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2006年4月のアーカイブ

HUBだけじゃシステムは動かない

2006年4月29日 12:06

とか書いたけど、ITのお話ではない。
最近、あちこちでよく聞くのであるが、産学連携コーディネーターという輩は相互連携して、地域間を越えた連携を生み出したまえい。という議論だ。
ま、私の方はお気楽コンサルタントだし、そったらしんどい商売をしていないのでそんなコーディネートなんぞ知ったことではない。
でも、大学やら官公庁に雇われている産学連携コーディネーターは、役割として現地にどかっと居座って(というか現地内を飛び回って)、地元のネタをつなぎ続けているHUBたるべきである。いわば地域内のLANみたいなものだ。
僕も随所で書いているが、地域内というのは、各地域でプロトコルが違う。(http://www.can.or.jp/archives/articles/20030830-01/とかhttp://www.0563.net/eco/column/funahasi_051209.htmとかを参照して下さいな。)
プロトコルがここまで違うネットワークをコーディネーターが電話一本で解消できるほど甘い代物ではない。産学連携コーディネーターだけで相互に連携を取れるという考えは机上の空論他ならない。各コーディネーターが地域内LANのHUBとして機能すればするほど、彼のプロトコルは地域に近づく。よって他地域と会話が成立しない。他方、他地域の人と会話が成立するようなプロトコルで活動しているコーディネーターは、はっきり言って地域内の邪魔者でしかない。パケットを無用に遮断する出来の悪いHUBだ。

では、こうした地域間連携は不可能か。というと、必ずしもそうではない。適切な変換者がいればいいのである。HUBだけでは、インターネットは出来上がらない。プロトコルを変換する人間が、現地を行き来し、その地域間の認識ギャップを埋める努力をする必要があるのだ。
ま、自己変換力のあるパケットのような特殊な代物である。ある種の中間子である。コーディネーターがこの役まで兼ねれるようであれば、地域のHUBの空洞化が起こる。プロトコルは日々変化が起きる。それを把握し地域を回すためにHUBは地域にいなければならない。

HUBだけで世界は回らない。ケーブルも必要だしルーターのような変換機も必要なのだ。短絡的に、地域を一様としてとらえて、電話一本でDBをチャカチャカ検索すれば繋がっていくと思っているお気楽な政策立案者にはあきれるばかりである。

科学技術コミュニケ―ターは必要か?

2006年4月25日 12:04

某H大でこの事業をやっているのは元の親分みたいな人だし、これに弓を引くような、なんか自己否定的なタイトルなのだが、「科学技術コミュニケ―ター」という資格なりそういう要員なりを改めて国の予算で作る必要があるかどうかという話。

基本的に、今の日本人全般において、科学技術リテラシーは低いし、日本で研究している人々もその低いリテラシーの人のところまで降りて説明する余裕はないのは確かである。よって、そこで何らかの対策が必要だというのは筋として分かる。

そこで、科学技術に関しての媒介者というか介在者としての人材が必要だという議論になる。で、第三期科学技術基本計画には、「科学技術コミュニケ―ターの養成」ってのが謳われている。でも、ちょっと待たれいとか思うんだな。
今まで、日本に「科学技術に関しての媒介者」としての資格や職業や施設って本当になかったっけ?
「ない」と思っているあなたは不正解。
あからさまに存在している。それが学芸員であり博物館。おまけにいえば、小中高の理科教諭もそのための人材ですし、学校内の理科室もそのための場所のはず。
確かにこれがちゃんと機能していないという問題は間違えなく存在している。でも、だからといって、改めて予算を作って、その人材を養成するというのはお門違いではないか。まさに2重にお金を投下しているのだから、予算の無駄遣いに他ならない。

学芸員や理科教諭がその任に堪えないというのであれば、それは、学芸員や理科教諭の資格を与える基準を作り変えるべきだし、過去の有資格者に対して、追加で科学技術コミュニケ―ターという単位が必要とされるだけのことだろう。それは、科学技術コミュニケ―ターというカリキュラムの開発に過ぎず、改めてその有資格者を養成し、新たな雇用を税金で生み出すというのは、予算の無駄遣いで言語道断である。

たしかに、博物館を物見遊山の場所としか捉えていなくて、珍しいものを眺めて終わりの場所として捕らえたり、理科は受験の点数のために学ぶ風潮を作った大人たちが最大の問題なのだろう。だからといって、本来の業務をおろそかにし、別の人間を用意して良いという話にはならない。旭山動物園のようにアイディアひとつで、きちんと社会教育の場として復活する例もある。

本業で既に雇っているのだから、一般の人や研究者は彼らを使い倒す。そして、彼らはそういうニーズにこたえられる工夫をちゃんと繰り返す。そして、その工夫の指針として科学技術コミュニケート技法のカリキュラム。これらが必要なだけであり、意味もなく横文字の新しい資格を創出する事には何の必要性もない。国民も大学人も事の軽重を見誤ってはいけない。

