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2006年3月のアーカイブ

えらい順番

2006年3月25日 11:41

センターから自宅まで、いろいろな方に送っていただくのですが、そのうちのある方とお話して話題になったのが、一番偉いのは町内会長、ということ。
いや、なにかって言うと、葬式のお言葉の順番でもめたという話。
なんでも、葬式は偉い来賓順に挨拶をするそうで、挨拶純のリストを地域選出の議員、町内会長...、と続くようにリストを出したら、葬儀屋に「この順番は駄目。一番初めは町内会長」と言い張ったそうな。
葬儀屋曰く「議員(国会、県会、市会限らず)なぞ向こうが頭を下げてワシらが成らせてやるものであって、町内会長はワシらが頭を下げてなっていただく方だ。どっちが偉いかは自明」とのこと。確かにその筋論は正しい気もする。

ちなみに、私の住む地域は、こういう偉い人ランキングが、自分の故郷とずいぶん違う。

以前この地域に住みたての頃、電車の中で聞いた老婦人グループの会話。
「あんたんところの3男坊はどうなった?」
「いやー。ようやく片付いたよ。独立して会社つくったんよ」
「そういえば、あんたのところの次男坊、大学卒業だら?どうなった?」
「もう、4年も大学生かせたのに公務員だよ。わたしゃ悲しくて....」
どうも、この会話から聞くに、「起業した人のほうが公務員より偉い」らしい。

8年すんで思うに偉い人ランキングはこうなっているようだ。
1位、町内会長
2位、T自動車の役付き
3位、首長
4位、独立事業主&社長、各種議員
5位、有象無象のサラリーマン
6位、各種公務員
#ちなみに雲上界にはT自動車の役員というものもあります(笑)

筋は通っているような気もするし、何かおかしい気もする。
ただ、立法府は代議士(代わりに選んだ議論する人)に過ぎないし、公務員は税金から給金をもらって立法の指示で動くわけだから、決定権も無いしあまり偉いとは言いがたい。
とはいえ、天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らずなので、しゃれにして済ます程度にしましょう。

おいしい駅弁

2006年3月15日 11:36

この間東京出張の帰りに、新幹線で駅弁でも食おうかとうろうろしていた。
東京でのお気に入りは、深川飯。穴子もいいし、付け合せが地味においしい。
で、ふと目をやると、「井泉のカツサンド」という看板が。実は、私はこれが世界一うまい駅弁だとか思っている。地元に帰れば、別に汽車旅ではなくても弁当が必要なら、花見だろうがちょっとした集まりに必要な惣菜代わりだろうがこれを普通に買う。

ちなみに、初めて食べたのは、小学生の夏。理由は忘れたけど、国鉄マンの父が、旭川から小樽まで連れて行ってくれたことがある。多分、祖母は入院していて、母は兄の付き添いでバスケの試合に行っていたのではないかと思う。
小学校のときに父と一緒に何かをした記憶というのはほとんど無い。一日中家にいなくて、たまにいたら夜勤とのローテーションの切り替わりで、寝ているばかり。それでも、夏になると、時々、駅の明かりに寄ってきたクワガタを捕まえて菓子の箱とかに入れて持ってきてくれたことは良く覚えている。これも、職場の延長線といえばそれまで。母の口癖は「健さん(父のこと)は駅と結婚した人」。
そんな父なので、小さい頃の旅行の記憶はおろか一緒に遊んだ記憶などさらさら無いわけだが、どういうことか、この日は父が一緒にいた。なんだか分からないがすごくワクワクした記憶がある。
この小旅行のときに、父が駅の売店で、「これがうまいんだ」と、無造作に買ったのが「井泉のカツサンド」だったわけだ。地元じゃちょっとリッチなカツ屋さんのカツサンドなわけだ。今思えば、鈍行か急行の旅行だったわけで、かなりの長時間、列車に揺られていたはずである。小さな子供には十分に苦痛だったことは想像に難くない。でも、列車の中で食べたこのカツサンドはこの上なく旨かったことを覚えている。あと、やたらとポイントの切り替えがたくさんある札幌駅もそれとなく覚えている。ここで下車しなかったので、きっと直通か、すぐに乗換えがあったのだろう。
なので、意外なことに、せっかくの小樽の水族館の記憶はほとんど無い。帰りはどうしたのだろう。その辺の記憶は相当怪しい。

