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2005年12月のアーカイブ

歴史小説

2005年12月29日 10:38

最近、ひたすら歴史小説を読むようになった。
いわば歴史を舞台にしたフィクションであるので、そこに歴史上の真実を求めるなんて読み方は当然していない。その昔は、そういうスタンスであるからこそ、そんな中途半端なフィクションなんか読まん。という姿勢で全然手付かずだった。

実は、結構、自他ともに認める多読家だったりするが、そこいらにあまたある歴史小説はほとんど手をつけていなかった。しいて言えば、せいぜい、平家物語とかいわゆる古典を読み下す程度。現代作家の書いた歴史小説なんて、非常に限られていたりする。

その私がここのところ、その毛嫌いしていた歴史小説以外読まないという不思議な状態である。きっかけは歴史調査から始まり、便利な時代考証のネタ程度だった。だけど、家内が会社からもらってきたりとか、友人知人が書評をつけて紹介してくれたりだとかするうちに、その多読化に拍車がかかって、いまや暇さえあればなんか読んでいるという状況。

正直言ってどれもこれも面白いと思う。歴史上の知識を得るという楽しみよりは、人物像と出会うという楽しみだ。実際にそれぞれの主人公が、歴史上そういう人物かどうだったかは、別問題。あくまで、歴史を舞台にした虚構のキャラクターとして、そういう人物像を伝え、生き方を伝えるというその歴史小説の面白さは、なるほどなぁと思う。と同時に、舞台を作る手間は省けて作家にとってはいいよなぁ、などと不届きなことも思う。

最近この手の本を読んでいて思ったことがひとつある。
人間大して変わらんなぁ
と。いや、歴史上の人物を見てというのではなく、これをガリガリ読んで面白がっている自分を再発見してそう思う。多分、僕が読んでいる続っぽい歴史小説の数々は、誰が読んでも面白いものだろう。今まで僕が多読したものを読んでいようがいまいが、実は日々の糧としてそんなに大きく変わるものじゃない。むしろ、こういう続っぽい歴史小説のほうが人の心を動かしたり、日常の生活への潤いや、やる気や、方向性を生み出して影響力があるような気がする。

そう思うと、どんなに努力をしても、人間そんなに変わらんなぁ。と。
ま、とはいえ、呉下の阿蒙なんて言葉もあるので、常に自己研鑽は重要。なので、歴史小説の多読を続ける(笑)

背中合わせの戦友

2005年12月28日 10:37

結婚して以来、家内と同じ方向を向いて物事をした記憶がほとんど無い。夫婦二人なら、まだ、仕事は仕事で楽しんで、遊びは遊びで一緒に楽しんで、家庭のことはそこそこに、という形もとれて同じ方向を向くことも出来るかとは思う。
うちの夫婦は、私の仕事の都合と家内の体調の関係で夫婦二人の間はほとんど別居状態で、ようやく同居できたら子供がいる状態。

仕事のこともある程度分担。子供がいると、家庭はそこそことはいかない。なので、家庭のことはある程度分担。分担比率は各家庭でそれぞれだろうけど、とにかく、同じ事をするという機会は日常的に激減する。きっと高度成長期は、仕事100%と家庭100%で夫婦分担だったんだろう。現代は分担比率は相互にそれぞれあるのが普通のようだ。

とにもかくにも分担せざるを得ない。それだけ、ひとつの所帯という仕掛けは内向き(家庭)と外向き(社会)と複雑になっている。分担している相手がやることをいちいち気にかける余裕は無い。少なくともうちの夫婦はそう。こうなると、背中合わせになって、社会と家庭と立ち向かう戦友そのものである。他方が討ち死にしたらおわり。ついでに、他方が裏切ってもおわり。手を抜いてもおわり。

でも、それだけ信頼できる相手じゃないと、一緒に家庭の維持と社会へのかかわりを同時には出来ない。多分、大方の家庭は、子供が出来るまでの間に、いろいろな場面で同じ方向を向いて、お互いのその方向へどれだけ強いかを確認しあって分担しているんだと思う。で、想定されるパフォーマンスを省みて、自然と分担が決まるんだろうなぁと思う。

が、うちはそんなこんなで、戦いながら分担するという感じ。おかげで夫婦喧嘩は絶えない。今年も絶えなかった。でも、これはしょうがない。背中合わせで一緒に戦うしかないんだし。これからもきっとそう。時々向きを間違えたり、転んだり、弾が切れたり、いろいろなことが起きると思う。でも無事一年過ごせたのは、とっても嬉しい限りだ。

まちづくりと本道回帰

2005年12月24日 16:56

最近いろいろと地域づくりやら住民参画やらという代物に絡むことが多い。
そういうところに行くと、最近はパラダイムシフトととかもてはやされ、旧来の地域自治やらまちづくりのフレームが問題とされることが多い。旧来の仕掛けそのものが無問題とは考えないけれど、どうもその手の批判を聞くと、「そうかぁ?」と思ってしまう。
根っこには既得権益者への批判があるんだろうが、どうにもこうにも、その矛先の向け方がおかしいように思う。

