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情報文明論

2009年3月31日 13:59

これまでのように、学術・芸術・スポーツのパトロンといえばまず国家を思いうかべ、国の直営や保護助成にもっぱら期待するという風潮は、次第にすくなくなっていくし、またそうなるべきだと思われるのである。(P.361)

今現在、僕がお手伝いしている研究所の所長の著作。大学院生のときに読破したんだけど、そのあと、この著者と仕事で会う機会があって、そのことをお伝えしたら、「きみ、すごいね。書いた本人もちゃんと読み返してないよ」という不思議なお褒めの言葉を頂いたことが実に印象的でした。
今じゃぁ結構普通だけど、知価社会と言うのを想定したときに、その知というものに誰がどうお金を払うのか、誰がどう利用するのかということを社会の流れと共にきちんと論じている本。
分厚いので読破するには結構重たいけれど、知財商売をしたい人は是非読んでおいたほうがいいと思う。

世界を説明するのではなく、理解する努力を、より強く傾注しなければなりません。(P.425、チェコのバベル大統領の1992年の演説)


ということで、理解を深める一冊ということで。
以下メモを簡単に分類して残しておく。

文明について

「文明」が「ハード」であり、「文化」が「ソフト」であるといわれるのは、正しいであろう。(P.11)
文明の設計図としての文化は、文明の最終的な姿の細目まで規定するものではないにしても、「瓜の蔓には茄子はならぬ」というのと同じような意味で、文明の姿がそれ以上には変化しない(あるいは、きわめて変化しにくい)ような大枠を規定していると考えてよいだろう。(P.28)


社会のありようについて

"政治力"とは、世界との関係での主体の行為一般の枠組みをより限定して、主体間の相互制御関係のみをもっぱら考える場合に、もちいられるパワーの概念である。(P.153)
法は、結局のところ、法以外のものにその最終的な根拠をもとめざるをえなくなる。法を法たらしめる最終的な根拠は、複合主体および/あるいはその複合主体の意思決定を左右できる―つまり、その複合主体に対する狭義の政治力をもっている―他の主体の、承認以外にあるまい。(P.169)
行為の自由が大きすぎると、社会の内部崩壊の危機が増大する。逆に制限されすぎていると、変化への適応が困難になる。(P.208)
"軍事化"とは、主体の行為に必要な手段の獲得を、もっぱら他の主体に対する脅迫/強制力の行使をもってする方式の、高度化と普及をさす。他方、"産業化"とは(中略)、主体の行為に必要な手段の獲得を、もっぱら機械化とサービス化によってするようになる過程をさす。(P.303)
多くのひとびとは自分の労働力以外の生産手段をもたない"消費者"となり、消費財を市場で購入するようになった。(P.325、産業革命以降)

日本社会の特性

(日本社会では)やっと達成される合意は、"決定"というよりは、"成りゆき"とよびたくなるような性格のものである。(P.274、全会一致型のおそい日本型の意思決定について)
もちろん、借りはかえさなければならないが、返済を、借りた相手に対して直接おこなう必要は必ずしもないし、ましてや即座に行う必要もないと考えられている。この関係を"長期多角決済"を原則とする関係(P.291)

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