます。一人だけですけど。なんとなく、最近思い出したことをメモ。

小さい頃、なぜか兄と二人で汽車で旭川に出たことがありました。理由は全然憶えていません。ただ、妙に混んでいた普通電車で、二人とも吊革につかまって立っていたように思います。あ、厳密には兄は吊革で、僕はその兄のジャンバーにつかまっていたように思います。
目の前の座席に座っていた初老の人が、その満員列車のなかでタバコをくゆらせ始めたのです。当時は、特に今のように禁煙の風潮もないし、列車も禁煙ではありませんでしたので。
ただ、このおっさん、タバコの灰を床に落とし始めたんですね。
で、子供心に、タバコの是非とは別に、「床にゴミを捨ててはいけない」という観点から、
「おじさん、タバコの灰を床に捨てないで下さい」
と、言ってしまったんですね。そしたら、このおっさん、
「あ、でもしょうがないじゃないか、灰皿はあっちではなれたところにあるんだから。常識的に考えようね」
と、一笑に付したわけです。そのとき、周りの大人はみんな無視していたなかで、うちの兄が
「だったら、吸わなきゃいいだろう。大体、こんな混んでるなかで、タバコを吸うほうが非常識だと思いますけど」
と、きつく言ったんですね。そしたら、周りの人の目線も、このおっさんを批難する目線に変わったので、このおっさんはすごすごと、少し離れたところにある車内の灰皿にタバコを捨てました。

このおっさんの情けないのは、このあとで、列車を下りて改札をでたところで
「君達はどこの子だ。ちょっと、そこまで来なさい警察で話をしよう」
と切れて呼び止めてきたわけです。ちょっとした騒ぎなので、なにやら、結構なギャラリーが集まってきたわけです。ちなみに旭川駅のすぐそばに交番があります。兄はひるまず
「それでもかまいませんよ。大体、床に灰を捨てて、他人の迷惑を顧みない行為をするほうがわるいんでしょ。白黒はっきりさせましょう。恥ずかしいのはそちらです」
と、言いいました。それで、このおっさん劣勢を自覚したのか目を白黒させて、「全く今日日の若者は。親の顔が見たい」、と言って去っていったわけです。

たぶん、僕が車中で言い出さなければ、こんな変なものに巻き込まれずに済んだし、あのおっさんの言い分をあの場で認めて無視すればことは収まったはずです。でも、兄は、弟の小さな正義を守るために、ちゃんと身体を張って戦ってくれたわけです。

子供の言葉の中の小さな正義をちゃんと認めてかばってあげれる大人になっているか、自分のこととして反省することが最近多いのか、ふとこの事件を思い出してしまいました。

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