いわゆる市民には、元々全ての権限があるわけだし、ぶーすか言う前に自分の権限を、適切に行使すればいいわけだ。知らぬ間にその権限をいくつか委譲しているものもあるが、委譲先から取り戻す方法も残っている。言い換えれば、最大の既得権益者だ。

委譲された権限を持ている側も、市民が何もしないで文句ばかりいうと文句を言う。そりゃそうだ。委譲したことをやりたくないから、委譲しているわけだ。そんなもん、市民がやるわけないだろう。そのために、税金を払ったり、サービスを買ったりしてくれるわけだ。

そういう部分を市民と行政やら大学やら企業やらが手を携えて協働とか言うと話は美しいかもしれない。が、ちょっと待ってとか思う。そもそも、お互いが相互に相手のことを考えて、持っている権限を最大限に発揮すればそれで済んでしまう話がほとんどで、いちいち協働だの何だの面倒くさいことをしなくてもいいんじゃないのか。協働のための時間的コストやら金銭的コストを考えたらムダそのものだ。

実は地域づくりまちづくりで大事なのは、全ての地域のプレイヤーが、自分の本業に回帰することに他ならないのではないかと考えている。実は協働による新しいパラダイムなんていらないのだ。ただ、大切なのは、市民も行政も企業も大学も忘れていること。自分の本業と本筋を思い出すだけのことに過ぎない。
新しい地域パラダイム論に浮かされている暇があったら、実は、中学校の公民の教科書でも読んだほうがいいのかもしれない。

「マッチ売りの少女」と「かさじぞう」

2005年12月15日 10:36

この年の瀬を舞台にした、昔話の東西の両巨頭といえるのが「マッチ売りの少女」と「かさじぞう」。
雪の都会を、ろくに売れない日用品を売って、年を越そうというお話であるところも同じ。ある意味で、両者ともに最後は救われるお話なんだけど、ヨーロッパと日本の大きな違いを感じる。日本は、昔から支配者による小作人等の締め付けが厳しいと思われがちだが、ヨーロッパのほうのシビアさはその比ではなかったようだ。階級構造の強固さは、ヨーロッパのほうが遥かにきつかったそうだ。
その辺は宗教観や倫理観にも現れているだけではなく、こういうお話にも現れているといえるだろう。
マッチ売りの少女は、死後、神によって魂が救われる。だが、かさじぞうは、生きている間に長者にまでなる。現世利益をしっかり得ている。日本という国はそれだけ階級構造が甘く、現世利益を得ることが不可能ではなかったということの表れでもある。
また、帰宅しても売れないと受け入れてくれないギルドの親分しかいないマッチ売りの少女。他方、かさじぞうは、売れなくても「しょうがない」といってくれて、ともに貧しさを共有してくれるやさしい相方。この辺にも、平均的貧しさのありようの過酷さが現れているといえる。

子供の頃から読み聞かされた話が、子供の思考や精神構造を作る。どっちを読み聞かせるかで、逆境で来世利益方の子供になるか、現世利益方の子供になるかがある程度は決まるかもしれない。

小さなころ

2005年12月14日 10:35

小さい頃、親の都合で転校することが常だった。

小学生の頃から、別に転校すること自体そんなにいやなことではないし、むしろ楽しいと思っていた。そういうところは、先天的な「のら」だったのかもしれない。よく、前の学校の友達の家まで、一人で自転車や国鉄で行って泊まってきてた。友達の幅を広げることは、結構楽しかった。

転校先で友達を作ることはさほど苦労をした記憶はない。いつのまにか誰かと遊んでいる。と同時に、クラス内外のグループの垣根を越えて普通に友達を作れた。まぁ、転校生の特権ともいえるんだろうなぁと、今は思う。
で、その垣根を越えた友達のなかから、実は気が合いそうと思う人を普通にマッチングさせていたような記憶がある。そう思えば、昔から紹介屋だったのかもしれない。でも、紹介した友達同士が、自分抜きでとても楽しそうに遊んでいるのがとっても寂しかった記憶も良くある。紹介するまではテンションが高いのに、紹介しちゃうとすぐにイジケ虫になっていた自分を、最近良く思い出す。

最近、のらSOHOなんてレッテルが貼られるぐらい、日本全国飛び回って(今年は本当に飛び回ったと思う)、いろいろ人と人を繋いでいる。なんか、子供の頃の自分に戻ったようなものだ。たしかに、その後は自分抜きで進む人間関係がほとんどだ。そういうところも子供の頃と一緒だ。確かに、自分抜きでことが進んでいくことに、若干寂しい気分もなくはないが、しっかりとマッチングできたという充足感が、最近はある。
寂しさより充実感があるというのは、やっぱり、家族がいるからかな、と思う。そういう意味では家族の間の信頼が磐石じゃないとこういう生き方は非常に難しいんだろうなぁ。

ということで、私のマッチングでメリットがあったと思っている方は、私の家族にも感謝してください(笑)

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