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2005年7月のアーカイブ

石炭紀はいつ終わる

2005年7月18日 16:31

連休中日。やることもなく暇。家内と下の子はごろ寝。上の子はビデオ鑑賞。さすがにちょっと飽きたので、その合間に、宮沢賢治を読み聞かせた。
といっても、童話じゃなくて詩。最近、NHKの「にほんごであそぼ」の影響で、「雨ニモマケズ」に関心があるらしい。
まぁ、私も中高生の頃から宮沢賢治にはまっていた(化学研究にちょっと進んだのもその影響が少し)んで、ちょっと古めの新潮文庫の「宮沢賢治詩集」を、掘り出して読んで聞かせた。
何度か読んだら、子供も納得して再びビデオ鑑賞。で、久しぶりに、その詩集をぱらぱら読んだら、「政治家」というタイトルの詩があった。
当時の多くの政治家を「ひとさわぎおこして いっぱい呑みたいやつら」と表現し、そのうち、そういう政治家は「ひとりでに腐って ひとりでに雨に流される」と考えているらしい。
何というか、啄木と違って、ある意味人の世を楽観的に信じている賢治のスタイル。
でも、先の参議院議員選挙を振り返ってみて、そういう「ひとさわぎおこして(=色々と世の中を騒がすだけ騒がして)」「いっぱい呑みたい(=私腹を肥やす)」タイプの議員をどれだけ腐らせて雨にして流してしまえたのだろうか?
賢治にしてみれば、僕らの一票が、そういうやつらを腐らせる微生物一匹であって、ひとりでに雨で流す雨粒の一つ何だろうなぁ。
そして、この詩は、最後にこう書いてある。「そしてそれが人間の石炭紀であったと どこかの透明な 地質学者が記録するであらう」
でも、いつになったら、この石炭紀は終わるんだろう?賢治の時代からゆうに続いているんだ。
地質学的な観点に立てば、高々数百年、じたばたするな!ってことになるんだろうけど。

TVゲームのインターフェース

2005年7月10日 23:30

こんなコラムを書いている私も、いつのまにやら見事に人の親になり、ゲームをやる世代ではなく、子供にゲームをやらせる側の世代になってきた。

明らかに家庭用のゲームは変化してきているなと思う。大きく変わったのはインターフェースだ。基本的に、私たちのことはジョイパッドなりジョイスティックを使いこなせないと遊べない、それさえ使いこなせれば遊べるという代物だった。多ボタン化していく中で私はプレーヤーとしては見事に落伍していった。

しかし、今、子供用のゲームはすごい。画像は一昔前の8bit時代のゲーム機のそれなんだけど、入力インターフェースが多彩だ。マイクを中心としたカラオケ採点機能と連動したゲーム、PICOのようなペン入力、モニタに簡単なセンサーをつけてスティックで、魔法使いのように操作するゲーム、などなど、全身をフルに使うゲームばかりだ。更には、EYE TOYのように、自分が画面に登場するものまである。

むかしは、こういうのはマイナーで、ファミリートレーナとか一部のものだったが、今では子供(幼児)向けゲームでは明らかに主流だ。だんだん、リアルとモニターの向こう側の世界の境界が薄くなってきた気がする。ゲームと現実を切り分けることが本当にできなくなってしまうのではないだろうか。

この子供たちが僕らぐらいになった時に、TVゲームという遊びの世界はいったいどうなっているんだろう。

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