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2007年3月のアーカイブ

まちづくりの机上の空論はくそっくらえだ

2007年3月31日 10:01

私が地元で自己拠点化しているセンターでの、隣町からのお客様の発言。
この後に「大事なのは、その現場の中に身を投じるて実際にやること。このやる人が多いので、ここはうらやましい」と繋がる。
ある意味、まちづくりは自治そのものととらえると、正に至言。

色々な場面で、作戦やら指揮官の重要性を説く人がいて、ある意味でそれはそれで正しい。トップダウンの組織であればそうだし、ガバナンスの機構それ自体であれば、組織のつくりはそうなっているので、そうあるべきである。

しかしながら、ガバナンスは所詮、自治の一機構に過ぎない。ガバナンスが全ての自治(=まちづくり)をするわけではない。むしろ、その地域に住む構成員が日々生活し、その常々起こる衝突や接点を相互に自己解決していく行為に他ならない。この全ての衝突や接点にガバナンスが介入するわけでもないし、人々の日々の営み全てをガバナンスが規定するわけでもない。また、ガバナンスに準じるほかの機構が規定するわけでも当然ない。

どちらかというと、上から青写真を持ってきて何かやるということがあったり、それを上手くまわす唯一普遍的な理論があるわけでもなく、生活内で起こる他者とのふれあいという個別事象の集まりに過ぎない。そのふれあいを同処理するかは、誰に決められるものでもない。全ての住民が当事者意識を持って一つ一つ丁寧に処理していくだけのことだ。

あくまで、ガバナンスや個別の組織は、そのまちの中の一パーツに過ぎないし、そういう組織化を地域全体でしするという空論を、他人事のように述べて、実践はなんでも他人がやってくれるという姿勢は、正に自治の放棄に他ならない。

まちづくりや自治に青写真はない。毎日こつこつと隣近所とまじめに付き合っていく姿勢の繰り返しに他ならないのだ。

学ぶべき共通語は

2007年3月28日 09:57

最近、何が何でも英会話って風潮が周りで強い。で、学校教育じゃ英語しゃべれないし、教室通わせなきゃねってのも良く聞く。あと、算数やら数学なんか大人になってからモノの役には立たないという声も聞く。なので、総体として、学校の勉強は役立たずという風潮になって、学校に対して斜に構える人が続々と増えてくるわけだ。

こういう声を聞くと、軽薄に英会話を駆使して海外旅行をする人々と比べて、明治時代の元勲どもは、役に立たない無能っぷりだったわけだ。と、反論したくなる。海外の知識を持った明治の元勲は多いけど、外国語をしゃべれないやからは少なくなかった。でも、海外の事情は彼らのほうが精通していただろうし、もっと言えば外国人の尊敬をちゃんと集めていた。
英語を使いこないして軽薄に旅行する連中は、買い物は出来ても、外国人から尊敬を集めることは出来ない訳だ。尊敬は買うものじゃなくて、軽蔑は買えるってのもあるんだろうけど。

で、明治時代のヘボン門下の人々が、ヘボンを驚かせたのは、彼らの物理学や数学などの科学的知識が豊富だったことに他ならない。彼らの間の共通言語は、英語ではなく、数学などの科学知識を伝達するための形式言語であったのだ。
裏を返せば、英語が出来るよりも重要なのは数学などの論理的な形式言語をどれだけ使いこなせるかに他ならない。

実際に、外国人のプレゼンテーションなどを見ても、ほとんどムービーで英語等の外国語不要で理解できるものばかり。要は重要なことというのは、ほとんど、決まった文脈やら形式で伝えられるということだ。

すると、海外で活躍する上で最も重要な言語は、何かというと、英語なんぞはどうでも良いということになる。少なくとも英会話に固執する必要はない。筆談が出来ればよい。
実は、全世界共通の言語は論理という形式言語だ。これさえあれば、実際に世界中どこに行っても通用する。
母国語の発音や最も基本的な発想法はもうどうしようもない。が、論理だけは年を食ってからも学習で身につくし、これをもって辞書でも引き引き筆談すれば、十分ビジネスはやっていける。