蛍雪

2006年4月21日 12:01

蛍の光、窓の雪-
昔の人の学問に対する飽くなき憧れと、それに向かう態度を表す言葉だ。そこには、金持ちだから学問にアプローチが出来て、貧乏人だからアプローチできない、ということを否定する力強いメッセージもある。夜、貧乏な奴が明かりがなくても勉強しようと、蛍の光や雪の照り返りのわずかな明るさで、一生懸命、学業をしたというお話である。

いや、何が言いたいかというと、最近とみによくメディア等で目にし、近所づきあいの中で耳にするのが、「格差社会のせいで、貧乏人の子供は勉強する機会がなくなってバカになる」
というお話だ。はっきり言ってしまえば「こういうことを言う、あんたが既にバカ」ということだ。
この手の主張の内容をきちんと整理してみてみると、それがハッキリする。

この手の主張のその1「金がないから参考書が買えない。だからバカになる。」

図書館にいけ。そのために国家が整備している。あと、学校の教務の先生に言えば、参考書会社の営業マンが置いていったサンプルがうずたかく積んであるものだ。これは非進学校であればあるほど余っている(笑)。こいつをもらっても良し。金がなくても参考書はごまんと手に入る。

この手の主張のその2「金がないから塾に行かせてあげられない。だからバカになる」

そもそも、そんなものにいく必要はない。放課後&授業中先生に分からんところを聞け。そのために国家が雇用しているんだ。塾のテキストなんか無用。Z~とか塾の教科書になるような参考書も、学校には揃ってる。

この手の主張のその3「金がないから、私立のいい高校やいい中学に入れてあげれない。だからバカになる」

どこにいってもバカはバカ。いい高校もいい中学もない。本人がそこでどれだけやるかだけが重要。3流中学から1流の高校いける努力家もいれば、1流の高校で3流の大学も受からん奴もいる。どこにいれてもたいした意味はない。

この手の主張のその4「金がないから、大学に入れさせてあげれない。だからバカになる」

各種の奨学金が山のようにあります。以上。そもそも、高等教育の終わった子供の学費は基本的にてめぇで確保させてください。

このように、金がなくても、蛍雪の時代よりは遥かに良い環境下で学問ができるということだ。そうすると、昨今の学力低下とか学力格差の原因は、所得が低いこととは無縁としか言いようがない。
で、何が最大の問題かというと、「親がモノを知らない&そのことを棚上げして他人のせいにしたい」ということに尽きる。
特に「モノを学ぶということ」がどういうことか分かっていれば、お金で解決しなくても、それなりに済むものは山のようにあるし、今まで人類の知恵で金がなくても学べる環境を作るというシステムも揃っていることがよく分かるはずだ。
もっと言えば、そもそも、学問は点数をつけて良い大学に行くためにあるものではないし、金にあかせて点数を取るためのどうでも良い学力なんかつけて世の中に出ても「いいメイワク」でしかない。学問をそういうふうに捉えていれば、確かに金がある奴が有利に見えるのかもしれない。でも、知の本質はそんなことではない。

自分の子供が出来ないことを「格差社会」のせいにいして、勝手に不安がっていたら、そりゃ、子供だって勉強しなくなります。親が格差のことなど気にせずに、心を落ち着けて、本を読み、考え、議論する、ということしてください。一日、数分づつでも結構。自然と子供は蛍雪の価値を知って、自らこのシステムの中での最善の手段を探して学ぶはずです。

貸し金だけが悪いのか

2006年4月17日 11:55

アイフルの事件が騒がれているけど、本当にアイフルが悪いのか。とか実は思っている。
確かに、認知症患者だまして貸し付けたりしたのは明らかに悪いんだけど、健全な判断のできるはずの成人が借りた金を返さないというのはそもそも論外なのではないだろうか。ましてや、違法か合法かは知らんけど利率だって提示されている。これで「返さないで怒られて、怒り方が恐かった」とかいってがたがた騒いでる奴は、頭おかしいんじゃない、とか正直に思うわけだ。
そもそも、ほとんどの場合が、事業資金でもなく、個人の生活やら奢侈のためなんだから「自分の個人的信用で借りろ」とか思う。
#事業資金の場合は、むしろそんな消費者金融じゃなくてちゃんと投融資受けろって話だけど。

要は、友人知人に頭を下げて、いくら借りることができるかということである。その上限があなたの信用。それを超えて借りるから、おかしな話になる。人間大事なのは使いたいだけ借りるんじゃなくて、信用で借りること。そりゃ、知人から借りるのはかっこ悪いけど、そもそも、借りなきゃいけないような事態を引き起こしたこと自体かっこ悪いんだから、そこで取り繕ってる方がおかしい。
大体、人間、普通に付き合っていれば「こいつにそれなりに世話になる(なった)な」というものはそこそこあるんで、それ相当の範囲で貸してくれるもんだ。いわば、感謝の前借みたいなものである。当然、金額だけじゃなくて、そういう世話で返してくれるであろう分を想定して貸してくれる。お金は本質的に「ありがとうの記録」にすぎない。それを地で行けばいいだけのことである。

