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2006年8月のアーカイブ

地域は変わる。だけれども。

2006年8月24日 13:16

ついに、うちの近所のそばの再開発も大詰め。
再開発のシンボルのうちの一つ、大型ショッピングモールがついに建築が終わった模様。後は内装やら、バイトの教育やらというところで、遅くとも9月末にはオープンするらしい。
この2~3年で、うちの住む近所の風景はどんどん変わっていく。地域は成長しているし、それにともないさまざまな機能が必要となっていくのは理解できる。

「しかし」と私はどうしても思ってしまう。こんなどこにでもある中堅都市のモデルをそのままここに作って何のメリットがあるのだろうかと。地域には地域の個性があって、どこかで見たような風景ではない風景を作り出せないのだろうかと。

いま、地方の時代とそこかしこで議論されている。しかし、それは「地方をプチ都会のようにする」ということではないはずだ。正直言ってうちの近所の開発に関しては、どこにでもある「プチ都会」を作っているだけで、この地方の文化やコミュニティを考慮して作ったものとは思いがたい。今まで持っていた、「古墳が息づく異様な農業国家」という側面がすっかり息を潜め、日本中どこにでもある「グローカル企業を中心とした企業城下町」という側面だけが強調されている。
日本中フラフラとして仕事をしている僕としては、ここに住む動機が一つ減った、とも言える。なんのかんのいって、今のこの地域が好きだし、その地域の個性を楽しんでいたのも正直なところ。

とはいえ、古くからこの地域にすんでいる人にとっては、こうしたどこにでもある、種々の機能を持ったプチと会のようなところを望んでいたのかもしれないので、僕のような流れものがとやかく言う資格は無いのかもしれない。

だが、田舎に住むといわれる人々には声を大にしていいたい。あなたの住む土地の景色はそこにしかないとっても貴重な代物だってことを。ショッピングモールだの、高架化された道路だのってのは、日本中どこにでもあるつまらない景色だってことを。

本末転倒

2006年8月20日 13:13

最近、日本各地でサイエンスカフェって代物が流行っている。これ自体は全然いいことだと思うんだけど、運営者の愚痴で「どうしても、(海外で知られているようなトークスタイルじゃなくて)講演会スタイルになってしまって、雑談というかたちにはなりにくい」というのをチラホラと聞く。
僕なんかは「そりゃそうだ」とか思うわけだ。そもそも、多くの海外と日本での科学の文化的差異がでかいんだから、しょうがない。あくまで、ともに議論をし考え作り上げる文化としての知の体系としての科学として存在する欧米と、権威ある知識体系を上から教わるって得られる知と思われている日本における科学のあり方は違うんだから、カフェって場を作ったからって、日本人が急に欧米のように科学を捉えるって事はない。
いわば望む状態が本末転倒ってことだ。日本人のなかの科学観や知識観が変容するからサイエンスカフェが必要とされるんであって、サイエンスカフェを繰り返したからと行って、一朝一夕に日本人のなかの科学観や知識観は変容しない。どこぞのお役所なんかが理科離れ云々ってことで、こういう活動を推進しているけど、そう考えればこれは完全に本末転倒な話。
うちの親分がよく言うジョークで「マシンガンで打ちのめされた軍隊が、音が鳴り響いた後に我が軍が倒れているから、マシンガンではなく太鼓を乱打して反撃した」ってのがあるけど、まさに、サイエンスカフェなんて科学が文化になった後になる音。音を鳴らしたからって、科学が文化になることはない。関係者の努力を否定する気はないし、応援はしているんだけど。

