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2006年9月のアーカイブ

えーかっこしの自分

2006年9月23日 13:40

今日も、休日の朝から、職場に来てる。
基本的に、同僚他が周囲にいるときは作業をしないというのが自分流の働き方だったりする。

いつの頃からか分からないけど、小学校の休み時間に次の時間のテストの勉強の予習をしたりとか、絶対しなくなったし、中高に至っては、中間や期末のテストの前に友人と勉強したりというのは、ほとんどしたことがない。たぶん、親兄弟も含めて、勉強をしている僕を見たことをある人はいないと思う。必死に人目につくところで勉強していたのは、大学受験に関して、高3の敬老の日から勉強をし出したのでその日から受験の日まではなりふり構わず勉強したので、このときぐらい。
理由は分からないけど、用は、人前で下ごしらえを見せるのが嫌いなのだ。大学の時も、チームで学生実験をやるときに、こっそり裏で全作業工程をやってみて段取りは全部僕がくんで、チームの人にやらせて、自分はソファーでよく寝てた。卒業研究も、人のいない時間に来て、必要な実験を全部やった。兎に角、人前じゃなぜか地味な作業が一切できなかった。
当然、この傾向は社会人になっても一緒で、同僚といるときはとことん無駄話。必要な作業は自宅か、異様に早い時間に来て作業をするか、異様に遅い時間までいて残業するときに作業をする。

たぶん根っこは見栄っ張りなので、アクセクやるところを人に見せたくないだけなんだろうと思う。
江戸の言葉で「野暮用(やぼよう)」ってのは、遊び事のことではなく、仕事のことだそうだ。そういういみじゃ、野暮用はこっそりやりたいってのは、僕だけじゃなくって、結構日本人全般に共通の見栄なのかもしれない。

とはいえ、結婚して自宅で仕事をすると、そうもいかなくなってくる。一番見栄を張りたい相手=家族に、一番かっこわるいアクセクするところを見られて生活する羽目になる。たぶん、家での仕事でいらいらするのはそれだと思う。要は、家族にこそ「お父さんは楽々稼いでるんだもんね」って、たぶん、心の根っこで見栄が張りたい訳なのだ。そういう意味じゃ、企業戦士ってのはうらやましい。野暮用をやっているところが家族に見せないで良いわけだ。
そうこう生活していると、徐々にだが人まえでも仕事はできるようにはなってくる。なので、最近はわくわくセンターで作業したりとか、各所で作業したりする。

でも、根っこはそう変わらんので、こういう職場に来るとどうしても早朝とか休日にこっそり出勤したくなるんだよなぁ。本当に、自分ってSOHOとか起業家向きじゃないよなぁ....。

言葉を使うこと

2006年9月16日 13:36

毎日、誰と話しをするのでも、BLOGを書くのでも結構疲れる。
自分が言葉症だから、というわけではないのだろうが、自分の使った一言、1単語が本当にこれでいいのだろうかと、単語が正しくてもその単語がはめ込まれている文章は本当に適切なのだろうかと、その文章全体の構成が本当に真意を伝えているのかと、実は結構思い悩んで話したり書いたりしている。

家族や職場の同僚のように、結構こまめに会える相手なら、訂正という行為も比較的頻繁に出来るので、それでも、それほど気は使わない。それでも、やっぱり結構考え込んでしゃべる。意外と立て板に水のようにしゃべるので、条件反射的にしゃべっていると思われがちだけど、実は結構悩んでいるんだな。当然、しゃべった後も悩んでるんだな。

個人的には、筋の通っていない話しは嫌いなので、当然、自分の吐き出した言葉が無矛盾できちんと構成されているかどうかはとことん悩む。記憶している限りにおいての過去の全く違う場面での言動なんかまで気にしてしまうので、とにもかくにも困る。おまけに発言した後で、相当大昔の矛盾してそうな言明を思い出して、どうやったら整合性が取れるのか延々と考え込んでしまっていたりもする。

あと、やはり聞き手や読み手にどのように受容されるのかということも悩む。やはり、ただ聞いて終わり、読んで終わりというのではなく、どういう形であれ、その人の何らかのアクションにつなげて欲しいし、そういうことを考慮して、体外的な言動は行っている。なので、時には淡々と、時には挑発的に、なるべく言葉巧みに技巧を凝らすようにしている。それでも、意図どおりの反応ばかりではなく、真逆にアクションする人がいたり、無意味に大暴れしたり、すねて動かなくなったり。

