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2006年5月のアーカイブ

学校で教えるべきことをやってくれ

2006年5月31日 12:32

まぁ、うちの子供が行っている学校が、教えることを教えていないという意味でも無いし、学校や教職員を非難する話でもない。
最近、仕事やらなんやらで科学技術リテラシー向上に関するありようの議論をしているわけだが、やっぱりキーになるのは、義務教育でどれだけ適切な科学技術リテラシーを持たせるかということが大事だったりする。それは、短絡的な理科教育の強化ではなくて、広く科学をとらえ、人文科学、社会科学をも視野に入れた形での、「What is Science ?」をきちんと理解させることに他ならない。
そういう意味では、教育基本法も変わろうとしていることもあって、学校教育ってのは大転換期であろう。愛国心議論ばかり先行しているが、今回の改変でどれだけこういうところを盛り込めるかという重要性もある。文面に盛り込めなくても科学技術基本計画で記載されているように、今後の科学技術社会において、これをしっかり身につけることが、日本という国の国際競争力をつけることだろうし、個人個人が将来の科学技術社会において幸せに生きる指針としても最も重要だろう。そういう点では、時間も労力もコストも小学校という所に大きくかかってくる話である。
にもかかわらず、今の社会の現状はどうだろう?
以前取り上げたけど、町レベルで食育と称し朝食の提供を学校にさせたり、学校で牛乳をこっそり校長があげてみて親に追及したら親が逆切れしてみたり、挙句に所得が十分にあるのに給食費は払わないとか寝ぼけたことを言ってみたりする。
明らかに、ひところ流行った躾問題やら学級崩壊以下のレベルの話。しかも、完全に子どもの資質でもなけりゃ教師のせいでもない。こんなことをなぜ、ここまで逼迫した知に対する社会情勢において学校がやっているんだという気分。自分の子どもの将来が本当に心配なら、学校が教育に専念できる環境を親も作るべきである。

自分の子どもだけでもちゃんとこういう下地を着けて義務教育を終わって欲しいものである。という利己主義に陥ってしまいそうだ.....。

殺されても死なない

2006年5月29日 12:15

いや、普通に殺されれば誰でも死ぬとは思う。たまには自分の少しダークな話。
ちなみに私はなぜか今のところ死んでいない。普通に生活を送っていれば、不思議ではないのだが、普通死ぬ(もしくは重体and後遺症付)だろうということがいくつもあっても五体満足に生きていたりする。

2歳ぐらいの時には、俗に言う川崎熱病にかかったそうだ。まぁ、これは結構、親は大変だったらしい。でも、無事帰還。再発も無し。覚えているのは病院の天井の風景。覚えているのだから俺もたいしたもんだ。
次は小学校の低学年かな。車にはねられた。結構吹っ飛んだが、普通に動いていた記憶がある。病院も行かなかったような気がする。
その次は小学校の高学年。身長の3倍の高さの雪像に調子に乗って登って落ちた。これは痛かったのはよく覚えている。下はアイスバーン状態だったし。すべからく健康。(真似しないように)
しばらく、身体の危機という意味では比較的平穏。
大学に入ってから、化学実験で青酸カリ濃度の高い溶液を、ホールピペットで吸い上げるときに、間違ってゴックン。たぶん致死量。でも、具合が悪くなることなく元気に生きていた(絶対に真似しないでください!)
就職してから、ウツで普通に自殺しようと、有機化学者(海産物毒の研究室にいたのだ)の知識を駆使していくつかの薬物をちゃんと致死量以上利用。これも結局、後遺症もなく五体満足。(当然これも真似しないように。)

ここまでやって死ねないと、なんか、殺されても死なないんじゃないかとか、そういう錯覚に陥る。あと、神様なんざ信じないが、五体満足に生きてなんかやるべきことがある間は、世の中、多分死なないように出来ているんだろうなとか思う。もちろん、これは勝手な解釈で、今まで試していない自害の手法(割腹とか。血を見るのが苦手で絶対選択しないけど)を取ればあっさり死ぬに決まっている。

まぁ、私自身そう考えるとある種のゾンビみたいな代物。よっぽどのことでは潰れても復活するんだろうな。そう思えば、仕事もかなり思い切って無茶ができる。復活しなくなったときは僕の社会的使命が終わったときとか勝手に思って、復活しないようにしようとかとも思うし。

家族が足りない

2006年5月28日 12:13

いや、うちの家族は、悲惨な事件や事故にあったわけではないので、いわゆる家族が欠けてしまったという深刻な話ではない。
今日現在、自分の中の感覚が、まさにこれで、「家族が足りない!」という感じ。
何かというと、自分の中に家族の構成要因の感覚みたいなものがちゃんと満ち溢れていないと、絆が切れたみたいな感じになって、ものすごい不安感が生まれる。その満ち溢れ具合というか、その家族感のためている池の水が足りないときに「家族が足りない!」とか思ってしまう。
会っていないと減ってきて、会っているとドンドン増水して決壊する。出張を繰り返していると、減る一方。多分電話で話をしたりしてもいいんだろうけど、家内も結婚してこれぐらい経っちゃうと要件だけで切っちゃうし、うちの子供は二人とも電話が好きではない様子で、すぐ切っちゃう。
帰ってくると、子どもの池はすぐ増水決壊(笑)
それぐらい纏わり付いてくれる。まぁ、癇癪の一つも起きるけど、水不足よりましと思う。
家内の水はなかなかたまらない。二人とも働いているし、どちらも忙しいし、ゆったり話しもできない。まぁ、向こうも、子どもの池が大増水で決壊しまくって、毎日大水害なんだろう。
そういう意味では、ちゃんと家族の池に家族の想いがちゃんと決壊するぐらい溜まっていないと、長期出張は出来ない。水不足を当たり前にするという手もあるけど、それって何だか健全じゃないと思うし。
今日も努力して、家族を満たそう。早く足りない状態から抜けないと出張はまたすぐ来るぞ。