やっぱり理想系って、大学人が地域人になって、地域人も普通の人として大学人を受け入れている社会だと思う。で、必要なときに、その大学人にちょいとお知恵拝借、って感じでみんなお伺いを立てる社会。そういう社会であれば、別に改めて「サイエンスのカフェ」やら「サイエンスのバー」なんかは必要がない。というか、すべての喫茶店がサイエンスカフェであり、すべての居酒屋がサイエンスバーってわけだ。
実はおんなじことをビジネス系カフェが流行ったときにも思った。別にカフェで気楽に仕事の話しをすれば良いわけで、仕事と苦行と考えないでもっと好きなことをやっていれば、喫茶店で熱く語り合う事だって簡単なわけだ。そう考えればこれも結構本末転倒な話だった。というか、改めてビジネスカフェって言わないけど、昔から、喫茶店で打ち合わせってのは珍しい話しじゃなかったりする。

こう考えていくと、実は、もう一つ本末転倒な代物がある。それはタウンミーティングって奴。こいつもやってみたら、大陳情大会だったり、バッシング大会だったりと建設的ではないことが多いわけだ。たまにしか話しが出来ないから話す市民もエスカレート。別に市長を含め役人だって地域人な訳だから、彼らが日常的に節度を持って、地域人として、色々お話しをして生活していれば済む。それこそ、ガバメントカフェだのガバメントバーだのってのが気楽に開催されていれば済む。陳情ではなく、自治体の制度設計とかありようをざっくばらんに話しをする場。こういう議論がはじめからできる素地があれば、改めてタウンミーティングなんてしなくて良いわけだ。

なんというか、政治でも知識でも、日本じゃ文化になっていない。どっちもお上のすることってなっている。で、それにかかわる人は特別視されがちである。そんなことはない。首根っこ捕まえて、適当に聞けばいいのだ。で、ムラ社会に取り込んでしまえばいいのだ。地域人として一緒に飲め、食え。
毎日の挨拶が「もうかりまっか」「ぼちぼちでんな」だけではなく、「(研究が)すすんでまっか」「ぼちぼちでんな」とか「(条例を)まもってまっか」「ぼちぼちでんな」って挨拶を気さくに交わせる社会を作る方策を考えれば、改めて○○カフェだの○○ミーティングだのする必要はないってことだ。

かじだ。うー。(火事だ!うー(サイレン音))

2006年8月14日 13:12

最近、わくわくセンターに座っていて思う。
というのは、心神系の障害のネタに全く動じない自分がいる、という事実。というか、あらゆるその手のハンディキャップドに対して異常に分け隔てがない。他の職員さんを見るとそれなりに感情移入したり、家族に同情したりしているんだけど、感情が欠落しているのか、殆ど気にならない。
軽度の方がいらして接客するときも、健常も何も変わらん会話ぶりでしか扱わないので、「えふさん、冷たいからなぁ~」とか言われる始末。まぁ、多少繰り返し話してあげたり、言い換えをしてあげたりはするけど、内容が詰まらなけりゃ詰まらんと言って続きは聞かないし、おもろいネタであっても突っ込みを入れるタイミングは健常と同じ。

僕自体は、途方もなく幸せな家庭で育っているし、そういうご家族やら、ご本人の苦労を知らないからこういう態度でいるだけだとは思う。でも、こういう普通の幸せな家庭で育った人は他のセンター職員もそれ相応に同じなわけで、きっとこういうスタンスでいることには何か原点があるんだろうなぁと思いながら、昨日、自転車でセンターからの帰途についたわけだ。

で、道中、頭を巡ったのが
「かじだ、うー」
って叫んで走る子を追いかける風景。

小学校の低学年のときに、初めて転校というのをしたんだけど(以降は転校の日々)、その転校先で、何もわからず、誰彼かまわず友達になりたくて、「一緒に帰ろう」って声をかけていた時期があった。その中のある子が、今思えば、知的障害か精神薄弱の軽度だったんだと思うが、一緒に帰ってくれた。そのとき、校門を出るや否や、彼が「かじだ!うー!」って叫んで走り出したわけだ。で、僕は、転校したてだし、この学校の特有の遊びかと思って、確か一緒になって「うー」っていって追っかけていた記憶がある。
その子とはとってもよく遊んだことを覚えている。一学年あがってクラス換えになってから,その子とあった記憶すらないのだが、その学年のあいだは、一緒にいっつも帰って(当然、時々、うーって叫んで)、家に帰らず、そのこの家に一緒に直行していた記憶がある。日が沈むぐらいまで毎日遊んでた。結構大きな家で、家の中を徘徊した記憶は多々あるのだが、そこの家の親御さんにあった記憶はない。個人的には、遊んで色々楽しかった記憶がある。彼と遊んでいて嫌な思いはしなかった。

