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2009年2月のアーカイブ

さまざまな迷路

2009年2月 6日 14:27

ずるさという、人間だけが持つ天与の能力。これある限り、ロボットなど恐るるにたらずだ。(P.101、過渡期の混乱)

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新編 風の又三郎

2009年2月 5日 22:41

「私のようなものは、これから沢山できます。私よりもっともっと何でもできる人が、私よりもっと立派に美しく、仕事をしたり笑ったりして行くのですから。」(P.251、グスコーブドリの伝記)

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イエスの生涯

2009年2月 4日 22:39

イエスの教え、それは何よりもまず、万人と接することであった。(P.65)

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のらの成り立ち~その9:大学院期~

2009年2月 4日 18:58

とりあえず、年始ぐらいに実家に転がり込んだのですが、入院生活が長かったり薬が抜けなかったりして、だるい感じもあったので大学院入試を受ける先を決めるために大学に遊びに行ったりしながら社会復帰を検討していました。

で、なんかバイトでもしようと、チラシに入っていたギフト用の箱に缶詰をつめるラインのバイトが、実家そばにあることを知ったので、社会復帰にはこういう単純な作業がいいじゃろう、ということで面接に行ったのでありました。そしたら、「そんな北海道大学なんて高学歴の方にこんなバイトはさせられません」といわれてしまう。いや、僕的にはリハビリついでなのでそれでいいのだけれど、と思っていたら別の業務を提示され、時給も高いバイトになってしまう。
それがサッポロファクトリーの裏の物流のバイト。テナントの荷物を集配荷しながら、自販機とゴミ箱とロッカーを管理するというもの。リハビリってよりは普通に仕事に。結構ハード。少しづつ元気になってくると、ボチボチ、ススキノなんぞの開拓にも精を出し始めるわけでして。この頃に今の行きつけ見つけたんだよな。
これに並行して、バイトの休みの日には大学に。院を決めるために情報収集。古巣に帰るつもりだったんだけど、たまたま、科学史科学基礎論講座の院生募集のポスターを見てしまう。基礎論の先生は大学の教養時代に習ったことがあって興味があったので、話を聞きにいくと、余り好印象ではないものの受験に必要な情報をもらう。ついでに、先輩がいないという情報も貰う。
この先輩がいない出来立ての研究室ということに魅かれ、ここを受験することに。で、まぁ、無事受かってしまいました。

で、大学院進学と同時にバイト先は終了。でも、たまたま最大のテナントであるサティの商品管理の方に気に入られ、そこのバイトに。事細かに事務仕事を教わりました。まるっきり違う世界の仕事ではあるけれど色々学べました。拾ってくれた社員さんと僕だけの職場。怒られたけど仕事のいろはをよく学んだよなと思う。一番力を入れたのは、間接資材の管理と、バイヤーの適当発注の撲滅。今思えば、データを元にしたBPR。社員さんは私物のPCを持ち込んでいろいろとやってたよな。
大学院はゼミのある週二日以外は、全部バイト終了後に行っていた。なんたって、専攻の実態は科学哲学。夜中にやろうが昼にやろうが大差ないわけでして。1年目は科学哲学一般。2年目は量子力学の様相解釈。ひたすら勉強しておりました。
で、夜はじめて疲れますと、終電時に一番そばの駅から地下鉄に乗ってススキノに。ススキノで一杯。で、とことこ歩いて実家に目指す途中で、ラーメンを引っ掛ける。更に、家のそばのコンビニで980円で売っていた750mlのタンカレーを買って実家の自分の部屋で更に飲んで寝るという日常でした。で、次の朝出勤して、というサイクルです。
あとは、インターネットインフラを引いてホームページを作るということをしていました。社会人の友人が非常にそれに精通していたのでひたすら指導を仰いで、Webサーバー兼クライアント機を立ち上げて色々やっていました。

そんな調子で淡々と2年間を送ったわけですが、博士課程にしようか就職しようかというところで、科学史と科学基礎論の学生控え室が共用で、僕の机の上に、科学史の先生が間違って求人票を置いていたのです。この求人票が、僕の運命を急展開させようとは夢にも思いませんでした。

ということで、次回に続きます。

自分を変えた怒り方

2009年2月 4日 17:51

変な話、この私はある面でやたら図太く、普通に怒られたところで、馬耳東風でさばさばしている。それが怒っている側の怒りを更に買うわけだ。それ自体はもうどうしょうもない。そもそも、ほとんどの場合、怒っている理由を知らないわけではなく、100も承知でそういうスタイルなんだから反撃するか馬耳東風な感じで謝るぐらいしか出来ない。
ついでにいうと、こういう天邪鬼な性格のなので、怒って僕を動かすと言うのはほぼ不可能。僕になんかやらせたいという人は、原則頼み込むと言うのが基本。札束も、社会的地位も、怒りも基本的には効きません。場合によっては仕事の都合上の手作業的なことぐらいはしますけど、人としての本質は変わりませんし、変えません。

で、そういうことを書きたかったということではなく、こんな僕でも怒られて変わったことが3回あります。あ、社会人になってからですけど。

一回は、放送局にはいってから。実は僕自身、自己否定が自分の思考の基本なので、提案を出しても常におどおど。ちょっと突っ込まれたらすぐ引っ込めちゃうという姿勢。当然、高校時代のトラウマが若干あるので、自分は無知で愚かであるという姿勢は抜けないわけ。
暇さえあれば「もっと勉強しろや」とデスクらにののしられる日々だったわけだ。ある日、先輩がうちに遊びに来て、うちにある本(読書日記の本のほとんどは大学時代に買って読んだもので、この当時から書棚に並んでました)を眺めて「これ、全部読んだのか?」といわれて、正直に読んだといったら、おもくそ怒られた。
「こんだけものを知っていて、不勉強のように振舞うのは、謙遜ではなく、ただの卑屈だ」と。こんな形で自己肯定されたの初めてだったので、ちょっと衝撃だった。おどおど感は抜けませんでしたけど、まぁ、結構ものをいうように頑張るようになりました。

もう一回は結婚してから。結構新婚時期だったと思うんですけど、「どうせ僕なんてバカだし、かっこよくもないから、ごめんね」という趣旨のことを話したときに、家内に烈火のごとく怒られました。
「あなたに自分がバカと言われたら、好きになった私もバカだってことじゃない!バカにしないで!」
と。
もう一回は独立してから。平穏無事な夫婦ではないのでケンカは日常茶飯事なのですけど、ある日、生命保険と医療保険の検討を保険屋さんと夫婦で一緒にしているときに、突如怒られました。
「なんで、死ぬことを前提に話するの!勝手に死なないでよ!」
と。あのー、生命保険ってのは死んだ後の家族の生活設計のためにかけるものなんですけど、医療保険以外掛けちゃダメですか、と思いつつも、僕という対象が存在していないということを前提することする許しがたい、ましてや、それをその本人が考えるなどもってのほかという姿勢。結婚している間は、うかつに自己の存在否定すら出来なくなりました。

でも、この三つに共通しているのは、僕自身の思考が自己否定にあるということに対しての怒りで、先方は僕を肯定してくれていることの表れ。うかっとすると、自己否定の海に心が沈んでしまう性格なんだけど、肯定してくれる人がいるということ忘れないように頑張らないととか思うわけだ。でも、そういういう怒り方のできる大人になりたいな。でも、そうなるためには、きっと自分がしっかりと自己肯定できないとダメなんだよね、きっと。

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