学校の勉強は役に立つ。受験勉強に学校側が無意味に迎合して暗記に走らなければ、である。そのとき最も重要な「論理」を学べる教科が数学であり算数なのだ。これを軽視する大人は、自らがビジネス社会で負け組入りを宣言しているようなものだ。
習い事などいらない。受験もいらない。まずはまじめに論理を身につけさせるように学校側と協力して、きちんとした数学の授業を行わせるべきだ。これこそが、子供たちが学ぶべき世界共通言語なのだから。

自治の学校

2007年3月25日 09:49

就職試験に料理をって言う、友人のBLOGに触発されて思っていたことを書く。

社会人の本分は仕事で、学生の本分は学業って言い方を良くする。これ自体にさほど異論はないんだけど、本分さえこなしていればなんでも良いのかっていうことがとっても気になったりする。
最近自分のBLOGの中で、家庭のあり方を通じて、人が生きていくということについては「仕事(=本分)」と「地域(≒自治)」と「家庭(≒家事)」の3本柱で成り立っている、と主張してきている。
本分さえこなせばいいということは、本来生きていくうえでありえなくて、一個人であったとしても、それぞれ出来ないといけないわけだ。家庭というのは我が身そのものの保持であり、地域とは我が身を生かす社会システムの保持である。この二つが会って初めて、本分という話が成り立つ。

そういう意味(友人のBLOGとは違う文脈だけど)でも、就職試験において、その人の家事能力を測定するという意味でも悪くはない。3本で人が立っている以上、一本でもおろそかであれば、どこかで本分であるべき仕事でも支障をきたすはずだ。

ただ、現実問題、こいつを就職試験に課すと多くの輩が「本分(過去の本分である学業、今後の本分である仕事)でもないものを試験課題にするのは不公平だ」とかほざくんだろうなと思う。
何でこんなことになったのかなぁと思うと、やっぱり受験戦争以後の教育環境が宜しくないんだろうなぁと。
親は子に「本分だけに集中しなさい家事なぞやるな」と、先生は生徒に「本分だけの集中しなさい自治なぞするな」と。で、まぁ、お手伝いをさせない親が悪いといわれがちなんだけど、実は、学校の重要な機能である「自治の学校」を実践していない学校のいかに多いことか。いわば、家事をさせない親も悪いけど、自治の練習をさせない学校も悪い。
いわば、人間とは、家庭と地域という生きための基本機能を抜きにして、本分だけやる実態から遊離した存在たれというわけだ。

最近は躾やら学級崩壊やらの流れで、家事は家庭の領域で、明らかに家庭の責務として扱われているわけだが(最近は食育だのとかいうことで内容を奪われているが)、自治の教育は誰の責務かは意外と忘れられがちだ。
それは学校の仕事のはずだ。だからこそ、大は児童会、生徒会といった自治機構があるし、小は美化係だの図書係だの日直だのというのがあるわけだ。最近、こうした活動はどんどん衰退している、というか有名無実化して、ほとんど機能していない。そうして育った世代が我々で見事に各種の係をやらない。当然子供にやらせない。もっと言えば、この世代が先生だからやらないことについて、変に理解がある。

家庭は家事の学校であるが、学校は自治の学校でもあるはずだ。生きるために必要な2機能をちゃんと教えないといけない。学業は学生の本分だが、社会に進むための訓練所であることも確かだ。であれば、自治の訓練をしっかりすべき場所であるのだ。ペーパーテストでいい点数をとることなど、自治を理解した人間を作り出すことの前では二の次であるべきだ。