内在的批判者の大切さ

2006年5月21日 12:11

私は自他共に認める毒舌家だ。
BLOGだからそんなに書かないが(充分、書いてるか(^^;)、かなり激しくいつもあちらこちらを非難して歩いている。
特に、産学官民の連携の現場なんかいったら、これでもか!というくらい、微に入り細に入り、徹底的にやる。性格的に、まぁまぁ、とか、なぁなぁ、とかは認められない。どんなに仲のいい相手であっても、確実に同じ作業をやる。
でも、相手がさらに良くなると信じるからやるのであって、どう逆立ちしても良くならん奴は、そもそも無視をして人生を過ごしている。自分だって完璧じゃないし、非難されること自体はあまり気分のいいものじゃない。でも、筋の通った非難は、きちんと聞いて対処すれば自分を成長させる。裏を返せば、相手だってそのはず。

特に、自分が関わる連携やら、チームに関しては妥協しない。結構情け容赦なく個人攻撃もする。でも、その悪口は基本的に当人か、当人に関わる人にのみ言う。むしろ、外の人には、そのプロジェクトのいい部分を探し出し、その個人のいい部分を探し出し誉める。褒めちぎる。誰がなんと言おうが誉める。
まぁ、プロジェクトでも個人でも良くなる見込みのない対象だったら、内部では当り障りのない誉め言葉で、外部にはこんな奴に関わって迷惑かけた責任を取らされたくないので悪口に、という具合に普通に変わるけど。
こういう点で、自分は内在的批判者だと思っている。

この構図、日本の強い地方って、住むと分かるけど、こういう構図が多い。毎日顔を突き合わせば必ず相手の悪口を言う。誉めない。でも、外の人と会うと、その人を誉める。この姿勢がもっとも大事なんだろうなと思って、僕も特に徹底して行っている。

僕が人を面と向かって誉めるときは、だめな奴か自分より優れた人。
多分相手も同じロジックだったら、僕の方が優れているか、あからさまにだめな奴と思われたら誉められる。で、僕の方が優れているなんてことは少ない。と、すると、自分の成長を考えれば、普通は怒られるのが健全ということだ。

だから自分の子供には言っている。「怒ってくれる人が一番いい人だ」と。
自分も親によく言われた。ようやくこの歳にして意味がわかるようになった。

登校後に乳製品。「朝食抜き」に配慮 ?

2006年5月11日 12:09

なんか、どうしょうも無く世も末と感じた記事。
山陽新聞と時事通信が報じている。
・牛乳・チーズ自由にどうぞ=学校でも朝食OK-岡山県美咲町
・登校後に乳製品食べて 11日から小中8校で提供 岡山・美咲 「朝食抜き」に配慮

もう、親も子供のことは考えなくなって、「朝食抜きなど子どもの食生活の乱れが深刻化する中、朝食の補完(山陽新聞)」という形をとらないといけなくなるほど、常態的に朝食は作らなくなったという時点で世も末なんだけど、もっと世も末なのが、この政策の趣旨が「子どもへの『食育』の一環と位置づけるとともに、保護者にも朝食の重要性を認識してもらうのが狙い。(時事通信)」という点。
それは話としておかしくないか?学校が朝飯用意してくれるなら、保護者は「学校で食えるんだから、家で作らなくてもいいじゃん」と思うのが普通だろ。そうなれば当然、「朝食は作らなくていい→家庭において朝食は重要ではない」という図式になる。保護者に朝食の重要性を理解して欲しいなら、朝食を学校が用意するなんて論外だ。むしろ食育のありように対しての逆行だ。

確かに、朝食を与えられない子どもはかわいそうではある。子どもに朝食が食べれなく教育機関として機能しないので、緊急避難として用意する、というなら話は分る。が、これが親に対して何の食育になるんだ。
議会もバカも休み休みに言え。食育を本気で推進したいなら、こんな小手先の対応するなら、両親に朝食の作り方を教えろ。両親に早起きをさせろ。そんなもん、夫婦の片親がやり続けりゃ挫折もするが二人でやればまだ何とかなる。あと、小学校も高学年になれば自分でつくるぐらい出来る。家庭科をしっかり教えろ。朝食も作らんいい加減なバカ親なんか当てにさせるな。むしろ教育機関として学校がなすべきことだ。
学校が何でもかんでも用意するという今の風潮はどうかしている。世の親御さん、朝食ぐらい作れ。一汁一菜でも、最悪、コーンフレークでもパン焼くだけでもいいんだから。
ちゅうか、この政策で与えれるのはチーズ、ヨーグルト、牛乳。これぐらい誰でも用意できるだろ。ひょっとして、これも出来ないほど怠け者?

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