特にこういったBLOGをはじめとする、ネットの媒体では、レスやらコメントやらというかたちで反応が返ってくる。かれこれこういう形で反応が返ってくる仕掛けを運用して10年近くなるけど、いまだに、どうしたもんやらというレスも少なくない。
往々にして、自分の言葉の選び方やら使い方が不十分なのだが、どこまで言葉を費やしても伝わらないときもあるし、コメントやらレスのほうが言い捨てというのも、最近は増えてきている。昔は結構食い下がってくれたので、やり取りしながら何らかのオチにまで持っていけるのだけれど、近頃は、書いておしまいってのが多い。

そんなこんなで、毎日BLOGを書くってのは結構神経をすり減らせる。よくもまぁ、こんな小心者のくせに10年もネット上でものを書いているもんだと、自分で感心してしまう。

知と言葉

2006年9月11日 13:33

最近、上の子の歯が抜け始めた。なので、歯に関する話題が多くなってきたのだが、下の子は、「歯」ということが出来ず、必ず「はが」と歯のことを呼ぶ。なので「歯が抜けた」という文章は「はがが抜けた」という表現になる。
実は、上の子もこれぐらいのときの年齢には、血に関する話題で、「血」ということが出来ず、必ず「ちが」と血のことを呼んでいた。なので、「血が出た」という文章は「ちがが出た」という表現になっていた。
こういうのを見ていると、「が」という助詞という概念は、案外早くに獲得できるものの、単音の名詞から上手に単離するってのは、結構難しいんだなぁとか思う。概念は獲得できていても、表現系は上手にコントロールできるまでにはずいぶん時間が掛かるものだと実感する。

こんなことがあって、最近、センターの奥様から振られた話題で、知能指数ってのがある。要は、その方のご息女が、知能指数の検査で低い値だったということで、それってどうよってことらしい。
知能指数ってのは、手っ取り早く説明すると、想定年齢であれば、本来きちんと概念系と表現系を獲得できていて、その年齢になった時点で、その表現系をテストで確認してどれぐらい解けるかを図るものである。その年齢に関する標準的問題を皆解ければ100。加えてそれ以上の年齢を対象にした問題で解けていれば100以上。標準的問題を十分解けていなければ100以下。
というだけのことである。ちなみに、僕は、その昔測定したときには80ぐらい。

でも、これは所詮その程度の問題なので、多分、うちの娘は概念系として、血や歯は獲得しているので、十分に知能指数100たり得るだろうけど、表現系で「~が」を分離できない(付加は出来る)ということで、100にはならんということ。テストなんてそんなもんだ。
二人も子供を育てると、こういう知能指数議論のベースになっている、ピアジェあたりの認識の成長過程ってのもあんまり当てにならない。「~が」ってのは、細かいことにしても、彼が言うような順序で、必ずしも子供は認識を獲得していかないし、複層的に獲得していくものである。
とすると、シーケンシャルに獲得することを前提として問題を組んでいる知能指数という考え方はそれほど当てにならない。ので、一喜一憂するのはどうかと思うし、テストをすること自体どうかと思う。

でも、知能指数って大人にやるとどうなるんだろう。20歳も過ぎれば、物理的認識的に差は出ないはずなので、20と40と60をどうやって区別するのやら。顔色を見て、相手の考えてることが分かるかとか、どうやったら相手をだますことが出来るかとか。その辺の手法テストをやれば、知能指数ってのも死ぬまで議論できる概念になって面白いかも。

赤字ローカル線って知ってるかい?

2006年9月10日 13:29

話しとしては大分前の話しなんだけど。
堀内公園隣接駅である碧海堀内駅の存続問題がいろいろ騒がれていた。要は乗降者が少ないので、駅を閉めてしまおうという話しだ。まぁ、結局、存続ってことで一段楽したので「存続ありがとう」などという垂れ幕があったりする訳だ。

基本的に、風が吹いたら運行停止したり、小雪でダイヤが狂ったりする根性なしの名鉄やらJR東海の肩を持つ気は皆無なのだが、この一件だけは、名鉄の肩を持ちたい。というか、地域住民と安城市は身勝手がすぎる。

安城市の鉄道事情自体やや複雑で、JRと名鉄と両線が走っていて、主要都市名古屋に出るには、JRが安く、市内移動やらそれ以外の移動に関しては名鉄がやや有利だが高コスト。という状況で、その挙句に、産業は自動車で、自動車乗るのがあたりまえ。挙句追い討ちをかけるように、安城市は、1乗車100円のあんくるバスを走らせるという状況。
しかも、あんくるバスは、件の堀内駅とその路線を並行して走るというめちゃくちゃなやり様。ちなみに、うち最寄の碧海桜井~碧海堀内~碧海古井の3駅に関しては、完全に平走。料金は当然、圧倒的にバスが安い。で、おまけに、安く名古屋に出ることが出来るJR安城駅まで送ってくれる(100円で!)という便利さ。ちなみに、桜井から行く場合、名古屋に出るのは名鉄のみでは650円。あんくるバス+JRでは560円。時間やらなんやら制約があるから一概に議論はできないけど、明らかに営業妨害ではある。
というか、そもそも、近隣住民が名鉄に乗らない。みんな車で移動。車文化に慣れていて乗ったことも無いような人が年配者を中心にたくさんいる。