民主主義社会で必要なのは、勉強が出来るいい政治家や官僚を作ることじゃない。毎日の生活の中で、地道に自治を行える人間を生み出すことだ。政治と行政は一部の人間の仕事だが、自治は全員の仕事であり、政治も行政もその一部に過ぎない。
家事を教えて社会に出す家庭の再建も大事だけれど、こういう視点での自治の学校の再建も重要である。教育再生で幾つかの問題が解けるだの解けないだの大騒ぎするのも結構だが、こういう観点からしっかりと家事のできる家庭人であり、かつ自治を出来る地域人を作ってもらいたいものである。

想いを受け継ぐ

2007年3月24日 09:46

先日、待ち合わせに1時間ほど待った挙句に結局来なかった子がいた。
正直、そのときは「自分でお願いして連絡も無く来ないなんて、なんじゃこいつ」とか思った。でも、まぁ、待ち合わせ場所が自分にとって遠路でもないし、ほとんど気にしないで忘れていた。
で、その相手のmixiメッセージが今日突然来たので、なんじゃなんじゃとか思って開いてみた。そしたら、ご家族の方からで、その方が既にご他界されていた旨の連絡だった。
葬儀やらなんやらがひと段落してから片付けている最中にmixiというモノを知って、自分の子がmixiで色々と連絡を取り合っていたとのことに気がついて、アポをすっぽかしてしまっていることについての連絡をくれたのだ。

ご家族の心中を推し量ると、如何ともしがたく、ご冥福をお祈りするしかない。生前の自分の子どものことをもっと把握したかったという親御さんの無念の想いもお察しするしかない。
なので、ここでBLOGのネタにするというのも実はものすごく礼を失する行為かもしれないが、僕の中で彼女のことを何らかの言葉にして残してあげたいと思うわけだ。

彼女は、「科学と社会の繋ぎ役になりたい」との想いを持っているとのことで、友人の紹介で飲み会の席でお引き合わせいただいた。
僕自身がどの程度繋ぎ役になっているかはともかくとして、多くの友人知人がそういう活動や職業に身を投じて頑張っているので、そういうことはご紹介できるかなぁという程度の気分でそれとなく連絡を取り合ってきた。

ご自身、ライターとしても活躍され幾つかの記事を書いた実績もお持ちだった。ただ、未だ大学生だということや、科学技術をテーマにするという点ではまだまだの所もあり、科学と社会のつながりを研究したり実践したり出来る大学院の進学も希望されていたようで、色々と調べていたようだ。一応、科学技術コミュニケーション関連講座というものについても、僕自身それ相応に情報を持っていたので、色々情報は提供してきたつもりではある。
たまたま、ご本人が私が非正規で勤めている大学のそういう講座に興味を持ったらしく、一度相談にのってくださいとのことだったので、一度愛知で打ち合わせしようということでアポを取っていた矢先の出来事だった。

自大学の科学技術コミュニケーションの活動に関しては、厳しいことを言って歩いてきたけど、それは期待の裏返しなので、彼女にはぜひとも本学のその大学院に行って、活躍してもらいたかったなぁと思う。お会い出来ていたら、そうやって悪いと思うところ所は悪いと思うところ所でお話した上で、「うちの院はいいぞ」ってお勧めしたと思う。

私自身、人の親なので、親御さんの気持ちを思うと何とも切ない。と、同時に未だ志半ばで生きている人間なので、彼女のように志半ばで他界されるという彼女自身の気持ちも思うと何とも切ない。

偶然出会っただけの縁だけれども、こうした想いは少しでも忖度して、次の世代に良いものを残す義務はきっとあるんだろうな。特に、彼女に近い思いのある人たちはそういう活動をより真剣にやっていくべきだろうし、人の親であればこういう悲しい親を作らない安心安全な社会を目指していかなきゃいけない。
想いを受け継ぐってのはそういうことなんだろうな、と思う。

僕の妻が本当にすごい理由

2007年3月15日 09:42

いつもSOHO御題の講演をすると、その後の交流会や質問の場面で、一人二人に必ず言われることがある。
子育てをしながら働くということにこだわっているせいかもしれないけど、
「奥さんが働いているから、お金の心配をしないで、そういうことができるんだよね。できた奥さんでいいよね」
という話。

