1. ホーム
  2. のらマネージャーのブログ
  3. 2006年12月のアーカイブ

2006年12月のアーカイブ

変わらない自分

2006年12月 4日 13:50

わくわくセンターを運営するNPOの有給スタッフ全員によるミーティング。指定管理等を次々と取ることによって、ここ2年で、有給スタッフ約40人、予算規模約1億5000万と急拡大。多分このエリアでは有数の巨大NPO。
で、急拡大した組織でありがちな問題で、そもそも、このNPOのミッションやら理念が何だったのかをイマイチ理解しないで入った職員も増えるということがある。ここも例外じゃない感じ。特に、日常業務が直接理念直結の内容じゃない施設系スタッフは、そういう実感が無いまま手伝っている人も少なくない。
で、そういう講義やら議論をする研修会なんだけど、僕としては、理念が共有できなくても使ってくれればそのスキルはホイホイ提供しますってところがある。いわば、中身が空っぽの道具で、自分の理念がどうかというところとはちょっと別に能力の提供ってのがついてきている。
むしろ、中身を問われちゃうと困る。いわば、理念を持っている人に最善の道具としてノウハウを提供するというスタンスで、自分が自分のためにノウハウを活用するということはほとんど思いつかない。

実は、これって23歳の時に放送局を辞めた理由そのものだったりする。大学の時に、広告代理店に入りたくて、業界マニュアルに従って活動して、マスコミって言うジャンルの会社を受けまくったわけだ。そうして広告代理店じゃなくて、放送局そのものに入っちゃったんだけど、これがきつかった。
何がきつかったかというと、忙しいこともさることながら、「お前の伝えたいことを持ってきて、お前の想いを持って、番組にせよ」といわれるわけだ。ちなみに、その放送局の最終面接のときに「あなたは何をしたいですか?」と問われ「まだありません。これから探します。すみません」と謝ったぐらい。
ちなみに、広告代理店であれば、お客さんが売りたい商品があって、それをよりよく伝える方法を共に考えて、CMなり何なりにしていく。伝えたいこと自体はお客さんが持っているというわけ。伝えるノウハウ提供というわけだ。コンサル業なんかもこれに近いし、その後の仕事のセクションもこんな感じの業務が多いので、ハードだけど長続きしている。

当然結婚してから「それにノウハウ提供すると子供のたちが大人になったときにどうか」という事業理念は持っているけど、せいぜい安全装置がついたくらいで、相変わらず空っぽの道具であることに大差はない。今回の研修で改めてそう思ったりしたわけだ。

起業支援に関する自己矛盾

2006年12月 3日 13:48

僕は起業支援は嫌いだ。それは他のエントリーにも書いてある通り。

大体、他人様の人生をどうこうしようと言うのも気に入らんし、そんな他人様にとやかく言われんと起業できないような輩は起業しないほうがいいとか思っている。確かにうちの事務所の最たるビジネスモデルは、超アーリーステージではあるけど、起業する前の輩は対象外。起業したての相手をお客様にする。起業までは本人の責任しっかりやってくれという考え。いわば、事業の小児科医だけど、産婦人科医じゃないというスタンス。

なので、偉そうに周りには声高にこういうことを主張しているんだけど、最近、自分の行動は本当にそうなっているのかなと、大変気になってきた。

というのも、この間、大学で講演してとある所でその感想を書かれていて「(起業に関して)やる気に満ちてくるような話だった」とのこと。
あらら、起業は戒めよ、というつもりだったんだけどなぁ。と。
そこから今までの自分と周囲の状況を思い返すと、力一杯人の背中を押して起業させまくっている気もする。自分が創業後、知り合った組織人の大半が起業しちまっている。フリーランスになった人、5名。ベンチャー起業家2名。そのほか転職、大学人等々、人の進路変更させまくり。
しろとはひと言も言っていないけど、結局、結果を見ると、起業創業育成マシン状態のような気がする。

ということは、起業支援を罵っている割には、自分が一番起業支援してしまっているのではないかという感じ。

とすると、起業支援する人を罵る資格はないなぁと、チョット凹んだ感じであったりする。

それでも、無理な起業は辞めようね。

神仏は他人の為にある

2006年12月 2日 13:47

厳密に同じではないけど、こういう趣旨のことをとある尊敬する経営者より頂いた事が。

まぁ、科学哲学みたいな信仰という行為に対してハードな学問体系を嘘でも修了した人間としては、いわゆる神仏ってのはさほど信じてはいない。それでも、なんだかわからんけれど習慣としても、また普通の人間として自分の力の限界という点でも、お祈りはよくする。
ここ一年間だけでも、出雲大社、豊川稲荷、出世稲荷、高台寺、清水寺、厳島神社、忠盛塚などなど、かなりの数のお参りをしている。人間の認識から構成されるものが存在する唯一無二ものだなどという経験主義者で合理的な行動を行う人間であれば、ありえん話である。
時々、自分でも何を祈っているのか分からないことも数多い。

最近、占いやら何やらというのの結果を聞くんだけど、大体こういうのってのは、自分のことを対象に占って、自分の今後の指針を聞くという代物。で、それと同じような感覚で、自分が少しでもよくなるようにと、神仏にお祈りしがちな気もする。そういうこともあって、あんまり神仏にお祈りするのは神頼みっぽくて嫌いだったりする。

でも、最近はちゃんと方向性を持ってお祈りをしている。その方向性はその方から聞かせてもらった内容がそのまんま。その方の言うことを勝手に要約すると

神仏は自分の為にあらず、他人の為にある「神仏を信じて神仏に頼らず」
どういうことかというと、自分一人の時は方向、方角、時期、お墓参り、供養等、何も考えず、寧ろ、多くの悪い条件で苦労し、自分を鍛えることが必要。一人で火の中に飛び込めば自分を鍛えられ、一時期はことが成就しなくとも、やがて必ず、成し遂げられる。これは、家族なし、部下なしの時。
立場が複数になり、上になった時、すなわち一人の部下、一人の他人の事を考えねばならない立場になった時は、自分の手の及ばないとこを神仏にお願いするしかない。そこではじめてお祈りをするもの。

ということで、手のとどかない範囲をお祈りをするというのがいいことだと。認識の外は祈る以外やりようなし。手の届く範囲は神仏無視して悪鬼羅刹になってでもやり遂げるのみってことで

僕は、家族と取引先と友人知人のことを祈るぐらい。今日も、何かに祈るとしましょう。

  • 1

アイリンクへのお問い合わせ

お問い合わせメールフォームはこちら

2016年12月移転 北海道旭川市神楽1条7丁目4−8 お問合わせはメール・SNSアカウントで mail
  • twitter
  • facebook
  • google
  • noimage
  • noimage
  • noimage