後に、実家の親にこの件を聞くと、やっぱりそういう病の子で、地域では爪弾きだったらしい。親御さんはそこそこ名士なので、病を認めれなくて普通学級に無理やり入れていたということだ。で、この子と遊ぶことは、うちの親も色々と心配していたようだ。とはいえ、外野に「バカがうつる。遊ばせるのをやめたほうがいい」といわれていたからといってバカがうつることを心配したのではなく、まっすぐ家に帰ってこないことと、なんかあったときに、相手の親もろくに家いない、相手は意思疎通に多少欠陥がある子ということで、対処できないことが心配だったようだ。
とはいえ、子供の僕の判断を信じて我慢して放って置いてくれたらしい。

その後も、転校した先が普通学校に養護学級を設けていたり、そういう子がクラスにいたりした(ようだ)けど、小学校の早い段階から、こういう感覚で生活していたので、分け隔て感が育たなかったようだ。今センターにいて、この感覚はとっても貴重なような気もするし、常人離れ的なもののようでもあって場合によっては邪魔なような気もする。でも、自分としては、こういう感性に育ったことはいいことだと思っている。

ちなみに、うちの子供の小学校も、そういう子供も一緒のクラスで学ぶようになっている。こういう感覚を持つ子に育ってもらいたいと思う反面、地域の常識というものもある程度理解をしてもらいたいというのも思う。良かれ悪しかれ、感覚的な何かと理屈上のものと両方持つのは大事なことだし。

ともあれ、僕にとっての「かじだ。うー。」に相当する原体験を、子供達には持ってもらいたいとか自転車に乗りながら思っていたわけだ。

カルピスの夏

2006年8月12日 13:10

今日から、家内も子どもたちもちゃんと夏休み。で、怠惰な朝だったわけだが、朝食までのつなぎってことで、新穂高ロープウエーで買ってきた、コケモモジュースとカルピスと氷と水で、コケモモカルピスを家内が作って、子供らに飲ませている。
ホットカルピスだとかも一時期流行ったけど、やっぱり、暑い日に良く冷えたカルピスは美味しい。子供も結構ニコニコして飲んでる。僕の子どもの頃は、氷って貴重品だったのか、水に氷入れないで飲んでいたけど、カルピスだけは別。ちゃんと氷が入っていて、本当につめたい飲み物だった。作るのに氷を入れたほうが簡単だったってのもあるんだろうけど。

で、まぁ、本題はカルピスの宣伝ではなく、カルピスの思い出って話。
自分の子どもの頃って、物食いの悪い子供だったようで、いっつもノロノロ飯食ってたんだよね。夏はなおさら。特に、汁っ気のないモソモソした食い物がきらいで、何時までも口の中に入れて噛んでた。で、永久に飲み込めない。味噌汁とかで一生懸命飲み込むんだけど、それにも限度ってものがある。なので、いっつも母親に怒られていた。特に、うちの家庭は食を残すと怒られ、食で遊ぶと家を追い出されるというスパルタだった。
小学校に入るちょっと前くらいかな。ある暑い夏の日に、やっぱりそうしてモタモタ食事をしていたわけだ。兄貴はもう食事を終わって遊んでるし、父はゆっくり新聞読んだりニュース見たりしてるし、祖母は横になってるし。で、僕一人でモソモソ食っているわけだ。母は片付けもあるせいか、少し怖い雰囲気。
そのとき、何だか食事をして泣けてきた。泣きながら食っていたわけだ。口の中の何だか分らないモソモソと格闘しているんだけど、嚥下できない。もう飲むべき液体もない。べそをかいて、延々と噛んでいた。
そこで、取っ手付のブリキのコップに「はい。水」と少し怒って母が、僕に飲み物を持ってきてくれた。そっとのぞくと、白濁液に氷が浮かんでいる。水ではない。牛乳とは違う。そう、カルピスを持ってきてくれたのだ。母親を見ると、母親が口に指を当てて「しっ」ってやってる。きっと兄が不公平だってごねるかもという配慮だったのだろう。