そのせいか、上の子はよく電車であちこち連れて行った。上の子にとって、父親との旅行の思い出は何になるのかな。大きくなったら聞いてみたいものである。

余談ではあるが、前出の東京駅の井泉のカツサンドは、東京本店のもの旭川のはその暖簾分け。味はやっぱり子供の頃の記憶の勝ちではある。

祖母の顔

2006年3月15日 11:33

今日、子供のお別れ遠足に、帽子を持っていくのを忘れてしまった。
ものすごく申し訳ない気分になって、子供に謝った。子供のほうは、今日は運動帽だから大丈夫だよ、といってくれたのだが、何というか少し落ち込んでしまう。
こういうとき、必ず祖母の顔を思い出す。
小学生になっていたぐらいのとき、その日は家族は誰もいなくて(母は兄のバスケの遠征について行ったのか、入院付き添いだったか定かではない。父はがっつり仕事)、一緒に市場(商店街)に祖母と出かけてウキウキと昼食の材料を買った。そこで、最後に豆腐を買って袋に入れてもらい、家路についた。
その後、祖母が一生懸命昼食を用意してくれ、二人きりの食卓を囲んだ。暑い夏だったからだろうか、祖母は真っ先に冷奴にした豆腐に手をつけた。腐っていたらしく、すぐに「これは食べちゃだめだよ」といってさっと引っ込めてしまった。
そこでなぜか、祖母は非常に申し訳なさそうに「ごめんね。お母さんには言わないでね」と私に謝ったのだ。このときの顔が、自分が子供に対して失敗したときにいつも浮かぶ。

私は、実は、この祖母がどうしょうもなく好きだった。多分、兄が小学校の低学年のときは入院していて、高学年になってからはミニバスケの選手で活躍して、母がやや不在がちだったせいかとも思う。なので、よく面倒を見てもらったせいだとは思う。
でも、物を買ってもらった記憶も、過剰に甘やかされた記憶も無い。躾は両親にされたし、物は両親に買い与えられた記憶がある。その辺は、いまどきの馬鹿みたいに甘やかしてモノを親からしゃしゃり出て与えて、自分のもののように扱うバカジジババどもとは明らかに違った。躾の主導権はちゃんと親のものだという風に捉えていたと思う。
実は、祖父の記憶はほとんど無い。覚えているのは火葬場の風景だけだ。つうか、ものすごく小さいときになくなったらしい。知っていることといえば、祖先が愛知県海部郡あたりに興って、家の御紋はアゲハの紋章。で、屯田兵で旭川入植で八百屋を起こして病気がちってことぐらい。
祖母に関しては、その後、八百屋をしている祖父に嫁いで、しっかり家を守り立てた才女だという知識くらいはある。よく、何かすると必ず対価をくれようとした。ぼくは、好きでやっているし祖母に喜んで欲しいから手伝っただけなので、いつも「いらない」って言っていた。そういう意味では、うちの一族で、私が起業してしまったのも、何とか生き残ってこの業をなしていけているのも、祖母に多く接していたからだという気がする。

そういうことを思い出すと、祖母にしてみれば、あの時、僕と自分の作った料理で食事が出来るというのは、とっても嬉しかったのではないだろうか。そこで失敗してしまったことをとっても後悔してしまったのではないかと。
今日帽子を忘れた自分も、きっと、このときの祖母と同じように子供に対して、一回こっきりのチャンスでして上げれる何かだったはずだ。だから、こういう失敗をすると、必ずこのときの祖母の顔を思い出すんだろうな。
こういう失敗は繰り返されることだけど、子供の「大丈夫だよ」という声と表情をしっかり覚えておこう。きっと25年前の自分の顔なんだと思うから。

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