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2007年8月のアーカイブ

北海のら2007年8月22日

2007年8月22日 23:54

ちょっと飲んだのら。帰りに、スーパー行ったのら。殻付の生牡蠣が安くて旨そうなのら。2個買ったのら。
ホテルに戻ってあけたのら。箸とボールペンで格闘したのら。
一個は生、一個は軽く湯がいて食ったのら。何となく満足なのら。寝るのら。

僕が子育てSOHOをする理由

2007年8月22日 10:49

当然、僕一人で子育てをしているわけじゃないし、家事・育児・稼ぎを夫婦分担でやっているだけの事なんだけど、子育てしたいから、会社を辞めてSOHOやってますという風に思われがち。ある面で正しいんだけど、そもそも、何故そこまで子育てをしたいのかというところの話しは結構はぐらかしてきていたりする。

子育てしながら働いていると、いろんな人に子供好きなんだねと誤解されがち。
でも、実際にはそれほど子供好きじゃない。実際に自分の子供以外の子供の面倒は基本的には見たくない。もっと言えば、子供のあしらい方も上手いわけじゃないし、当然得意でもない。
にもかかわらず、こんなスタイルにこだわっているのは何故?というのもソコソコ良く聞かれることだ。多分理由は一つじゃないし、複数の理由の複合体なんだろうけど、元々、自分の子供が出来たら、子育てをやりたいとは思っていた。

多分、一番の理由は「中学校のとき養護施設のあるまちに住んでいたから」だと思う。中学校のときに転向した先には、養護施設があって、そこから年齢に応じてみんなそれぞれの学校に通っていた。
とはいえ、養護施設に視察に行って可哀想だとか、もっとこうしてあげたいとか思った事は微塵もない。そりゃそうだ。そこから僕の通っていた中学校に同級生が通ってくるのだ。同級生が住んでいる場所程度の認識しかない。
その中の1人ととてつもなく仲良くなって、ほぼ毎日つるんでいたわけだが、それでも何かそういう施設の子が可哀想だとか、不幸だとか微塵も思えなかったし思わなかった。当然、それだけ仲良しだったので施設にもお邪魔した事もあるし、向こうの家庭にお邪魔した事もある。
変な話、僕自身は至って普通の家庭で育ったわけだ。おまけに、家庭内のいざこざどころか、友人知人の恋愛すら全く気がつかない鈍感人間。なので、彼らの家庭の状況というのは、心底どころか表面的にも理解できていないわけだ。
ただ、そういう環境の人と普通に接して、普通に生活できるという事だけは良く理解した。あと、「家庭で子供を育てられない事情」というものがこの世に存在するという事実を把握できた。

ただ、数年、彼の言動の端々を聞き、やはり、「家庭で子供を育てられない事情」というものに関心をもった。また、自分の母も養女だった事もあり、その話も聞きさらに関心を深めた。
で、大学を卒業してすぐ放送局に勤めて、「何かテーマを持ちなさい」といわれたので、「家庭で子供を育てられない事情」という事にこだわってみた。件の友人にも早速相談した。すぐに、自分を担当した児童相談所の児童福祉司の方と、養護施設の先生を紹介してくれた。
で、他の取材の合間に児童相談所にお伺いしたり、養護施設の先生は僕の住まいのそばで喫茶店を開かれていたので、良くご飯を食べにいってお話を伺ったりと、結構気長に取材させていただいた。残念ながら、この取材は番組として形にはならなかった。
ただ、僕の中で、現代での「家庭で子供を育てられない事情」というものの本質と、その解決が見えてきた気がした。と同時に、子育てをする当事者ではない僕が、そのことを四の五の言ったところで説得力もなければ、無責任極まりないとも思っていた。
ただ、子供というものを自分が授かるのなら、当事者に成ろうと心に決めたのも多分この頃だったと思う。とはいえ、当時は全く相手の当てもないので、まさに机上の空論だったわけだ(笑)

今、自分が当事者になって、当時の自分が思っていた解決の方向性が正しいという確信はもっている。
件の友人が、TVで政治家だか評論家が「子供を育てるのは家庭。子供のために家庭を政府で支援すべき」という事を言う事に対して「家庭がない子は子供じゃないのか」と憤慨していた事が凄く印象的だった。でも、実はこの彼の一言が僕の思う問題の方向性と解決の方向性のヒントになっている。
やはり家庭がしっかりしている事は大事。うちは、しっかりした家庭を営めているとは思えないけど、共働き社会において家庭経営をしっかり行うことからはじめている。
ただ、家族が大事だからといって、家庭支援を公助で行うというのは論外だと思っている。家庭をしっかりさせるのは、夫婦の自助であるべき。その意思を夫婦で持つことが大事で、男だから家事をしないというのは論外だし、女だから家事をすべきだという事もない。ただ、夫婦がちゃんと主体的に連携して家庭を取り回していくことができればいい。

その自律した家庭が共助と公助を得て、子育てをしていく事は構わない。自助をせず、自助の範疇を公助に求めることは、むしろ子供が「公的機関が何でもやってくれるんだ」という無責任な感覚を身に付けることを助長するので、好ましいくない。
むしろ、公助に求められているのは、適切な家庭を得られない子供たちに対して、適切な家庭相当の機能をする部分をどれだけ提供して上げれるかがポイント。それは、現状の制度化では、養護施設の質や量の向上でしかない。「親に手当てをいくらよこせ」だの「出産した人数に応じて助成金よこせ」というのは、一見よさそうに見えるが、実は、子供自身にとってのメリットになる事は少ない。