実は、このモソモソがなんだったのかはまったく覚えていない。こうした食卓教育の賜物でいまや好き嫌いはあっても、何でも嫌がらず食うようになったせいだろう。
でも、このときのカルピスの味と、母の表情は良く覚えている。自分もいまや人の親になって好き嫌いの激しい変な子供を二人育てている。僕もその頃の母のように食べさせるのに色々四苦八苦するものの、アレルギーでもない限りにおいては何でも頑張って食べさせようとしている。カルピスの味はともかく、泣きながら食べる子供に、その子にとって最もご馳走であったカルピスを出そうという心は持っていたい。それが、またこいつらの子供に伝わりますように。

ひとを動かす

2006年8月11日 13:09

最近、上の子とよく自転車で出掛ける。で、当然同じように、子連れで自転車に出掛ける家族なんかとすれ違いながら、ふと思ったことがある。
うちは、前を子供が走って、後ろから私がついていく。でも、反対に、前を親が走って、後ろから子供がついていく、というパターンがとっても多い。どっちが良いってワケじゃないんだろうけど、少し気になった。

前を走っていると、僕個人としては心配というのがある。後ろを走れば、子供の状態は見えるんで、何かがあってもすぐ対応できるし、自転車に不慣れな場合でも子供のペースで走れる。なので、小さい子供のときはそうしたほうがいいとか思ってはいる。
でも、他方で、前を走っていくことで、子供がそれに一生懸命ついていくことで、力量がつくということも十分にありえるし、子供が親の状況を確認するために振り向く必要がない分安全だという側面もあるから、親が時々振り返りながら前を走るってのも、十分合理的だと思う。
たかが自転車の話だけど、これってリーダーの二つの典型的に違うありようだなとも思う。往々にして、リーダーって言うと、前をグイグイと引っ張ることがよしとされる、ということがあると同時に、後ろからバックアップしながら全体を押し上げて目的に向かわせるというのもよしとされる。

そう考えると、リーダーなんてそんな役回りだなぁと思う。どっちを選択しても、他方がいいといわれるわけだ。史記に出てくる李広と程不識なんかを思い出す。李広は豪放で大雑把。でも、面倒見が良く徹底的な親分って感じ。程不識は理論派で清廉潔白。でも、軍規を重んじ理知的なリーダー。ま、どっちも対匈奴戦で、徹底的な戦果を挙げ続け騎馬民族の侵入をちゃんと防いでいる。これまた、どっちがいいというわけでもない。とはいえ、明らかにリーダーシップの手法は異なる。

こういうことを踏まえると、人を動かす手法ってのは相矛盾しているいくつもの手法からなっているんだと思う。人の批判なんか気にしないで、自分ができる自分の最適な手法をとるしかない。リーダーってのはそういう点では神経は図太くないと厳しいかも。

自転車の例でも史記の例でも、確実に言えるのは、どっちも子供なり部下なりにはきちんと目配せをしていることは大事。前を走ってもときどき子供は振り返らないといけないし、軍規で処理をするんであっても部下の挙動はきちんと見ないといけない。当然、豪放な親分肌であれば尚のこと。十分目配せを出来ないものは人を動かせない、ということなんだろうな。

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