確かに、最後の「できた奥さんでいいよね」はその通りだ。その点に関しては勝手に僻め。あんたの選び方が悪かったんだから。
でも、「働いているから、お金の心配をしないで」というのは、ちょっと待てと思う。基本的にSOHO事業者になってから、うちは相互に独立会計だ。共通のものの支払いとかはお互いに適度に分け合ってやって行くようにしている。なので、大成するまで全部オンブにダッコで食わせてもらうヒモではない。そんな不労所得で好きなことをやろうというような人生はお断りだ。
ただ、本当に厳しい年に、ある程度融通してもらったり、共通支払いをお願いしっぱなしだったこともある。だから、家内のお金をまったく当てにしていないという訳ではないとは思う。

でも、自分の事業を支えさせるために外で働いてほしいと思ったことはない。当然、うちが激しく稼いでも、仕事を続けてほしいと思っている。それは、僕の前のコラムと矛盾するところもあるけど、あくまでも、夫婦云々の前に、それぞれが一個の人間としてきちんと自立して生きていけることが大事だと思うからだ。
なんだか知らなけど、人の家庭崩壊を垣間見る機会が結構あって、そこの悲劇から引き出されるのは、それぞれ自立していない人間の過度な相互依存が話をおかしくする、ということだ。
旦那は家事・育児・地域を家内に100%依存し、家内は旦那の稼ぎに100%依存しているという状態は、何かが崩れるともう狂いっぱなしだ。離婚するときにだけ「女も稼がないとね」なんて言わないで、はじめから稼いでいればいい。また、男も家事・育児・地域をちゃんとやって、どっちかがこけても、ちゃんと家庭が回る力量を持つべきだ。
それぞれがちゃんと稼いで、家事・育児・地域をやって生きていける人間でなければ、本当の意味で相互に尊敬しあい理解しあう家庭なんて出来上がるはずがない。実際に分業状態であったとしても、潜在的にそれがいつでも出来るという状況を保持すべきだ。

これは簡単なようで結構難しい。一度、どちらかがふっと油断をすると、稼ぎ・家事・育児・地域のどれかが自分の仕事ではなくなり、依存状態が始まる。
それに、こんな夫婦、それぞれがそれぞれで生きて好きなことだけをやりだすと、相互無関心になって家庭が荒れ放題になる。まさに、今のヘビーな共働き夫婦はそっちに向かって走りやすい。
それでも、その中で、バランスをとって、そういう夫婦を続けて行く、家庭を続けて行くというのはとっても難しい。
でも、そうして生まれた人間の相互依存ではなく相互連携的な家庭が本当に家庭といえるんだと思う。

僕の妻が本当にすごい理由はそこにある。
うちの地域では、いまだに、家庭は女、稼ぎは男という風土にあって、僕の理想の家庭のあり方は周りには明らかに理解されない家庭のありようだ。たぶん、家内もなかなか理解し切れなかったと思う。それに、周りの目も気になってつらいんだとも思う。(おかげでよく喧嘩もしたし。)
それでも、一生懸命、地域の常識をまったく無視した僕のやり方にきちんとついてきてくれて、そういう意味合いで、フナハシドットコムという事業所のあり方を支えてくれていることだ。

僕が目指すのは、みんなが努力しただけ幸せになれる社会を作ること。妻は、そのための重要な要素である家庭のあり方を、実践を通じて本当に作ってくれる最高のパートナーなのだ。感謝しても感謝したりないぐらい。
金をかみさんが持ってくるからやりたい放題で良いよね的な物言いをされるとむかっと来る。まるで、ヒモになるか食わせるかという二択的発想だ。そんなカネあり方でしか夫婦のありようを量れない心の貧しい生き方の人に、僕の妻を評価してもらいたくはない。

とはいえ、こういうやつを減らすために事業をしてるんだから、ある意味これは良い客なのか。営業して客にして洗脳でもしたほうがいいのかな?

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