子供自身にとって最大のメリットは「親が自分のことをちゃんと見てくれる事」以外ない。実はこれさえちゃんとできれば、家庭で子供はちゃんと育つ。親が子供以外のことや子供の周辺の事(成績とか他者評価とか)にばかり関心を持って、お金で子供のことを解決するようでは、お話にならない。もらった補助や助成で、自分の娯楽のためや子供の周辺の事でお金を使っていては、お話にならない。そもそも、子供とちゃんと向き合うのに、お金はそんなに必要ない。家事と仕事を上手に夫婦で分担して、時間をどれだけ作れるかだけ。
いわば家庭の自助がどれだけできるかが両親に問われている内容であって、わけのわからん早期教育だの成績向上だのはどうでもいいことなのだ。ましてや自分の娯楽に時間とお金を割くなんて言語道断。というのが、色々取材して得た結論。特別、子供がかわいいとか何とかということは抜きにして、子を授かった以上、親としての義務だと思う。

という理屈から入って、何かの間違いで素晴らしい人を家庭に迎えて(迎えられて)、子供が出来たからにはそれをやらねばならないという使命感ではじめたのが、子育てSOHO。実は、結構書き出すともっと長いんだけど、お金儲けよりここの部分が強いんだよね。
どれぐらい出来ているかは分からないけど、やってみると、思ったより大変だったり楽だったりと、なんともいえない生活スタイルです。

北海のら2007年8月21日

2007年8月21日 18:38

TS2D0529.JPG久々出勤したのら。
特段忙しくないので、駅のロケット展示を見に行ったのら。
あの打ち上げした4メートルロケット&ランチャをここに搬入したことが驚きなのら。子のら連れてきてやりたかったのら。ペーパークラフトもらったのら。

子のらのお土産にしようと思ったのら。でも、運搬中にしわくちゃになるのは確実なので、作ることにしたのら。事務所に戻ってきて、ひたすら組み立てたのら。大変だったのら。どうにかこうにか出来たのら。

バスでホテルに戻ってみたのら。結構便利なのら。

それって楽しいですか?

2007年8月21日 10:47

某BLOGで、ミッションの中身を伝えるのにどうするか、ということについてちょこっとコメントして、ふと思ったことがある。そのコメント自体は「中身を伝えることも大切だけど、楽しそうにやっている様を見せること自体が大事」的な内容だったりする。

まぁ、僕の仕事事態はある種の翻訳業みたいなもので、中身を分かりやすく伝えることが大半なのだけれど、中身そのものを伝えても、肝心な何かがいつも伝わらないなぁと思うわけだ。特に、文章だの映像だのとパッケージ化してしまうとなお伝わらないわけだ。
編集さんなりクライアントさんなりがOKをくれるし、読者から感想が届いたりもするのだから、分かりやすくは書けているんだろう。けど、なんかしっくりこないわけだ。

多分一番大事なのは当事者の、わくわく感というか、楽しんでいる感じというもので、こればっかりは当事者じゃないと分からんところがある。メディアのジレンマみたいなもので、当事者になっちゃうと伝えるべき第三者の気持ちが分からなくて、上手く伝えれない、というもの。でも、これは、見事にパブリックアクセスといわれる試みが打ち砕いてきた。当事者が自分で映像を作ってしまえばいいし、それでも伝わるものは伝わるということ。
とすると、必要なのは当事者がどれだけわくわく感を持って事に当たっているかどうかが大事ということになる。

ということを考えながら思ったのが、なんでがちがちのメディア上がりの僕がこんなことを思うんだろうってことだ。最近は、面白そうにやっている人を捕まえてきて、飾らない感じで、その本人をただ楽しませればいいとか思っている。これを見れば、伝わる人には伝わるだろうし、伝わらない人には伝わらないんだろうなと。
なんだかある種の職務放棄チックなんだけど、本当にそう思うわけで。

大学4年生のときの研究発表のときに、かなりちゃんと発表できて受け答えも完璧だった(実は熱があって本人はあまりよく覚えていない)。研究内容だって結構いい線いっていたと思う。このときに、某講師の方が、一つだけ質問をした。
「発表は良く分かったし、いい研究だと思うけど、君はこれをやって楽しかった?」
なんか、この質問に、上手く回答できなかったことを覚えている。
確かに研究そのものは、結構楽しんでやっていた。その研究テーマに行き着くまでに若干紆余曲折があったので、気持ち的に心底楽しめていたかどうかは分からないけれど、結構、研究そのものは楽しんでやった。
が、僕の発表は多分、研究内容は伝わる内容だったけれど、その研究の楽しさは同期の誰よりも伝わらない内容だったんだろうなと思う。なので、そんな質問が来たんだろうなぁと。
多分、あのときの僕が下級生に研究内容を説明したら、内容は良く分かってくれるけど、きっと誰も後輩にはならなかったんじゃないかと。他の人の内容はわからなくても、その研究に関して後輩になってくれるんだろうなと。

「伝える」というのは、使い捨ての「伝える」ではなく、できれば次へ継承するために「伝える」であったほうが良いんだろうな。そう思うと、大事なのは内容を噛み砕くことでも、高尚な内容を論理的に隙なく伝えることでもなくて、「それって楽しいですか?」という問いに、全人格を持って「楽しい」と答えることができる人そのものを紹介することなんだな。きっと。

北海のら2007年8月20日

2007年8月20日 23:21

うぃ。北海道来ました。でもついたのは夜中。バスは駆け込みだし。明日からがんばるべ。

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