そんな電車に乗らない近隣住民と、営業妨害をバリバリやっている安城市が雁首そろえて「駅の存続を」なんて、ほざいているのがチャンチャラおかしい。
この駅維持費の赤字を負担するのは誰?
少なくともろくすっぽこの駅で乗降しない近隣住民は、このコストは負担していない。のらねぇならいらねぇだろうが。いざって時に乗りたいとか身勝手なことばかり言ってるんじゃねぇ。安城市だって負担はしていない。負担して苦しい思いをするのは名鉄。名鉄が潰れれば駅どころか路線ごとサヨウナラって訳だ。そんなこともわからんのかね。というか分かっていて嫌がらせでもしているのかね。

普通に考えたら、どの面下げて、あんたらは存続のお願いをしているのかねって話しだ。少なくとも、常識的に考えて、本当に存続をしてもらいたいのなら近隣住民は駅存続の見返りに、「車に乗らない宣言:自家用車廃棄、免許証廃棄」ぐらいはするべきだろうし、それが出来ないなら、駅の維持作業は近隣町内会全負担ぐらいぶち上げるべきだ。当然、安城市は平走するあんくるバス桜井線の廃止or路線変更ぐらいはぶち上げて交渉するべきだ。それが出来ないなら駅維持費全額負担。

乗りもしない輩がふざけた運動してるんじゃねぇ。駅やら路線の存廃にくちばしをはさむ権利があるのは、日常的に乗ってそれを一部とはいえ負担している乗客だけだ。そんな身勝手な論法を振りかざしたって、国鉄時代の赤字ローカル線が形を変えて出てて来ているだけだ。解決方法も結末も同じになることは自明。いいかげんにそれに気がつけ。

※近隣で存続の努力をされている一部の方々がいて、一部不快な思いをさせる表現もあることは承知していますが、あえて再掲します。

ちょっとちぐはぐな防犯

2006年9月 9日 13:26

うちの近所の歩道と車道の境界に作られた植え込みが突如として切り刻まれ始めた。
といっても、いたずらではなく、正規の業者による正規の作業。結構きれいに整備されつづけていたので、個人的には大変もったいないなぁとか思う。植えられた木のほうもたまったもんじゃないだろうなぁとか擬人化して同情してしまう。

斬った理由は、防犯他。実はこの植え込み、結構でかくて、小学生ぐらいだったら、この植え込みが死角になっちゃうんだな。なんで、この辺一帯は変質者の出現も多かったりはする。なので、小学生の子を持つ親としては、非常に気になることではある。

でも、植え込みを切る前に検討して欲しかったなぁと思っている項目がある。それは、街灯。実は、うちの住むエリアは比較的歩道がちゃんと整備されているものの、街灯が殆どない。歩道が真っ暗なのだ。色々学術的には賛否があるものの、比較的言われているのが、道路の明るさと犯罪発生率の相関。実際に、僕が大学生のときに、面白半分に、札幌市内の各区の街灯間の平均距離(距離が長ければ暗い)と犯罪発生数の相関を調べたら、ちゃんと相関が出たことを良く覚えている。
そう考えると、植え込みの死角に対応するより、街灯をつけれるだけつけちまってからでも遅くは無かったんじゃないのかな。というか、植え込みきって犯罪減少するとも思えない。そっちの相関はデータが無いし。

とはいえ、安城は農業国家である以上、街灯の設置には慎重であらねばならないという側面もある。というのは、農作物のライフサイクルを保証するためには、街灯の明かりがあってはならないという場所もある。昼夜問わず明るいというのは植物にとっても、夜昼の区別が無くなり育成に悪影響を及ぼす。

どっちにせよ、何ら科学的根拠によらない、短絡的な植え込みを切るという、ヒステリックな作業をしているうちは、犯罪王国へまっしぐらという気もする。農業王国と防犯王国のバランスを取った街灯政策を掲げて欲しいところだ。


とか、偉そうな事以上に悲しいのは、その植え込みの下から明らかにゴミがワチャワチャと出てきているってこと。棄てるほうのマナーの低さもそうだけど、作業のついでに拾ってくれないのかねぇ。

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