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2007年4月のアーカイブ

のらの成り立ち~その1:幼児期~

2007年4月22日 10:15

ほかの自分の日記とネタがバッティングしないようにと工夫して、この「のらっぷり!」を書いているわけだけれど、このスペースをくれた方からの元のリクエストに、舟橋の送るのらな生活を書けというのがあったので、のらな生活を書かねばならないけど、そのまんまじゃ、明らかに日記とダブるので、キャラを変えて視点を変えることでほんの少~しだけ、差別化をしてみていたりしています。とはいえ、いい歳した30オヤジが、「~のら」なんていいつのっている(というかかきつのっている)様は明らかに変だったりします。明らかに苦情が多かったら次回ののら生活は、また違う趣向でいこうと思います。

で、言い訳が長くなったのですが、この変な30オヤジの成り立ちでも書いて、少し自己紹介っぽいことをしていこうと思います。

北海道旭川市というところで、鉄道員(ぽっぽや)の次男で生まれました。といっても、まぁ、僕の生まれた頃の旭川は十分近代化され、あの映画のような趣のある風景ではありません。その時点の家族は父、母、祖母、兄で僕を入れて5人家族でした。

はっきり言って、この頃の記憶は限りなくありません。あるのは2~3才頃に入院していた病院の天井の風景ぐらい。アルバムの写真と親の話を総合すると、仮面ライダーV3をこよなく愛する普通の幼児だったようです。
まぁ、うまくしゃべれないので、「ぶいすりー」といえず「ぶいちー」っていって喜んでいたみたいです。いまだに実兄には、ぶいちーってバカにされます。
あと、弟のことを「おんじ」と呼ぶのですが、この頃、意味がわからず「おんじと鼻血はどっちがえらい?」と親類縁者が集まる満座の中で聞いたことがあり、親戚にはいまだに「おんじとはなじ」といってバカにされます。幼少のみぎりの舌下事件は気をつけましょう(苦笑)。

鉄道員の常として、実は引越しというのは宿命です。駅から駅へと渡り歩いて仕事をします。当時、あまり単身赴任というのは聞かないことでした。単身赴任の弊害なんかがニュースになるぐらいでしたし。
で、うちもご他聞にもれず、お引越しをすることになります。5歳くらいのときでしたでしょうか。

次に住んだのは、近年著名になってきた幌加内そばの産地の幌加内町でした。
とっても田舎でして、母は専業主婦なのですが、幼稚園というものがないので保育園に通ってました。
この頃のことはボチボチと記憶にあります。
保育園ではお昼寝が嫌いで、とにかく昼寝をしない子供で、先生に無理やり顔にタオルをのせて(当然濡れタオルを鼻と口にではなく、乾いたタオルを目の上にですけど)寝かしつけていましたが、結局お昼寝をしないことは日常茶飯事でした。とにかく遊びたかったようです。
あと、祖母がよく保育園まで送り迎えしてくれていました。帰り道に何か駄菓子を買ってくれたことと、その道中の橋の袂で千円札を拾って狂喜していたら、祖母が交番に連れて行ってくれて、ちゃんと落し物の届出をしたことをよく覚えています。
最後に、とにかく冬が殺人的に寒かったこと。よくこんなところで生きていたものです。時々水道管が凍って、朝、水が出なかったようなことを記憶しています。

この頃、TVはNHK教育と決まっていまして、TVでやっていたジャガイモの植え方を覚えて、隣のおばさんにジャガイモの植えたか指導をしていたそうです。当然その頃の大人たちには常識だったのでしょうけど、よっぽど微笑ましかったらしく、しっかり営農指導に従ってくれたそうです。
あとは、「できるかな」の影響で暇さえあれば紙工作で、ガムテープは大量消費するは、家はなぞのものの製作時の出るごみくずで散乱してるわ、ひどい状況だったようです。母はガムテープをせっせと買って苦労したようです。

この頃の行動範囲は、祖母と母に連れられる半径の中で行動していました。幼児なので当然ですが。
この田舎の町、幌加内で小学校になりますが、それはまたの機会のエントリーで。

愛知のら2007年4月20日

2007年4月20日 23:57

今日は帰るのら。駅で一杯お土産買ったのら。ベーグルを買ったら列車に乗り遅れそうになったのら。しかも荷物が重いのでフラフラなのら。

飛行機とバスで、いつものやくざ風(やくざ風であってやくざではないのら)の事務所に。色々打ち合わせしたのら。帰り際に、をくれたのら。のらの友達がでているのら。

家に帰ったら、家族が帰ってきたのら。でも、すぐにのらは出て行ったのら。フラフラでくたくただけど、飲みに行くのら。
この飲み会が終われば、のらはいったん終了なのら。飼い犬に戻るのら。

