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2000年4月のアーカイブ

ピンクシャワシャワ

2000年4月30日 00:00

知ってる人は知ってるんだろうなぁ。
ちゅうか、こんなもん取り上げる事自体、 ネタ切れとか思われてるんだろうなぁ。
あたらずとも遠からずではあるが.......。
某居酒屋チェーンで飲める、恐らくはオリジナルの カクテルでしょう。

むかし、某大手スーパーチェーンの地下でバイトをしていたころ。
そのとき、私のバイトしていた部所は、社員のTKさんと私の二人。
二人でつるんでやりたい放題。
いや、仕事はちゃんとこなしていたんですけどね。
取引先のTKさんのお友達(Aさん)と、私の就職内定を祝って、 ささやかながら、飲み会を開いてくれました。
でも、まぁ、忙しい方たちなので、手近な居酒屋にてという事で。

A「ビールで良いよね」
T「おれは、今日は飲まんよ」
F「私はビールで」
T「何言ってるのF、ビール嫌いジャン。好きなもん頼めよ」
A「そうそう、いちおう、F君のお祝いなんだしさ」
F「いや、でも、こういうところのカクテルはちょっと......。」
T「どんなカクテルがあるんだよ。」
A「取りあえず、メニューだけでも見たら」
F「はぁ、すみません」
と、メニューを広げる。
F「じゃ、ジントニックにしようかなぁ」
T「お、なにこれ?ピンクシャワシャワ?これにしろよ」
F「.........。遠慮します」
A「なにこれ、どんな味なの?」
T「なんか、気になるよね」
F「私は、見たくもないですけど」
A「まぁ、まぁ、遠慮せずに。うちらのおごりだし」
T「あ、Aのおごりなの。ありがとう。助かったよ」
A「なにいってるの?君のバイトのでしょ?」
T「あ、自分で払えってさ。F」
F「自分で払っても良いけど、ピンクシャワシャワは勘弁してくださいな」
A「じゃ、そういうことで、取りあえずは、ビールとウーロン茶だね」
で、しばらく宴は続きました。
が、TKさん、ピンクシャワシャワがめちゃくちゃ気になる様子。
ことあるごとに会話の端々でピンクシャワシャワが。
ついに業を煮やして、自分で
T「ピンクシャワシャワください!」
と注文。
A「あー、とうとうやっちゃたね」
T「きになるじゃん」
A「たしかに」
で、来たのは、なんというか、ミルクセーキ。
Tさん一口飲んで、
T「おれ、もういらん」
で、つぎのひとこと
T「F、のめ」
あ?
A「いいじゃん、いやなら残せば」
F「興味はあるので、飲みます(笑)」
飲んでみると味は見た目にたがわず、酒入りミルクセーキ(笑)
T「どう?シャワシャワ?」
F「見た目のまんまですね。ミルクセーキです。」
A「なに、どれ?俺にも頂戴」
ききピンクシャワシャワ大会状態。
なんか、私の内定記念が異常な盛り上がりを見せました。
ピンクシャワシャワさまですね。

ハイパーリンクと共感

2000年4月15日 12:00

(この文章は私が、3年前(97年頃)に書いたものです)

今の時代、どうやら物事はハイパーリンクで 作られているらしい。確かに、ホームページも URLを見ると分かるように、その頭には
http(ハイパーテキストトランスファープロトコルの略)
って書いてあるように、明らかに、ハイパーテキストを リンクさせたハイパーリンクの世界だ。

このハイパーテキストの特徴の一つは、同じデーターベースから、 個々人が好きなように、物語を組み合わせて作ることが出来る。 すなわち、みんなが自分だけの物語を読める(作れる)と いうことだ。
この思想の面白いところは、マスなメディアと違い、 個人個人が、勝手にしそうや意見を形成できるところだ。 そしてこの思想を持ってして、多くの識者が、 マスメディアの終わりを告げている。 (私もある意味ではその通りだとおもう)

しかし、本当にその様になるのだろうか?
多くの人が、各所から容易に情報を集め編集し、 意味付けを行い、主体的に判断、行動する社会。 ある意味では、理想的な社会だろう。
でも、現実にそうなるであろうか?
やはりこれは「否」だとおもう。一つは、 多くの人が、その様に情報を編集する術と 意味を持たないからだ。にもかかわらず、 莫大な労働力をもってして、わざわざ、編集する物好きが いるだろうか?
その結果はすでに表れている。 インターネットの世界でのプッシュ技術による、 編集済みの情報の提供だ。これでは、マスと変わらず、 httpという冠詞がなくというものだろう。 多くの人がこれを使う理由に「楽だから」 ということを挙げている。

もう一つ大きな理由がある。ハイパーリンクの世界では 共感を得ることが出来ないからではないだろうか? 共感を得るためには、ある程度同じように編集された情報と、 同じような意味付けがなければ、「共」に「感」じることが、 出来ないのではないだろうか。
ハイパーリンクの世界では、個人がみんな違う意味付けを行うことに 特徴があり、マス的な共同体を否定しているところがある。 みんなが違う意味付けをされた世界に住むことになる。 そこに果たして共感が生まれるであろうか?

おそらく、情報のほとんどがハイパーリンクとなる世界では、 多くの人が、今の都会以上に、隣のことに関心を持たない、 孤独な世界になるであろう。 はたして、そんな孤独にどれだけの人たちが 耐えれるであろうか。結局のところ、ハイパーリンクの世界は、 マスメディアの世界を倒すことは不可能であろう。

いまだに多くの人は、ブームを追い、同じ物を求める傾向があるのだから。 それは本質的にみんな共感を求めているからであろう。 それはハイパーリンクのメディアであるはずのホームページでも、 同じである。ほとんどのページが自らのアンサンブルを 作成することよりも共感を求める物が大半である。 結局のところ、新しい技術が可能性を示したところで、 共感を求めてしまうのが人間なのだろうか。

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