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2007年6月のアーカイブ

自助と共助と公助

2007年6月 3日 10:18

ただ、元気が出ませんでは、納得しない読者の方もいるだろうから、元気が無いなりに思ったことを書こうとか。

昨日も、思ったのだけれど、子どもをそこいらにほっぽって置く親が多いわけだ。それにまきまれて身動きが取れなくなったのが事の発端。
子どもの面倒を見るという行為一個とっても、それは、自助と共助と公助で成立するわけだ。
子育て関連政策という代物がある。これは、公的な施策なのでいわゆる公助だ。で、運動会の会場で自分の子どもが暴走しないように見ているというのは自助である。で、他人の子どもも暴走しないように見ていようというのは、別に公的施策でもないし、自分の子どものことでもないからいわゆる共助の範囲ということになる。
でだ、共助を求めるからには、その分きちんと共助を提供しているべきなのだが、どうもその辺がおかしい。

その子どもを放置していた親ってのは、子どもに聞くと、自分が見物するために子どもをほっぽって置いて見物に夢中というわけだ。明らかに自分のお楽しみのためであって、共助のために手が埋まっているわけではない。で、その子の対応をしている僕は共助を提供しているわけだが、結局、自分は運動会はまともに楽しめないわけだ。
非常に不服だ。「自分は自分でそんなクソガキほうっておいて楽しめば良いじゃないか」という意見もありだろし、そのとおりなんだろう。
なので、共助を提供した自分が悪いわけなんだけど、この子どもをほうっておいて事故ったら誰が責任をとるんだと思うと、やっぱり放置するわけにも行かない。こういう善意の範囲で、全体の共助が決まってくる。
でも、本来はこういう場面の子どもを見るという行為は自助であるべきだ。

最近、こういうことが多すぎる。自助を何にもしないで、公助を求める。公助を求めて果たされなかったら、共助に参画することなく、共助のサービスだけ受ける。何もしないで何でもしてもらおうという腹積もりなわけだ。まだ、共助と公助の区別が付いていればましなほうだ。
大半は、「やってくれる人がいるんだからやってもらえば良いじゃない」というわけだ。彼らにとって、そのやってくれる何かが、共助か公助かはどうでもいい話ということらしい。で、可能な限り自助を0にして、たまたまうまくいけばそれで、それでいいということなんだろう。

ああいう公共の場で、恥も外聞も無く自分が遊ぶために子どもを放置して気にしない親ってのは、そういう根性なんだろうなとよく分かる。
で、事故った時には他人のせいにしたがって騒ぎ散らすわけだ。勘弁して欲しい。共助でいったん手を付けたら、途中で手放すとそういう扱いを受けるリスクが付いてくるわけだ。

自助もせず、共助に参加しないで、公助のための税やらガバナンスへの参画もしないで、勝手気ままな親のせいで、運動会は楽しめないわ、家族とギクシャクするわでもうたくさん。共助も公助も受けないで自助だけで生活するから、もう放っておいてといいたい。疲れた。

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