こんな偉そうなことを書いているけど、ぼくも借りるときは借りる(最近は全然借りないしちゃんと返済済みである)。でも、消費者金融で借りたことはないし、クレジットカードも持っていない。いろんな人に、かっこ悪いけど無心する。でも、ちゃんと感謝の意はあるし、その借りた分をいろんな形で返すように頑張っている。そういう意味では、利子は無形のお世話返し。非常にこちらの方が高い。でも、人の世はそんなもの。本来は、感謝の前借などせず、きちんと他者に対してありがとうの価値を出して、その価値の分だけで生活するのが正しい。そういう、ありがとうのお返しも出来ないような奴は、論外だ。法で守られる以前に病院にでも監禁されてくれといいたい。

そういう意味では、昨今の投資ブームは、どうかと思う。以前の日記で書いたけど、僕自身も投資はしている。
でも、どこの株指南もやっている本人も明らかに不労所得を得るのが目的で、どの銘柄が儲かる、とか、どの証券がいいとか。挙句に投資した会社がつぶれたから訴えるだの。という、この状態はいかがなものか。某会の奥田会長が「こういう風潮はいかがなものか」という気分がよく分かる。
老後の資金だか、なけなしのお金なんだか知らないけど、僕の目には、こういう輩はアイフルの被害者と同列にしか見えない。そもそも、お金の本質は適切な感謝を得た証であって、感謝し、感謝されることがないところにお金は存在しないしそれで増えることもない。不適切に増やそうとした見返りに過ぎない。そう考えればアイフル事件もLD事件の訴訟も、本質的には根っこは一緒。不労所得なんか求めるのが問題なのだ。まじめに働いて、それに見合った生活をし、そこに満足を得る生き方をすれば済むことなのだ。

そんなこんなで、きちんとコツコツ貯金してきた家内は尊敬しているし、そのお金での投資なんてとっても慎重になる。家内の貯めた他人に対しての「ありがとう」の蓄積を、僕が台無しにしていいという話にはならない。適切な先に、適切な意味合いで、適切に投資をして、必要なありがとうを株主として返してもらうことを心がけているだけである。

マスコミの馬尻に乗って、アイフルやらライブドアを非難しても始まらない。大事なのは適切にお金と付き合うこと。これに他ならない。

産産官連携とか

2006年4月15日 11:53

朝からお買い物。特売。
結構、懸命に買い物。インナーを大量購入。
お店の隣にある終了したはずのA-COOPが騒がしい。行ってみたら、産直市とかいって復活している。なんか、普通のJA産直市になってる。そこでぶらっと買い物していると、見たことの無いインスタントラーメンを発見。
家内が子供の頃なじみだったラーメンらしい。なんでも復刻版のようだが、その昔からの製造発売もとの他に、なぜか、JAと地元で有名な御豆腐工房の名が併記。どうも、地産地消運動で有名なこの豆腐工房が、自社が使う小麦をJAとタイアップして、製造を止めちまったインスタント麺を作っているメーカに話を持ちかけたモノのようである。で、おまけにそのラーメンブランドを冠した、スナック(ベビースターラーメン風きらず揚)は、その御豆腐工房から出すという巧みさ。こいつを図式にすると

企画の流れ:豆腐工房→JA、製麺会社
材料の流れ(小麦):JA→豆腐工房(きらず揚)、製麺会社(ラーメン)
材料の流れ(スープ):製麺会社→豆腐工房(きらず揚げ用)
販売の流れ:製麺会社、豆腐工房→JA(麺、きらず揚げ)→JAショップ
     :製麺会社→豆腐工房(麺)→ショップ+ネット

という3社連携に他ならない(と、思う。ちゃんと取材はしていない)。まさに、JAなんか官みたいなもんだから、産産官連携みたいなものだ。
この商品を見て、これはすごいなぁと思った。何がすごいって、これを、連携だ!助成金だ!マスコミだ!マーケティングだ!と大騒ぎして、世間をお騒がせして作るのではなく、ひっそりと作って、ひっそりとリリースして、ひっそりと売れていくということである。で、「これを作った」というだけの事実でお金を得たり、名誉を得たり、出世を得たりすることは無くて、「結果として十分売れた」という事実のみをもってして、各社の利益を創出する以外に何も無い。

じつは、どんな連携でも、こういうことが普通に出来ることが大事で、僕らみたいな中間支援者が「あーでもない」「こーでもない」としゃしゃり出ちゃいかんのだろうなぁとか思う。ちょっとした紹介と、ちょっとしたアクセントつけだけ出来ればそれでいいはず。

非常に感動した商品でした。
夜はなぜか家内と黙々と家紋調べ。うちは「丸に揚羽蝶」という奴です。

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