北海のら2007年4月19日

2007年4月19日 23:45

今日はお酒の先生、小泉さんの講演を聴いたのら。

でも、のらが期待したお酒と発酵のネタはほとんど出てこなかったのら。悲しいのら。
お話の大半は「肉ばっかり食っちゃいかん」という話だったのら。GHQがパンと肉を食わないから日本人は弱いなりといった話をしてたけど、GHQより遥か昔の明治頭の札幌農学校なるところで、米食魚食止めさせて麦と肉を食わせるなり、と外国人どもが言って、それを強制させた歴史はすでにあるのら。それでも、ライスカレーだけは米食を許容されたのらよ。
お話が終わってから、地場の産品の試食なり。試食会場には肉加工品がたくさんあったのら。なんだか先生の話に反するイベントなのら。

終わってから、のらの友達の独立家研究者から電話が来たのら。のみのお誘いだったのら。今月ののらの飲み納めなので、のこのこついて言って飲んだのら。
沢山飲んだのら。明日は帰るのら。

空知のら2007年4月18日

2007年4月18日 23:43

今日は空知(そらち)でのらしてきたのら。

まずは電車で岩見沢に行ったのら。お客様のところで色々打ち合わせたのら。ここの会社のファンなので、のらもこの会社のホームページで紹介されたことがあるのら。実はSOHOリレーフォーラムではのらのつまらない話で眠らないようにここの商品を必ず配っているのら。お蕎麦をご馳走になったのら。岩見沢のおそばは駅前の不思議なお蕎麦屋さんもあるけど、どこのお店も大体美味しいのら。そんな中でもピカ一のおそばをご馳走になったのら。

TS2D0027.JPG今度はジンギスカンの国の滝川に電車で移動したのら。のらはジンギスカンは漬け込みダレ方式に限るのら。生肉をそのまま焼いてはダメなのら。生をそのまま焼くのはただのバーベキューなのら。

ここからバスで赤平の外れまで行くのら。赤平のはずれに本物の宇宙開発基地があるのら。まるであさりよしとおのマンガの世界なのら。そういえばこの人も空知の人だったのら。無重力実験施設にロケットエンジンの製作やら衛星の製作やら天文観測のドームやら壮大なのら。今度のらの本拠地の安城に来てもらうので、その打ち合わせなのら。ほとんど関係ない話で4時間居座ったのら。のらは楽しかったけど、社長さんは忙しそうな人なので、申し訳なかったのら。

後はバスと電車でホテルまで戻ったのら。時間が中途半端だったので、コンビニで酒買ってかっくらって寝たのら。

旭川のら2007年4月17日

2007年4月17日 23:51

今日も旭川なのら。ホテルを出ていろいろやって、のらの親の家に行ったのら。行っただけなのら。

刈谷から来ている友人と公の民の館のオサと食事。ラーメン オブ ザ ラーメンの蜂屋なのら。行ってみたら、味噌塩醤油があるのら。餃子があるのら。セットがあるのら。メニューが幾何級数的に増えているのら。店内がきれいのら。蜂屋の店名の由来になった蜂蜜アイスまで復刻してるのら。衝撃なのら。

刈谷の友人がお土産にロ○ズを買うとか暴言を吐き出すのら。ここは旭川なのら。お菓子の国旭川で他市町村のお菓子を買おうなどと言語道断なのら。館のオサと共謀して地場産品センターに拉致したのら。これでロイ○などという世迷言は言わせないのら。
TS2D0021.JPG僕が見ていたら、昨日の医大通りを髣髴とさせる「旭商せんべい」と「旭商ラーメン」が売っているのら。企画は旭商の生徒会なのら。激しい生徒会人生を送ったものとしては、なかなか熱いのら。やるな。生徒会。
この高校はのらの父上の母校なのら。おまけに、昨日の裏切り者の旭川SOHO協議会の代表の母校でもあるのら。この代表、昨日解散して仕事するフリして独りでのみに行ったのら。この裏切りは一生忘れないのら。
それはさておき中々なチャレンジなので、とりあえず買っていくのら。

でも、札幌戻って中身を食べてみたら、とっても普通の薄焼きセンベイなのら(T-T)
ちょっと悲しいのら。でも、商業高校の商売の訓練という意味では、こういうなんでもない商材でもちゃんと売って利益を挙げることは大事という教育に違いないのら。

夜には新聞記者と少し飲んだのら。楽しいのら。

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